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死がもたらす平衡

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 郵便受けにあった坂口からの手紙、坂口は、良枝と付き合っていたわけではないが、良枝のことを好きだったようだ。茂に対して淡い恋心を抱いていたのだが、その時良枝の心の中には茂がいたのだ。
 そんな良枝を茂が裏切ったことで、良枝の中にポッカリと空いてしまった穴を、自分が埋めてあげようと思っていたところに、吾郎が現れた。坂口という男は、要領が悪いところもあり、それでもヘラヘラと笑っているところがあり、どこか憎めない性格なのだ。
 しかし、女性から見れば、これほど頼りない男はいないだろう。
 演劇サークルで部長をしていたと言っても、まわりから本当の信任を得ての就任ではなかった。誰もやりたがらないことを、人から言われて断りきれない性格の坂口は、半ば強引にまわりから引き受けさせられたのだ。
 それでも、良枝は彼をどちらかというと好きだったのかも知れない。当時の自分が誰かに頼りたいという気持ちが強かったので、坂口では物足りなかったのは事実なのだが、それでも、憎しからずという思いは、今でも持ち続けている。
 結婚してから一度も手紙などよこしてこなかった坂口だったが、内容を見ると、ドキッとするものだった。
「このたび、結婚することになりました」
 まるで他人事のような書き方は、昔のままであるが、結婚という言葉を見て、最初に感じたのが疑問だったのは、自分でもビックリだ。
 まさか今でも好きでいてくれているはずなどないのに、好きでいてくれていると思っていた人が結婚するということは、寂しさを感じるものだ。背中にすきま風が通りすぎて行く感覚であった。
 結婚する相手は、親の勧めでの結婚で、見合いに近いものだという。
「坂口さんらしいわ」
 控えめで、人から勧められると断りきれない坂口らしいと思ったのだ。
 茂も見合い結婚だというが、まさかそんなことなど知らない良枝は、
「見合い結婚というのは、坂口さんくらいのものよね」
 と、勝手に思い込んでいた。
 坂口が結婚した知らせを聞いたことで、今まで自分だけ幸せな結婚をして、新鮮な気持ちになれたと思っていたものが、今まで結婚していないと思っていた人の結婚話を聞かされると、今度は、相手に新鮮さを持っていかれたように感じてしまう。結婚した人間云々よりも、結婚したという事実の方が、重くのしかかってくるのであった。
「今の生活は十分新鮮な気がするのに、どうしてすきま風を感じるのかしら?」
 以前から感じていたことだが、その理由が半分、坂口からの手紙で分かったような気がする。もしあとの半分が存在するとすれば、それは茂によってもたらされるものに違いない。果たしてその思いを茂からもたらさられる日が、本当に来るのだろうか、良枝には不安半分、期待のようなものがかすかに漂っている気がしていた。

 茂は毎日を忙しく過ごしていた。新婚なので、張り切っているのも事実だが、まさか隣に良枝が住んでいたなど、まるで悪夢を見ているような気がしていた。
 仕事を一生懸命にしていれば、余計なことを考えないで済むという考えも頭の中にあった。
 どちらかというと、神経質で、さらに一つのことを考えると、他のことが目に見えなくなる。
 しかし、彼には悲しい性のようなものがあった。
 本人にはその気はないのに、誤解されやすい性格ということなのだが、まわりからは浮気性だと思われているようだ。
 実際に良枝の場合も裏切ったという意識はないのに、誰が見ても裏切ったようにしか見えない。それは自分自身でも誤解されやすいと思っていることが、相手に誤解を与えることになりからだ。
 学生時代に初めて見た良枝、完全に一目惚れだった。
「人を好きになるのに、理由なんていらない」
 などと言っていた友人の話を思い出す。
「そんなことはないだろう。理由があって好きになるんだからね」
 と答えた自分をハッキリと覚えている。
「恋愛は理屈じゃないのさ」
 いかにも理想主義的な話し方をする男だったが、あまりにも理想的な話し過ぎて、他の人では話が続かなかった。そんな話をしていたのが実は坂口だったのだが、良枝にもまさか坂口がこんな話をするなど想像できなかったかも知れない。理想主義者だったとは思っているだろうが、一人で考えるだけの発想だと思っていたからだ。
「俺だって、お前じゃないとこんな話はしないさ」
 もし、坂口に茂という友達がいなかったら、どうなっていただろう。そして、良枝が裏切られた相手が茂だと知ったら、どう思うだろう? この思いを抱く人は誰もいない。三角関係に見えて、どこか微妙に線が切れている。そんな関係、世の中にはたくさんあるのではないだろうか。
 坂口には一目惚れの経験はなかった。今もないようで、
――女性と付き合うとすれば、徐々に好きになっていった人と付き合うことになるだろう――
 と思っているくせに、結婚相手は親の勧めというのもどういうことなのかと思ってみた。
 一目惚れは、結局最初の良枝だけだった。しかも、裏切ってしまったような形になったことで、後悔の念は拭えない。その中に、
「好きになってしまったこと」
 というのが含まれているのも皮肉なものだ。
 茂は、今でも時々坂口に会っている。最近会ったのは、一月前のことだった。
 坂口は大学卒業後、就職した会社が広域なので、他県に転勤ということあった。実際に今は隣の県の県庁所在地にある支店で勤務していて、営業でまわることの多い地区だったこともあって、会える時は会おうということで、一致していた。
 坂口にとって、初めての一人暮らし。期待半分と不安半分だった。
 それでも一年経てば、土地にも仕事にも慣れて、さほど茂を必要としなくなったが、とかく二人は気が合うのか、どちらからともなく誘いを掛ければ、相手は断ることをしなかった。
 ちょうど、お互いに話をしてみたいと思う時、相手からお呼びがかかる。要するにどちらから誘いを掛けるかというだけで、相手は待っているのだった。
 これは気が合うというべきか、相性だというべきか難しいところだ。言葉で表すなら気が合うという方が印象的にはいいが、イメージとしては、相性が合っているという方が、ピッタリくる。気も合って、相性も合うのは、異性よりも同性の方が多いのかも知れない。
 結婚する少し前くらいから、茂は忙しくなった。最初は、結婚を先延ばしにしようかと思ったくらいだったが、親から言われて仕方なくお見合いすると、後はトントン拍子だった。もちろん、茂も気に入った相手だったことが一番だったのだが、これこそ、結婚は勢いだと茂は思ったかも知れない。
 坂口に相談すると、
「いい話じゃないか」
 と言っていた。まだ独身の坂口に相談すること自体が間違いだったかも知れないが、今では結婚してよかったと思っている。忙しいから結婚しない方がいいという発想がどこから出てきたのかということ自体、自分で不思議なくらいだった。
 坂口の結婚は、茂よりも早かった。それは結婚式が早かったという意味で、茂と由美の結婚は、坂口の話が持ち上がるより前から、秒読み状態であった。
作品名:死がもたらす平衡 作家名:森本晃次