死がもたらす平衡
「そうですね、神経質になりすぎると、却って考えなければいけないことが疎かになってしまうかも知れないですね。良枝さんのいうように、気持ちに余裕がないといけないのかも知れないわ」
と、自分で納得しながら、良枝に答えていた。
「じゃあ、会ってみるのね?」
「ええ、会うだけはやっぱり会わないとですね。その上で、自分の思っていることをまわりの人に言うようにします。実際に今誰かを好きだと言うわけでもありませんから、せっかくのお誘い。私なりに楽しんでみます」
「そうよ、その通りだわ。その時を楽しむことができれば、本当にいい人なら結婚すればいいし、その時に、お見合いの経験が生きてくるかも知れないわね。勧めてくれる人だって、あなたに合うと思っているから勧めてくれているのよ」
どこまでが本心か分からないと思いながら、せっかくその気になった優子を励ましてあげるのが、良枝の仕事だと思ったのだ。
良枝が結婚を決意したのも、実は友達の助言からだった。
「そんなに悩んだって仕方ないって。あんたは、考えすぎるのがたまに傷なのよ」
「どういうこと?」
「人には、悩まないといけない人もいれば、悩むだけ損な人もいる。あなたの場合は考えすぎるところがあるのよ。考えすぎると、決していい方には行かないでしょう? 多分、次第に同じところをグルグル回っているって思ってこない?」
「ええ、その通りなの」
「堂々巡りを繰り返しているということは、それだけ同じことを何度も考えているということでしょう? 自分でも深く考えているって思っているのよね。でも実際には最初に深く考えているので、それ以上考えるのって難しいのよね。それをまた深く考えようとすると、今度はロクなことを考えないようになる。そうなると、いわゆる泥沼というやつで、結局出てこない答えを勝手に探してしまうことになるのよ。だから、考えるだけ無駄だって、私は言いたいの」
言っていることは、結構厳しいことを話しているようだが、気持ちは分かる気がする。逆にきついことであっても、ズバリ言ってくれる方がいい時もある。それで目からウロコが落ちることもあるくらいで、その時の友達の言葉は、まさにその通りだった。
良枝にはそこまでハッキリという勇気はないが、人を説得するというのが、どれほど難しいかということを思い知らされた。それだけにやりがいはあり、友達を作っておいてよかったと思えるのだった。
良枝は優子との話に夢中になっていて、時間が経つのを忘れていた。同じ集中している時でも、自分が人を説得している時は、時間はあっという間に過ぎている。
「まるでシナリオを書いている時のようだわ」
シナリオを書いている時も、人を説得する時も、自分の世界に入り込んでいる。それが時間を感じさせない一番の理由になるのだ。
優子と知り合えたことが、良枝にとって、この街に来て一番いいことだった。確かに新婚生活を始めたこの街なので、新婚生活が一番であるが、それをさらに高めるという意味でも、優子の存在はありがたい。
「まるで生活の中に一滴のエッセンスが垂らされた気分だわ」
と、目を瞑ってうっとりして香水を嗅いでいるかのような気分であった。
優子のような女の子のことを、以前シナリオで書いたことがあったのを思い出した。
「どこかで会ったことがあるような気がする」
と思ったのは、会ったのではなく、
「自分で作った存在の人」
だったからだ。
優子のように自分を前面に出すオーラを持っていながら、どこか自分に自信がないという表から見ると、不安定に見えて、何とかしてあげたいような存在。
「どこかで実際にそんな感じの人を知っていたような気がする」
と、思ってハッとした。
男と女の違いがあるが、雰囲気は茂に感じたものだった。自分を前面に出すオーラがあることなど、本人には分からなかったが、自分に自信を持てないところは、人に頼りたいと思うところが大きい。しかもたくさんの人ではなく、自分が意識できる唯一の人、本当は茂の相手が自分であればよかったのだが、タイミングが悪かったのか、押しの強いオンナに取られてしまった。
優子に対してはそんな思いはしたくない。もし、結婚したとしても、親友である自分の方が、結婚相手よりも存在としては大きいはずだと思いたいのだった。
「優子にとっての最高の相手は良枝だ」
ということは、二人の間だけで分かっていればいい、そんなことを思っているうちに、茂が新婚で隣に引っ越してくることになるなど、本当に皮肉なことであった。
「こんなことってあるんだわ」
良枝は運命の悪戯に対して、苦笑いをするしかなかったが、それも優子という存在がいるからで、そうでなければ、どんな気持ちになっていたか、想像しただけでも怖い気がした。
その頃には優子も結婚の意志を固めていた。会った人はいい人だったらしく、
「結婚するなら、気が変わらないうちに」
と、その気になっているのは、相手よりも優子の方だと思えるのだった。
「結婚なんて、本当に縁とタイミングと勢いなのかも知れないわね」
良枝が感じていることを、優子も口にした。結婚を考えた人は皆、同じことを一度は考えるものなのだろうか?
優子の結婚相手について話を聞いたことはなかった。もし、話したいのであれば、自分から話すはずだからである。話さないということは、話したくないということに思えるのは、優子に対してだけだった。
話したくないからといって、秘密にしておきたいということであったり、知られたくないということではない。もし聞いたとしても、
「私もまだよく分からないの」
という答えが返ってくるに決まっていると思ったからである。
それは単純な発想で、良枝と優子はお互いに単純な発想で繋がっていて、だからこそ、お互いのことがよく分かるのだと思っている。まるで言葉を発しなくても、空気の振動で相手の考えていることが分かるのではないかと思うほど、お互いの距離に近さを感じていた。
だが、優子が結婚してから、しばらくは音信不通状態だった。知り合ってから結婚までがあまりにも早かったので、お互いに気を遣う毎日なのだろうと思ったからだ。
さすがに結婚までの交際期間が長かった良枝には、分からないところだった。優子が結婚を決めるまでがあまりにも早かったので、いくら結婚は本人次第だとは言え、良枝の中に考え深いものが残ったかのようだった。
「結婚って、何なんだろう?」
優子を見ていて、そう感じた。しかも隣の茂も見合いだという。交際期間が長すぎるのも、
「長すぎた春にならないようにしないとな」
と、知り合いから忠告されたので、あまりいいことではないのだろうが、ほとんどお互いを知らずに結婚することに新鮮さを感じなくもないが、だからといって賛成できるものではない。良枝の中では、到底理解できる範疇ではないのだった。
優子が結婚してから、お互いに連絡を取らなかったが、忘れていたわけではない、久しぶりにと連絡を取ってきたのは、優子の方だった。
「久しぶりにお食事にでも行きませんか?」
優子は結婚してすぐに、馴染みの美容室を辞めていた。どうやら、坂口が専業主婦を望んだらしい。