死がもたらす平衡
「ああ、そうだよな」
と、妙に納得した。冷静な茂の声を聞いて冷静さを取り戻したのだろう。そのあとは、形式的な話になった。茂はいまだに坂口が飯田の呪縛に捉われていることがよく分かった。坂口としては。その呪縛を解く前に相手がこの世から消えてしまったのである。不安に陥るのは、茂と違う意味で、かなり大きなものであろう。
ひょっとすると、茂よりも大きいかも知れない。いまだに呪縛が消えないのだから。
坂口に同情してしまう気分にもなってきた。ただ、自分も鬱状態、どうすることもできない。いずれ皆気持ちが明らかになることもあるだろうが、まずは飯田の冥福を祈るしかなかった。
飯田の死が与える影響についていろいろ考えてみたが、想像はつかなかった。それほど三人の関係が深かったということだが、本当にそれだけだろうか。
飯田の葬儀が終わると、少し二人とも精神的に落ち着いてきた。数か月もすれば元に戻るだろうと思っていたが、それは間違いではなかったようだ。それも後から思えばのことであるが……。
飯田という男は、学生時代から、人を驚かせることが好きだった。時々フラッといなくなることもあり、誰も知らないので心配になってみると、
「旅行に行ってただけさ」
と言ってとぼけているが、笑っているわけではない。笑顔をしていても、それは含み笑いでしかなく、何を考えているか分からないところがあった。
そんな飯田を最初から危険な存在だと思っていたのが坂口だった。坂口は神出鬼没で、何をするか分からない飯田のことを毛嫌いしながら、怯えていたのだ。その思いが、
「やつには頭が上がらない」
というイメージを作り上げたのだが、なぜか飯田は茂に対して同じ思いを抱いていたのだ。
「君こそ、僕は何を考えているか分からないと思っているんだ」
飯田の話を聞いてみると、いつも坂口に怯えているように見えているが、実際には、怯えているわけではなく、何かを企んでいるように見えるという。
「そんなことはないさ」
というと、
「君の態度は他の人と坂口に対しては全く違う。怯えているからなのかと思ったけど、避けているわけではないんだよね。坂口を遠ざけるのが却って君にとっては不安に思えるようだ。だから、俺は君のような何を考えているか掴めないところのある人間には一目置いてしまうのさ」
頭が上がらないというより、一目置いているという。頭が上がらないのとでは違っているのだ。
茂は、飯田が何を考えているか、手に取るように分かっていた。理屈ではかなわないが、考えていることが分かるだけに、話をする分には、対等な気がしたのだ。
だが、飯田は明らかに茂に対しては適わないところがあると思っている。三すくみの関係を保とうという意識を誰が一番持っているかと言えば、飯田だっただろう。
三すくみの関係があるからこそ、自分の精神状態を平常に保つことができるというのは、三人が三人とも感じていたことだった。もちろん、その度合いには個人差があり、一番強いのが飯田で、その次は坂口、茂が一番低いようだ。だが、意識はそのまったく逆、冷静に見えているのは、茂であった。
人を驚かせるのが好きなのは、子供のすること。飯田は、いつまでも少年の心を忘れないようにしていたようだが、そのことを一番理解できないのは、坂口であっただろう。
ただ、今回死んでしまった飯田を考えると、
「飯田らしいな」
と、人を驚かせる究極の選択が、「死」だったとすると、それを一番に感じたのは茂だった。
飯田は、学生時代、良枝が好きだった。そのことは誰にも話をしていなかったが、知っていたのは坂口だった。
「茂には言わない方がいいかも知れないな」
好きなくせに、何も言えないでいた飯田に対し、坂口は助言した。
飯田は坂口の助言を受け入れた。このことに関してだけは、対等な立場での意見だっただろう。坂口も一時期、良枝を好きになったことがあったが、自分とは合わないと思ったことで、すぐに諦めたのだ。
飯田はすぐに深読みするところがあった。深読みして、自分の読みが正しいかどうか、確かめてみないと我慢できない性格だった。
茂の場合は、深く考えることがあっても、それを確かめようとまでは考えない。行動してしまって、間違った方向に考えが進んでしまうことを恐れたのだ。
坂口はというと、ちょうど二人の間くらいに位置していて、ある意味、彼が一番その他大勢、平均的な人に性格的なものは似ていたのかも知れない。後の二人は、それぞれ極端なところがあり、一直線の線で結ぶと、二人の間に挟まれている関係になってしまうようだ。
深読みする飯田にとって、冷静に考えられないところは致命的だった。飯田を、
「危険な人物だ」
と評していた坂口の目も、あながち間違っているわけではない。
坂口の場合は、自分の意図した考えとは少し違ったことでも、理屈を考えれば間違っていないということが多い。考えすぎない性格で、それでいて自分にある程度の自信があることで、大きな間違いを起こすことがないのだろう。
極端と極端を掛けあわせれば、案外まともになるのかも知れないと感じる坂口だった。その考えは坂口を見ている茂も飯田も、坂口が身を持って示してくれているということを実感しているのだった。
危険な人物である飯田が死に、三すくみが崩れたことを、卒業してからのことなので、別に関係ないと思っているのは、実は坂口の方だった。最初は怯えから震えが来たりしていたが、今では関係のない人間と思っていることで、別に怖がる必要もないのだ。葬儀の厳粛な雰囲気の中で、一人だけ他の人たちと違う感覚を抱いているのだと思っていた坂口によって、飯田を思い出させるものがあるとすれば、学生時代、飯田が、
「旅行に行っていたんだ」
と言って、フラリと現れた時のことだろう。
あの時、飯田から、
「俺は良枝が好きなんだ」
と聞かされた時、良枝のことで、あることないこと吹き込んだのは、坂口だった。ほとんどが大げさなことであり、まるで良枝が片っ端から男の子に手を付けて、嫌になったらすぐに手放すような性悪女であるかのごとく吹き込んだ。
しかも淫乱で、
「相手は誰でもいいのさ」
と、下品な発想まで吹き込んでしまったので、本来なら坂口は、誰の前にも姿を見せることができないほどのことをしたのに、まったく悪びれた様子はなかった。自分で、悪いことをしたという意識がないのだった。
下品な発想は、坂口の中にも良枝に対して、大きな影響を及ぼす記憶になった。自分が良枝を見る目は、明らかに淫乱な女を見ている目だった。本当はそんなことを考えているわけではないはずなのに、人に思いこませるためについたウソが、自分の中に意識として定着させるのだった。
「因果応報とはまさしくこのことなんだな」
結局、自分に降りかかってくる。
「人を呪わば、穴二つ」
というではないか。人に対しては計算高く見ることができるくせに、自分には変な自己暗示を掛けてしまう。
「こいつは要領が悪い」