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死がもたらす平衡

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 飯田の姉がお参りした時に気が付いた墓には、新しく綺麗な花が活けてあった。さらに花の横には、ライターが置いてあった。見覚えのあるライターで、それは飯田が以前から大切にしていたライターと同じものだった。
 飯田が持っていたライターは、飯田が荼毘に付された時、一緒にお棺の中に納められたはずである。ということは、誰か飯田が同じものを持っていて大切にしていたことを知っていた人物ということになる。よほどの知り合いでもなければ、そんなことはしないだろう。
「姉の自分以上にここまでできる人がいただろうか?」
 姉はそう思って、いろいろ考えてみたが、思い浮かばない。飯田はどちらかといえば変わり者で、友達も少なく、恋人もいなかったようだ。
「恋人がいれば分かったはずだわ」
 と思う。
 一体誰の仕業なのか、姉はしばらく佇んでいたが、分かるはずもなく、少し気持ち悪さを残して、そのまま墓地を後にした。
 お供え物は、ここ数日の間に供えられたものであろう。雨に濡れていたわけではなかったからだ。確かに最近は雨が降っていないが、最近で降ったのは五日前くらいだっただろう。一週間も経っていないこの場所で、誰か同じように弟の墓に手を合わせていたと思うと、少し安心した気もしたが、気にもなった。その人にとって飯田がどれほどの存在だったのかと思うからだ。
 男性である可能性は低いと思った。ライターを置いて行くのだから、女性の気がしたのだ。
「誰かに見つけてほしかったのかしら?」
 いろいろ考えてみたが分からない。とりあえず誰にもこのことは言わずにいようと思っていた。相手が分からないのであれば、いろいろ考えるだけ無駄だからである。
 飯田の墓にお供え物がしてあった日から数えて、ちょうど一か月くらい前だろうか。四十九日が開けて、それまで飯田のことを口にしていた人が、誰もまったく何も言わなくなった。
 姉はそれでもいいと思っていた。却って、下手に気にして尾を引かれるよりもよほどいいからだ。
 飯田のことを考えているのは自分だけだという思いが姉にはあった。
 飯田にとって一番気持ちが落ち着いて、唯一相談ごとができたのは、間違いなく姉だけだったからだ。それは自他ともに認めるもので、それだけに飯田が死んだと聞いた時の姉は、ショックが隠せなかった。
 姉の名前は頼子という。頼子は三年前に結婚して、実家の近くにマンション住まいをしていた。ここも偶然であったが、頼子も見合い結婚だった。別に男性と知り合うことがなかったわけでもないが、頼子は親の勧めを断ることができなかったのだ。
 頼子にとって親は絶対の存在で、子供の頃から、親には逆らえない女の子だった。そんな姉を見て育った飯田は、姉に対して不信感を感じながら、慕いたいという気持ちも人一倍持っていた。そんな姉も、飯田が自分を慕ってくれているのを百も承知だったが、親に服従している自分を嫌っていることを知らなかった。二人の関係は中途半端な感情で繋がっていたのである。
 頼子が結婚しても、何かと理由をつけて飯田は、姉の新居を訪れていた。結婚した夫は穏やかな性格の人で、飯田とは正反対だった。飯田はそんな義兄を疎ましいと思っていたことなど、頼子は知らなかった。
 頼子はなるべく自分に都合よく考える性格であった。それは親には逆らえない自分の性を少しでも精神的に和らげようとする自己防衛的な性格の表れなのかも知れない。そんな頼子の性格を飯田は知っていて、そのことも飯田には苛立ちを覚えさせる一つになっていた。
 だから、飯田が姉の新居をたびたび訪れるのは、遊びに行っているという単純な気持ちではない。見張っているという感じであった。表から密かに見張るのがいいのかも知れないが、仲に割って入る方が、いかに二人に迷惑を感じさせるかと思ったからだ。
「困らせてやろう」
 という気持ちが露骨に出ている行動に、頼子は少し不気味さを感じていたが、義兄は何も感じていないようだ。
「なんて鈍感なやつなんだ」
 と思ったが、
「こんなやつに姉さんは任せられない」
 という思いが強かった。
 その気持ちも頼子は分かっているつもりだった。
「もし、弟が自殺だとすれば、その原因は私に多少なりともあるのかも知れないわ」
 という思いがあり、弟に対してどう接するべきだったのかと、今さらどうしようもないことを考えて、鬱状態に陥った時期もあった。
 初七日が過ぎる頃までは、毎日のように弟が夢枕に立っていた。何かをいうわけではなく、ただ佇んでいるだけなのだ。
「どうして何も言ってくれないの?」
 自分を苛めているのが明らかに分かった。弟の上から目線など見たことはなかったし、見たくないことだった。
 それでも飯田は答えない。そして、ぷいと横を向いて、何もない空間を意識しているのだった。
「そこに何があるというの?」
 そこにあるのは、暗黒の世界で、どこまで続いているのか分からない。そして飯田が、再度こちらを見ることがないまま、目が覚めるのであった。
「夢か」
 毎日同じ夢を見ているにも関わらず、頼子はいつも夢であることを残念に思っているのか、それともホッとしているのか、考え込んでしまうのだった。
 やはり、残念に思っている気持ちの方が強かった。弟が何を考えて死んでいったのかが分からないと、永遠に自分を苛んでしまうことになるからだ。このまま忘れることのできない存在として、弟を感じ続けるのは、どれほどのことか、想像するのも恐ろしいことだった。
 隣で旦那は何も知らずに眠っている。仕事が忙しいので、なかなか構ってもらえないが、今はその方が好都合だった。自分の心の中の弱みを見られるのは嫌だったし、見られることで一番痛い思いをするのは自分だからだ。
「きっとこの人は優しく声を掛けてくれるだろう」
 それが嫌だったのだ。
「今は放っておいてほしい」
 足が攣った時など、まわりの人に知られたくないという思いに駆られることがある。それは知られることで心配されてしまうと、相手の心配そうな顔を見て、さらに痛みが増すからだ。だからなるべく知られないようにしようと我慢する。そんな心境に今の頼子はなっていたのだ。
 人のことを気にすることをなるべくしたくないと思っていた頼子だったが、どうしてそんなに冷めた目で見れるのかが自分でも分からなかった。
 それが弟に神経を集中させていたことで、他の人を見ることができなくなっていたのだった。
 一つのことに集中していると、まわりのことが見えなくなるという性格は、他の人にもあるとは思っていたが、頼子は自分の性格がそんな単純なものではないということを意識していた。
 そこには罪悪感があった。小さかった頃、自分の好奇心から、弟に悪戯してしまったことで、飯田が異常な性格になってしまったことを、頼子だけが知っている。これは、飯田本人に分かっていたかどうか、微妙なところだった。
 頼子の中で飯田を意識から消してしまうことができないのが、このトラウマを残してしまったからだった。
作品名:死がもたらす平衡 作家名:森本晃次