死がもたらす平衡
その女性は、吾郎のだらしないところをまるで自分がお姉さんのように、何とかしてあげないといけないと思っていたのだ。そういう意味では計算高いところがあるが、どこか要領の悪い坂口に同じものに見えたのだろう。
その女性は坂口と一緒にいる時に、名前は言わないが、吾郎のことを仄めかしていた。
「弟のような人がいて、放っておけないのよね」
というような話をしていたのだ。
彼女としては坂口にも同じだと言いたかったのに、坂口の方はそんな事情を知らないことで、相手の女に対して誤解を抱いた。付き合っているのに、他の男の話をされれば、確かにいい気持ちはしない。ただ、もっと彼女のことを分かってあげられればそんなことはなかったであろうに、誤解はどうしても避けられることではなかったのだ。
坂口と吾郎の似たところを知っていたのは、さしずめ彼女だけだっただろう、共通に知っていた良枝もそこまで感じたことはない。坂口を部長としてしか見ていなかったからだ。良枝は坂口に恋心を抱いたことはない。どうしても好きになれないのは、最初に計算高さに気付いてしまったからで、いくらその後要領の悪さに気付いたとしても、それはわざとらしさでしか見ることができなかったからだ。
だが、部長としてはそれくらいであってもいいと思っていた。尊敬とまではいかないが、自分にないところを持っている人だということで一目置いていたのも事実だった。坂口と茂が仲が良かったのは知っていたが、まさかいまだに付き合いがあるとは思っていなかった。男性同士の付き合いの方が、女性同士よりも深いということを知らなかったのもあるが、卒業してしまうと、皆バラバラという意識があったからだ。
吾郎には学生時代から続いている友達はいない。隣に引っ越してきた茂とも面識がまったくないわけではないはずなのに、初めて会ったと思っている。それだけ今までの年月が長かったということでもあるし、良枝との付き合いの長さが、吾郎を学生時代から完全に切り離してしまったのかも知れない。良枝はそれでもいいと思っているが、男性の吾郎にとってはそれでよかったのか、疑問に感じていた。
坂口と付き合った女性はほとんど長続きしなかった。坂口は一目惚れするタイプではなかったので、徐々に相手を好きになっていく。そして、本当に好きになったちょうどその頃に、相手から別れ話を突きつけられる。
毎度同じパターンに、坂口は閉口していた。
「どうしてなんだ?」
理由を聞いても、要領を得ない。皆同じ答えしか返ってこない。
「あなたは、私のことを見ていないのよ」
「だから、そんなことはない」
必死に訴えるが、
「自分の胸に聞いてみてください」
と言われるが、心当たりはない。
ギリギリまで我慢して開き直った時に別れを切り出すのだから、説得は不可能である。せめて理由だけでもと思っても、冷たくあしらわられる。これを毎回繰り返しているのだから、恋が成就することもない。
「やっぱり、年上の女性がいいのかな?」
坂口に興味を持ってくれる女性は、同い年か年下ばかりだった。何度も同じことを繰り返していくうちに、やっと原点に戻ってきたようだ。
「それならいっそお互いに知らない方がいいかもしれない」
親の勧めの見合いをいい機会だと思ったのだ。
これが坂口が見合いで結婚するに至った理由であった。
茂の方は結婚に至るまで仕事に打ち込んでいた。営業の仕事でしかも、月の半分は出張で女性と知り合うということもなかなかなかったからだ。
仕事に打ち込んでいると、一人の寂しさを感じることもあったが、寂しさは逆に毎日の仕事が癒してくれたりもした。一生懸命に働いていれば数字が付いてきてくれていたので、やりがいはあった。
それでも、茂に好感を持っていた女性もいたようだ。告白できるほど度胸があるわけでもなく、控えめに見守っているだけで満足だという殊勝な女性であった。茂は吾郎のように女性から好かれるタイプでも、坂口のように同情を引くようなところもない。それを思うと一番平均的で平凡な男性だったのだ。
それなのに、いきなり付き合った女性に騙されるような結果になり、それまで好きでいてくれた良枝を裏切ってしまったような格好になった。いくら自分が悪いとはいえ、
「どうして僕がこんな目に遭わなければいけないんだ」
と、運命を呪ったりもした。それでも卒業したことですべてを洗い流したような気になって、女性を好きになることはないと思ったほどだ。それだけ心に受けた傷は大きかったし、男性の友達も坂口だけに絞って、あとは仕事での付き合いにしていたのだった。
見合いしてみようという気になったのは、一種の気まぐれだったかも知れない。別にまわりから勧められたわけでもなく、軽い気持ちで登録したお見合いサークルがお見合いのきっかけだった。
お見合いに至るまでの気持ちとしては、坂口と似ていたかも知れない。ただ、坂口はその頃すでにお見合いの話が出ていて、茂と連絡を取ることを控えていた。遠ざけていたわけではないが、一人で考えたいという思いがあったからだ。考えてみれば、茂が見合いを考えた時も坂口に連絡していない。連絡しても坂口の方で話ができない状態にありそうだったのが一つだが、自分からどう話をしていいか分からないというのも本音だった。それを思うと、お互いに同じような時期、同じ考えでいたというのは偶然という言葉で片づけられないものではないかと思うのだった。
茂が由美を選んだ理由、ハッキリ何がよかったのか分からない。茂は知らなかったが、由美は学生時代に小説を書くのが趣味だった。ミステリーを書いていたのだが、知らなかったのは無理もない。由美は茂はおろか、他の誰にも自分が小説を書いていたなどということを話してはいなかったからだ。
由美の書くミステリーは、ホラーに近いかも知れない。トリックやサスペンスというよりも、人間関係を元にした深層心理を描く作品が多かったからだ。賞に応募したこともあったが、趣味の域を出なかったのと、女子学生が書くミステリーで、しかも深層心理を描くような話がそう簡単に認められることもなく、壁は厚かった。人に話さなかったのは、それが一番大きな理由だったのだ。
由美は、絶えず頭の中でいろいろなことを考えていた。吾郎と良枝のように考えすぎてしまう夫婦とは違い、論理立てて考えることが好きだったというのもあり、無意識にいつも論理を組み立てるように頭が働いていたのだ。それは、まるで考えることなしに心臓が動いているかのごとくで、くせというよりも無意識という言葉がピッタリであった。
ホラーと言っても、オカルトのようなものではなく、人間の心理の中に潜む気持ちの中に何かが潜んでいるというのが、共通のテーマだったようで、じわじわとくる恐ろしさは、やはりホラーではあった。
そのおかげか、いろいろなことが予知できるようになっていた。
「この人は将来……」
と思うと、かなりの確率で的中していた。
もちろん、誰にも言わない。下手に人にいうと気持ち悪がられてしまうからだ。他人に余計なイメージを与えて自分が損をするのは避けたかった。占い師が逆恨みをされるなどという話を耳にしていたからだ。