死がもたらす平衡
優子の触り方は、絶妙だった。人気があると言うのも分かる気がする。優子を目当てにやってくる客もいて、店の繁栄を担っているのは、優子であると言ってもいいくらいで、オーナーには重宝がられていた。
優子は性格的におだてられると調子に乗るところもあって、非常に使う方からすればありがたい方だ。調子に乗るとそれだけ、スピードも速くなり、スピードを上げてもサービスに変わりがないところが、優子のすごいところだった。
優子と良枝はすっかり意気投合し、仲良くなった。さらに偶然バッタリ表で出会ったりしたものだから、余計に仲が深まって行ったのだ。
あれは、夕方の買物帰りの時だった。仕事が半日で上がっていい日だったので、駅前のスーパーで買い物をし、ついでに喫茶店で、少し遅い昼食を摂ろうかと思って歩いていた時のことだった。
駅前のスクランブル交差点で、声を掛けてきたのが、優子だった。
良枝は、いつも歩いている時は、何かを考えているせいか、ボーっと俯き加減で歩いていることが多かった。
声を掛けられても気づかないことがあるくらいだったが、その日は、しっかりと
「良枝さん」
と、名前を呼ぶ声にドキッとして顔を上げたのだ。
聞き覚えのある少し高い声、懐かしさを感じるほど、ずっと聞いていなかったような錯覚を感じるほど新鮮だった。だが、声を聞いて顔を上げた瞬間、相手が誰かを確認する前に、いつも聞いている声だということを思い出し、顔を見るまでもなくそれが優子であることが分かったのだ。
「優子さんじゃないですか」
「どうしたの? 今日お仕事は?」
「ええ、半日だけだったんですよ。優子さんは?」
「今日はお休みよ」
と言われてハッとした。そういえば火曜日だった。美容室の定休日ではないか。
それにしても、お互いに休みが合うことなどないと思っていただけに、しかも、こんなに人通りの多い交差点で、よく見つけたものだ。偶然が重なったとしか思えない再会に、二人は新鮮な気持ちを新たにしていた。
「今からどちらに?」
「ええ、どこかに行く予定もなく、スーパーにでも行ってみようかと思ったんですが、どうですか? 今からお時間があるなら、少しコーヒーでも飲みながら、女同士でお話しませんか?」
と、言われた。
「女同士」
という言葉が少し気になったが、
「いいですよ。ちょうど、私も遅い昼食をしようと思っていたところなんです。ところで優子さんは昼食は?」
「いえ、まだなんです。時間的にも中途半端だったので、いらないかなとも思っていたんですが、せっかくお会いしたんだから、私も食べようかしら?」
「そうしてください。一緒に昼下がりの遅いランチタイムというのも、いいものですよね」
優子はさすがに美容師をやっているだけに、店はたくさん知っていた。中には自分のお客さんが勤めているというお店もあったり、お客さんからの口コミも結構あって、話だけ聞いていて、いずれは行ってみたいと思っている店も多いようだ。
その中から一つ、パスタと紅茶のおいしいお店を紹介された。
「私も行ったことなかったんですが、次に行く機会がある時は、このお店って決めていたところがあるんです。ご一緒しませんか?」
「ええ、ぜひ」
話を聞いてみると、良枝も一度雑誌で紹介されているのを見て。一度行ってみたいと思っていた店だった。雑誌には店の雰囲気、料理の画像、メニューの紹介、値段などいろいろ載っていた。
「いつになく、楽しみですわ」
「優子さんなら、いろいろお誘いがあるんじゃないですか?」
「そんなことはないですよ。お誘いされても、なかなかご一緒できるタイミングもありませんしね。それに私は気に入ったお店には一人で行くことが多いですから」
「今日は特別なんですか?」
「いえ、良枝さんとは以前からご一緒してみたいと思っていたんですよ。一緒にお話しながら食事をしたら、さぞかしおいしいだろうなって気がしてですね。他の人だと会話に集中すれば、食事の味が分からなくなりそうだって思うんですけども、良枝さんとでしたら、食事を会話と同時に楽しめる気がしたんです。それだけ気持ちに余裕が持てそうな気がするんですよ」
と言ってくれた。
「ありがとうございます。ちょっと買い被りすぎかも知れませんよ」
「いえいえ、ご謙遜を。私は謙遜する人って、あんまり信じる方じゃなかったんですが、良枝さんは特別なんですよ。嫌みがないからなのか、それとも私が言いたいことを、良枝さんは分かってくれて、その上で話をしてくれているように思えるんですよ。相性がいい証拠なのかも知れないですね」
相性のよさは、美容室での会話から感じていた。優子も同じように感じてくれているようなのが嬉しい。
優子もこの街に引っ越してきてから、友達がいないのは寂しかった。前に住んでいた街とさほど遠いわけではないが、どうしても電車に乗っての移動となると、縁遠くなってしまう。電車の待ち合わせ時間などを考えると、それだけで億劫になってしまうのは、主婦になった証拠だろうか。
この街で初めてできた友達が優子だった。新婚生活で初めてできた友達だということも言える。そういう知り合いは大切にしたい。何かと心細い中で、オアシスを見つけたようなものだからだ。
食事をしながら優子の話を聞いてみると、どうやら優子には結婚の話が持ち上がっているという。
「ええ、オーナーの知り合いの人らしいんだけど、会うだけ会ってみれば? って言われているの」
優子の心配も分からなくはない。
「会うだけ会ってみれば?」
と言われても、会うだけですめばいいと思っているのだ。何しろ勤め先のオーナーの誘いである。会社で言えば、上司、さらには社長からのたっての願い、断ることができるかどうかを考えると、憂鬱になるのも仕方がないことだ。
もし、優子の立場なら、自分も悩むことだろう。だが、会わなければいけない状況にはあるようだ。
「とにかく気持ちを大きくもつこと。あまり神経質になる必要もないと思うわよ。相手を見る目が曇ってしまっては、それが一番の問題なんですからね。まずは、相手の欠点を見つけるのではなく、いいところを探してみるのが一番だと思うわよ」
「はい、写真を見る限りでは、誠実そうな感じの人なんですけどね」
「会ってみないと分からないと思うし、まずは、会う前からそんなに神経質になっていては神経が持たないわよ。しっかりするということは、気持ちに余裕を持つのと同じ意味なんですからね」
とまるでお姉さんのような言い方になってしまったことにしばらくして気が付いた。自分がどれだけ真剣な顔で説得しようとしていたか、恥かしさがこみ上げてきた。きっと次第に顔が真っ赤になってきたことだろう。
「神経質になってムキになっていたのは私の方だったかも知れないわね」
と言いながら、良枝は自分の結婚について思い出していた。
――こんなに人に言えるほど、真剣に考えていたかしら?
そう思うとおかしくなってきたのだ。
「私も、そういえば、神経質にはなっていたけど、真剣に考えていたかどうかって言われるとよく分からないわ」
というと、優子も何かに気が付いたようで、