死がもたらす平衡
同じ見合い結婚だったのに、茂の方が遅かったのは、坂口の方がとんとん拍子の勢いだったというのもあるだろうが、茂の方には由美の方で、少し時間が掛かる事情があったようだ。
茂は詳しいことは知らないが、由美の家庭の方で、少し問題が発生していたようだ。二人には直接関係があったわけではないが、結婚には家庭同士の結びつきの要素もあるため、結婚式にも影響が出てくる。
それでも、秒読み状態だったことには違いなく、茂も由美も別に心配はしていなかった。
「元々、恋愛結婚のような交際期間が長いわけじゃなかったんですから、ゆっくり進めばいいんですよね」
というのが、由美の意見だった。
「そうだよ、交際期間を満喫すればいいのさ」
と、茂が返すことで、お互いにわだかまりもなく、スムーズに結婚を迎えることができたのだ。
しかし、交際期間は思ったよりも二人に影響を与えた。それほど長すぎたわけでもないのにである。見合い結婚は、本人たちの勢いではなく、まわりの勢いだ。結婚するのは本人たちなのに、自分たちでペースを乱すと、まわりから包まれている環境に異変が起こり、気付かないうちに、相性に亀裂が入らないとも限らない。
まわりからよほど冷静に眺めていないと気付くことではない。それに気付いたとすれば、坂口だったかも知れない。坂口は茂とは対照的に、勢いで結婚した。
「見合い結婚の方が、長続きするって言いますからね」
坂口の奥さんの言い分だった。まるで言い訳のように聞こえるが、坂口ももっともだと思っていた。やはり、結婚に勢いは必要だと思っていたからだ。
「知り尽くして結婚するのが本当にいいことかどうかですね。他の人のことを知らずに、極端に狭い視線から眺めているからなんでしょうね」
坂口の名前で、
「結婚しました」
という手紙を良枝に出したのは、奥さんの勝手な判断だった。
坂口という男、住所録に良枝の欄が残っていたのだ。
なかなかモノを捨てることのできない性格の人はいるようで、坂口もその一人だった。
奥さんが郵便を出してから、
「しまった」
と思ったが、あとの祭り。奥さんにそのことを言うわけにもいかず、言ってしまえば、夫婦仲が拗れるのは分かっていることだからである。
出してしまったものは仕方がない。もう、良枝と会うこともないのだから、気にする必要もないのだ。すぐに我に返ってそう思うと、今度は手紙を出したことすら忘れてしまっていた。
坂口の奥さんは、さすがに勢いで結婚しただけのことはあって、坂口の性格をほとんど把握していない。坂口も同じことだが、奥さんの性格的には分かりやすい方なので、なるべく怒らせないように気を付けている。分かりやすいということは、それだけ性格も直球なので、投げてはいけないコースに行ってしまえば、ホームランを浴びてしまうこともあるが、逆に言えば、それ以外のコースを投げてさえいれば、間違いなく打ち取れるのだ。
手探りの新婚生活は、それでも刺激があって楽しかった。坂口は刺激を求める方だが、奥さんはそうでもない。不安が先に来てしまい、頼れる相手は坂口だけであった。坂口にしてみれば、操縦しやすい相手であり、不安よりも刺激を楽しめるのだった。
そんな坂口と一月前に遭った時は、坂口は自分のことよりも、茂の新婚生活の方に興味があった。
――それだけ、自分の新婚生活に不安は少ないということか――
不安なことがあれば、人に相談してみたいのが、人間というもの。聞きたいことは山ほどある。
そう思った茂は、いろいろ坂口に聞いてみた。だが、坂口から返ってくる答えは、ありきたりの返事だけだった。
新婚生活に自信を持っていても、それを人に言えるだけの表現力と豊かな想像力を持ち合わせていない坂口に、少し失望した茂は、結局話題を変えるしかなかった。
だが、これも坂口の作戦でもあった。下手に自分のことを人に話したくはない。的確な答えを出して、さらなる質問をされてしまったらたまらない。坂口は、わざと質問が返ってこないようにありきたりなことを言って、
――この人に相談してもダメだ――
と思わせようとしたのである。
それにしても、坂口がこのように計算高い人だということを、良枝は知っていただろうか?
きっと知らないに違いない。サークル内では、要領の悪さだけが目立っていて、損ばかりしているように見えたからだ。
損ばかりしていた性格をどこかで変えたいと思って、心機一転、変えることができたとしても、こんなに細かいところまで計算できるかどうか疑問だった。
逆に要領の悪さを見せていた学生時代の方が、虚偽の姿だったのかも知れない。人を欺くことに掛けては、天下一品だったのだとすれば、一体何を信じていいのか分からないほど、ショックなことだったであろう。
もし、坂口が今、村田夫婦の前に現れれば、ややこしいことになるだろう。茂はそのことを分かっている。坂口の要領の悪さは本当であるが、計算高いところは茂には分かっているからだ。
坂口は久しぶりに茂と会って、自分たちの結婚について話をしていたが、お互いに見合いであることに偶然というより、呆れを感じるほどだった。それは相手が見合い結婚をしたことを聞いて、改めて自分も見合いだということを再認識させられたからだ。
「まさか、お前が見合い結婚するなんてな」
とお互いに言いながら、自分に言い聞かせていたのだ。
それぞれに付き合った人も少なくはなかった。その間に恋愛結婚しても不思議のない状態でもあったのだ。
「何が悲しくて」
と思っても仕方がないことではあるが、見合い結婚に対して、お互いにくすぐったい思いがあるのは事実のようだ。
それでも、見合い結婚は新鮮だった。知らなかった相手を意識していくうちに、次第に好きになってくるのを感じるからだ。恋愛にはない遠慮を相手に感じるのは見合いならでは、二人とも、感じているくすぐったさは、男女ともに、お互い遠慮し合っているところにあった。
坂口は学生時代、最初に付き合った女性は年上だった。
入学してすぐに演劇部に入ったが、当時部長をしていた先輩に気に入られて、しばらくの間付き合っていたのだが、それは良枝が入部する前のことで、良枝は知らなかった。
坂口は年上に憧れるというよりも、甘えん坊なところがあるので、どうしても、最初は年上になるだろうと思っていただけに、先輩の誘惑に簡単に乗ってしまったのも、無理のないことだった。
年上に包み込まれるような感覚は、甘えん坊の坂口は、身体が溶けるのではないかと思うほど、今までと世界が違っていた。
「あなたは、演劇部に入って正解かも知れないわね」
「どうしてですか?」
「あなたは、要領の悪いところもあるけど、その裏で、別の性格が蠢いているような気がするの。私はそんな性格のあなたを嫌いじゃないけど、気を付けないと、人から嫌われるかも知れないわ。そういう意味では演劇で、まわりを欺くようになるのも、一つの手かも知れないわね」
ズバリと指摘され、ビックリした。自分が要領の悪い性格であることを嫌悪していたが、まさか裏にもう一つの性格が潜んでいるなど、想像もしていなかったからである。