小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

死がもたらす平衡

INDEX|3ページ/45ページ|

次のページ前のページ
 

 と感じたのは、数字を追いかけることが一番で、表まわりや客と接することのない営業の仕事というのも、不思議な感じだった。
 真面目な性格と、学生時代に理数系を出ていて、成績もそれなりによかったので、抜擢されたというところだろう。
 他の支店にも同じような部署があるが、他に比べて、吾郎の支店は、それほど切羽詰った部署ではなかった。なかなか覚えられないのは、自分の中で仕事自体に納得できないところがあったからだろう。納得できないことには、実力を発揮できない性格であることを知ったのは、この時だった。
「真面目な性格というのは、損をする時と得をする時とでは、圧倒的に損をする方が多いのかも知れないな」
 と、自分の性格をひがんでみた。
 元々、自分が真面目な性格で、しかも悪い方に真面目であることを分かっていただけに、あまりありがたい性格ではないと思っていた。
 二年目のある日、急にまわりの心証がよくなったことに、最初は不思議だった。
「今までと変わっていないはずなのに」
 と思っていたが、気持ちの中で、仕事をする意義が、漠然として分かってきたことで、仕事がはかどるようになったのは自分でも分かっていたが、それがまわりの心証の良くするなどということになるとは、思ってもみなかったのである。
 やっと人に追いついてからの吾郎は、仕事の面では、人よりも上に行かないようにしていた。あまり目立たない性格がそうさせたのだ。
 営業の仕事をしていると、えてして、人を押しのけてでも上に上がろうとする人が多いが、中には野心家の人がいて、少し成績を伸ばすと、露骨に嫌がらせを受けるのを見ることがあった。
 吾郎の場合は、そんな心配はなかった。人を押しのけるような気力を仕事に持っているわけではない。とりあえず仕事を無難にこなすことができるようになると、後は趣味である小説に没頭する毎日だった。
 会社で残業することもなく、仕事が終わったら、まっすぐに帰って、小説を書く。そんな毎日が一年くらい続いたであろうか。
 それから、パソコンをノートパソコンに変えると、今度は、部屋ではなく、喫茶店で書くようになったのだ。
 部屋の近くにある喫茶店、その頃は、まだ家は会社の近くにあった。会社から二駅ほどのコーポを借りての一人暮らしだったが、駅からはやはり十五分くらい歩く距離だった。
 駅を降りてから喫茶店までは、帰り道から、少し入ったところにあるこじんまりとした店だった。明るめの店で、音楽も軽音楽で、小説を書くにはちょうどいい環境でもあった。会社の帰りに立ち寄ると、午後七時近くである。店は九時くらいまで開いているので、時間的にも十分ある。
 小説を書く量は、大体その日のノルマとして自分に課していた。ノルマなど別に立てる必要はなさそうに思うが、自分で目標を立てておかなければ、なかなか進まない。それも真面目な性格が災いしているようで、それでも、慣れてくると、却ってやりやすさを感じるのだった。
 仕事が終わって、家に帰るまでに趣味をしていると、趣味というのが、これほど充実した時間を与えてくれるものなのかと思うほどだった。仕事で嫌なことがあっても、小説を書いていれば、精神的な癒しになるだろう。
 喫茶店で最初の一時間集中して書いていると、十分に、充実した時間を満喫した気分になる。まわりから、
「なかなか楽しみな時間だね」
 と言われると少し嫌な気がした。確かに小説は趣味で書いているのだが、自己満足を味わいたいと言う気持ちが強く、楽しみで書いているという意識はない。ノルマを課しているからなのかも知れないが、それがないと進まない。どこかジレンマに襲われた気がしてくるのだった。
 喫茶店で毎日書いていると、書いている時間が長いと感じられる時、あっという間に感じる時様々だ。あっという間の時がほとんどなのだが、それは集中しているため、まるで別世界にいるような気持ちになるからだった。
 時間を超越しているような感覚を味わうのが、小説を書いている時の醍醐味だった。
 この醍醐味を味わっていると、小説のジャンルも、ミステリーから、ホラーまで書けるのではないかと誤解してしまうこともあるくらいで、一度書いてみようと考えたが、難しかった。ホラー自体、自分が好きではないので、好きではないジャンルを書くことは、やはり難しいのだ。
 それでも、他のジャンルを書いてみようと思い、恋愛モノに挑戦して、何作か書いてみた。良枝にも見てもらったが、評価は微妙だった。さすがに男性が恋愛モノを書くのは難しいのかも知れない。
 仕事にも慣れてくると、仕事半分、趣味半分の毎日が続いた。そんな中で、時々良枝に会ってデートをする。
 良枝の方の趣味であるデッサンは、そのまま続けていた。デッサンのコンクールに応募することもなく、ただの趣味として描いているだけだが、一度シナリオで賞を取っている良枝は、
「もう、賞を取りたいという欲もなくなってきたわ」
 と言っていた。
 小説を書いては、コンクールに応募して、いまだに結果が出ない吾郎には、理解できない発想だった。
「賞を取ったら、どんな気分になるんだろう?」
 賞を取れば有頂天になるのは分かっている。だが、その後自分はどう考えるだろう?
 良枝は、それまで頑張ってきたシナリオの道をアッサリと捨てて、違う道を歩み始めた。同じ芸術ではあるが、シナリオと、デッサンではだいぶ違うもののように思える。
「これが良枝の性格なのかも知れないな」
 普段優しい性格の良枝だが、簡単に乗り換えられるところが、少し引っかかってもいたのだ。
 仕事が終わって喫茶店で、毎日のように小説を書くことが日課になってしまい、最初は、日課としてノルマのように思っていたが、長く続けていると、書かない方が気持ち悪く感じられる。慣れてくるとそんなものなのだろう。
 熱いお湯のお風呂に入った時、最初は熱くてたまらないが、慣れてくるとまるで包みこまれるような気持ちよさを感じる。それと同じではないかと思う吾郎だった。
 毎日が平凡で、ほとんど変わらない生活だったが、時々、まったく同じ毎日に不安を感じることがあった。会社の同僚に少しだけ不安を打ち明けてみた。こんなことは、女性の良枝に言えないと思ったからだ。
「どうも、毎日同じことの繰り返しで、平凡な毎日なんだけど、本当にこれでいいのかって思うんだ」
 すると、同僚は、
「何言ってるんだよ。平凡な毎日を過ごすことが難しいんじゃないか。精神的にも平凡な毎日が送れるのは、羨ましいと思うぞ」
 同僚の話を聞いていると、誰もが平凡な暮らしを営んでいるように見えていたのに、急に、見えているものとは違う現実を感じた気がした。
 ハッキリと見えるわけではないが、表面上に見えているものが本当の現実ではないと思えてくると、同僚の言葉が何となく分かってくる気がした。
 平凡な毎日がどこまで続くのか分からないが、疑念を抱くことを溜めることにした。
 それから五年ほどがあっという間に過ぎていた。平凡な生活であったわりには、気が付けばあっという間だったというのは、本当に、何も意識せずに過ごしてきた証拠なのかも知れない。その思いから、目を覚まさせてくれたのが、良枝だった。
作品名:死がもたらす平衡 作家名:森本晃次