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死がもたらす平衡

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 飯田が良枝に悪戯をしてしまった遠因は、この時の頼子の行動にあった。頼子は飯田が良枝に悪戯したことを知らない。誰かに何かしたかも知れないとは思ったが、ハッキリとした確証はなかったのだ。
 ただ、飯田の異常性格は頼子には分かっていた。そして異常性格の発端を作ったのは自分だということも自覚していた。後ろめたさなどという生易しいものではない。完全な罪悪感である。それが死に至らしめたのだとすれば、自分は許されないだろう。頼子はさらに自分を苛めた。
 結婚したのも、本当は飯田から逃げ出したいという気持ちもあったからだ。自分が親のいいなりになっていることへの子供なりの苛立ちが、弟に対しての悪戯に繋がったのは間違いないが、飯田が、自分を意識して苛立っていたのは、親に対しての態度であるが、潜在意識として、悪戯をされたことだということを感じていたとすれば、頼子はどうすれば救われるというのだろう。頼子は自分を際舐め続けるしかないのだろうか?
 悪い方にばかり考えると、いくらでも落ち込んでしまう。四十九日が過ぎたのを機会に少しは楽になろうとも考えていた。
 頼子は、墓参りを欠かさないことで、償いを続けようと考えた。もう、自分で自分を苦しめる必要もないからだ。
 理屈では分かっているつもりだが、どこまで自分を慰められるだろう。まわりに悟られないようにすれば、次第に自分も忘れて行くのではないかと思うようになっていた。
 飯田は、自分の姉が好きだった。頼子をずっと頼りに思っていたのだが、それは、自分の中にトラウマがあって、そのトラウマのせいで子供の頃に良枝に悪戯してしまったことへの気持ちをどう整理していいか分からなかったからだ。まさかその元凶を作ったのが姉であるなど知る由もなかったことは、実に皮肉なものである。
 しかも、その原因が親に逆らえない姉の性格であった。これは持って生まれたもので、遺伝であったかどうかまでは分からなかったが、姉への思いの妨げになったことは事実だった。
 妨げではあったが、姉への思いを弱めるものではなかった。ただ、その思いがあることで、
「姉を逃がさない」
 という思いを強く持っていた。
 頼子には、一つ気になることがあった。
 あれは頼子が結婚してから二年目のことだっただろうか。その頃事故に遭いかけたりしたことがあった。時期的には比較的に近かったので、しばらくの間、表に出るのが怖かったのだが、それを誰にも言わないでいた。結局、二回ほど事故っぽいことがあっただけで、気にしなければ大したことではないように思えたことだったが。頼子には怖い思い出として残っていた。
 それまで家に何度も遊びに来ていた飯田が、急に来なくなったのはその頃で、ホッとした矢先のことだったので、
「一難去ってまた一難。私はついていないことにずっと巻き込まれていくのかしら」
 と思ったほどだ。
 弟が訪ねてくるのを、ついてないこととして片づけるのはどうしたものかと思っていたが、頼子にはその頃、精神的に参っていたせいもあってか、感覚がマヒしかけていたのだ。それだけ悪いことがあれば、すべて同じであるかのように、片づけようとしていたのだった。
 ただ、危険な目に遭ってはいたが、それが誰かの手による人的なものであるという発想はなかった、
「ついていないだけ」
 と、あくまでも偶然が重なったということで片づけたかったのだ。
 頼子は結婚してからも専業主婦にはならず、仕事をしていた。危険なことがあった時は、体調不良を理由に会社を一週間ほど休んだが、家にいると、却ってロクなことを考えないような気がした。
 何度か、近くの喫茶店まで出かけたことがあったが、家からは五分もかからない場所なので、それほど危険はないと思っていた。それくらいで危険があるなら、家にいても一緒ではないかと思ったからだ。気分転換をしない方が、本当に病気になってしまいそうで怖かった。
 その喫茶店では、雑誌を見ていたが、雑誌に載っている小説を見て少しビックリした。そこに書かれているのは、弟が姉を狙って殺害を企てているところだった。姉とは血が繋がっていないという設定で、姉にだけ遺産が転がり込んでくるようになっていることを逆恨みしたという内容だった。
「まさか……ね」
 自分が何をその時に考えたか、口にするのも恐ろしい。自分には遺産が転がり込むような環境は持っていないし、弟と血が繋がっていないなど、考えられなかったからだ。
――血が繋がっている?
 血の繋がりを考えて、思い浮かんだのが、自分が子供の頃にした弟への悪戯を、弟も誰かにしなかったかという危惧であった。少なくともそんな話は聞いていないが、絶対にないとは言いきれない。血の繋がりとは、逃れることのできないことであるのは、自分が一番分かっているからだ。
 血の繋がりの意識があるから、頼子は親のいいなりになっているのだ。血の繋がりをどれほど憎んだことだろう。もしこれが遺伝だとすれば、自分の子供がどうなるというのだろう。今はまだ夫が子供のことに触れることはないが、
「子供がほしい」
 と言い出したら、素直にしたがうことができるんだろうか?
 子供のことを口にはしないが、一緒に歩いていると、子供を見る目が、最初と変わってきているのが分かっていた。
――この人は、子供が好きなんだわ――
 最近そのことに気が付いたのか、それとも子供をほしいと思うようになって、本当は子供が好きだったことを思い出したのかのどちらかではないだろうか。
 雑誌に載っている小説を読んだ頼子は、弟が訪ねてこなくなったことが少し気になっていた。
 今までは、訪ねてくるのを、億劫に感じる部分と、顔を見せてくれるのをホッとした気持ちで感じているのとで半々の気持ちだったが、訪ねてこなくなると、今度はまったく正反対の半々の気分を味わっていたのだ。
 来ないなら来ないで心配になっていた。普段から何を考えているか分からない弟だったので、顔を見せてくれるから安心できたのだ。訪ねてこられた時はそこまでハッキリと分かっていなかったが、来なくなると、気になって仕方がない。そこに持ってきての喫茶店で読んだ小説だったのだ。それだけ弟に対しての感情が微妙だったということであろう。
 弟がまさか自分を「逃がさない」などと思っているなど、想像もできないことだった。
 頼子は弟の視線には敏感なつもりでいたのに、意外と知らなかったことが多いことに愕然とした。弟が死んだこともそうであるし、死んでからも他の人が弟をどのような目で見ていたかなど、まったく知らなかった。
 知らなかったというよりも、知りたくなかったと言う方が正解かも知れない。自分と弟のことは誰も立ち入ることのできない神聖なもので、他の人から見れば、禁断の世界であるはずだ。その思いが頼子には強くあり、唯一二人の間の共通した認識ではなかったであろうか。
 二人だけの世界を作っているつもりでも、二人の間の距離は、かなり離れていた。他の人が見れば、
「本当に姉弟なの?」
 と思うかも知れない。
作品名:死がもたらす平衡 作家名:森本晃次