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死がもたらす平衡

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 我に返ったというべきか、人生の節目を良枝に悟らされたのだ。
「結婚、そろそろ真剣に考えない?」
 ストレートな表現であるが、ストレートな方が、吾郎にはよかった。遠まわしに言われると、却って余計なことを考えてしまうくせがあったからだ。
「私をこのままにしておくの?」
 などと言われたら、一気に責任感がのしかかってくる気がしてくるだろう。
 本当は、それくらいのことを言いたかったのかも知れないが、それを言わないのは、良枝の優しさだ。ひょっとすると、ずっと自分の立場を考えて、吾郎に進言するべきかを考えていたのかも知れない。もし、デッサンのような趣味がなければ、気持ちに余裕がなくなって、結婚の二文字が頭に浮かんだ時、すぐに言葉にしていただろう。それを思うと、趣味というものが、気持ちに与える余裕が人間関係にも大きな影響を与えるのだろうと思うのだった。
 我に返った吾郎は、さっそく結婚について考えるようになった。本当は、その気持ちを良枝にも言わなければいけないのだろうが、自分だけで、まず気持ちを固めることが先決だと思ったのだ。
 相手から言われては、さすがにしっかりしないといけない。そう思った吾郎は、結婚の話を進めた。自分でもビックリするくらいに、結婚までの道のりがアッサリとしていた。相手の親には、以前から付き合っていることは話をしていたし、結婚に差し障りのあることは何もなかったのだ。
 新居に関しても、良枝の方から要望はこれと言ってなかった。吾郎が提示した条件に、良枝の意見と狂っていなかったのが一番だが、良枝の性格からして、吾郎の意見に逆らうことはほとんどなかった。それだけお互いの意見が一致しているからなのか、良枝が本当に吾郎を慕っていて、慕っている相手に逆らうことはできない性格なのかのどちらかであろう。吾郎としては、前者の方が気が楽だった。
 吾郎は、どちらかというと調子に乗りやすい方だった。自分の思い込みを信じ込むことが多く、相手が慕ってくれていると思うと、自分のいうことは何でも聞いてくれると思いがちだったからだ。その勘違いから、大学に入学した時、すぐに付き合った女性と仲たがいして別れる結果になってしまったことがあるが、頭の中から今でもその思いが消えないでいたのだ。
 付き合った人は良枝で二人目、最初の失敗の教訓が生かされていると思っているから、良枝との結婚に踏み切れたのだと思っている。友達の期間が長く、交際期間も友達の期間に近づいていたので、一歩間違えると、マンネリ化してしまい、「長すぎた春」にならないとも限らないからだ。
 良枝が結婚を口にしたタイミングは、絶妙だっただろう。もう少し遅れると、微妙という言葉に変わり、それ以上長いと今度は、完全にタイミングを逸したことになる。勇気を持つにも気持ちの余裕が必要で、余裕を持つには、相手を見つめる目が必要になってくる。相手の目を見つめていると、相手もこちらの気持ちを分かろうとしてくれるので、それが阿吽の呼吸を呼ぶことになるのだ。
 結婚がゴールのように思っていた時期のことだったので、余裕も生まれたのだろう。結婚してしまうと、見える高さが違ってくるのも分かっていたので、まずは新婚時代を大切にすることと、お互いにプライベートはあまり詮索しないことが大切だと思っていた。それだけお互いに信頼が強いのだと思ったのだ。
 だが、いくら気が合うと言っても性格は違うのだ。同じように考えているわけではないだろう。最初は微妙な違いだが、いずれ、亀裂にならないとは限らない。その思いは心の奥に封印し、新婚生活を満喫することが一番だと思うのだった。
 結婚生活をスタートさせた新居は、新築だった。
 新築にこだわったのは良枝の方で、吾郎が折れた形だった。
「少し、会社まで遠いんじゃないか?」
 と、言ってはみたが、
「やっぱり、新しく始めるには、何事も新しいものがいいと思うの。やっぱり気持ちの問題と言っても、最初が肝心だと思うと、住むところは新築って、私は思うの」
 普段、あまり自分の意見を押し通すことのない良枝の意見なので、聞くことにした。その理由は、一緒に暮らし始めてすぐに分かった。要するに良枝は潔癖症なのだ。他の人が住んでいた部屋に入るのである。いくら管理会社が整備したとはいえ、誰が住んでいたか分からない。そんなところに住むのは、かなりの抵抗があるのだろう。
 それでも、新築に入って、吾郎は良枝のいうことを聞いてよかったと思った。
 他の人なら嫌だと思うかも知れないが、吾郎は新築の匂いが好きだった。接着剤のような匂いが残る部屋だが、これが新築とそうでない部屋の違いだということを感じさせてくれるものであるならば、嫌ではなかった。吾郎は新築でもそうでなくても、何ら変わりがないと思ったから、あまり新築にはこだわらなかったのだ。
 四階建てのマンションで、エレベーターもない。それでも、新築の香りがする中で、吾郎は新婚生活を満喫できると思っていた。
 一人暮らしも悪くはなかったが、何が違うといって、部屋に帰ってきた時の扉を開けた時に中から洩れてくる暖かい空気であった。足元から冷たい空気が漂ってくる一人暮らしの部屋とは、雲泥の差であった。
 三階の一番奥の部屋を選んだが、それも間違いではなかったように思った。出窓もあるし、隣に住人は入らなかった。上の階にも住人はいないようで、望んでいたよりも十分に満足できていた。
 最初の一年目は、あっという間に過ぎていき、二年目の引っ越しシーズンを迎えたが、隣に新婚夫婦が引っ越してきたのは、シーズンも終わりかけで、
「隣には、誰も引っ越してこなかったね」
 と、良枝と話をしていた矢先だった。
 四月も下旬に差し掛かった頃だったので、さすがに引っ越しシーズンは終わったと思っていたが、引っ越しシーズンに関係なく、引っ越してきたのは、新婚夫婦だった。
 日曜日の晴れた日に、表に引っ越しのトラックが止まって、イソイソと作業を始めたのが見えたが、テキパキとした作業のおかげか、昼過ぎには、すべてが終わったかのようだった。
 夕方頃になって、部屋のブザーを押す音がして出てみると、一組の男女が並んで立っていた。
 前面に立っていた女性は、大事そうに手土産を持っていた。それをゆっくり差し出すようにしながら、
「初めまして、隣に引っ越してきました村田と言います。新婚なので分からないことも多いですが、宜しくお願いいたします。これ、つまらないものなのですが」
 と、言ってニッコリと笑った。笑顔にはえくぼが浮かび上がり、真っ白い歯が目立って見える。明るい性格なのだろうと思わせた。
「池田と申します。ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いいたします」
 差し出した手土産を大事そうに受け取った良枝は、頭を深々と下げ、挨拶をした。後ろで吾郎も同じように頭を下げたが、吾郎の目は、奥さんの方に向けられていて、旦那の方がどんな顔だったのかすら、その時は意識していなかった。
作品名:死がもたらす平衡 作家名:森本晃次