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死がもたらす平衡

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 良枝の作品は、幸か不幸か、誰の目に触れることもなかった。佳作として受賞というだけで、形に残るものではない。少し寂しい気もしたが、誰にも知られないだけで、間違いなく受賞という記録は残るのだ。自己満足だけど、良枝はそれでよかった。何とも自分らしいではないかと思うからだ。
 茂は、良枝を裏切ったと思って、後ろめたさを感じていた。良枝は、
「やっぱり自分のような大人しくて地味な女の子は嫌なんだ」
 と思うだけで、悪いのは自分だと思っている。
 神様は何と不公平なのだろう? お互いの気持ちが分かっているのは神様だけのはずなのに、どうして二人を結び付けてあげないのだろう。それは、どちらかというと良枝の性格に問題があるからなのかも知れない。
 茂は目移りするタイプではないはずなのに、どうして派手な女の方に引っかかったのだろう? 良枝の存在が、相手の女のプライドに火をつけたのかも知れない。
「私が、あんなチンケな女に負けるはずないんだわ」
 どれほどまでに高いプライドを持っているのか、逆にこの女こそシナリオで叩き潰すには絶好の相手でもあった。良枝が少し後ろめたさを感じるとすれば、自分の中だけではあるが、完膚なきまでに叩きのめした相手の女の悲惨さに、書いていて同情するくらいであった。後から考えて、大賞をもらえなかった理由があるとすれば、それはあまりにも露骨に女を叩きのめしたからだろう。リアルな情景は、事実に基づいての話だったからなのであった。
 良枝には二面性があった。憎いと思えばシナリオに書いてストレスを発散させるところだ。だが、それも、性格的に情に脆いところがあるからで、それだけ思い入れが激しいからではないだろうか。
「熱しやすく冷めやすい」
 というところもあり、茂への気持ちも、シナリオを書くことで、相手の女を知らないこともあり、思い切り勝手な想像によって、相手を威喝して書けるのだった。
 茂が相手の女に従わされているという意識はあったが、だからといって、同情はしなかった。情に脆いところがあるといっても、それ以上に自分を見限った相手として見てしまったのが先だったこともあり、同情を抱く余地はないと思ったのだ。
 そこが冷めやすいと感じるゆえんで、情に脆いくせに、計算高いところもある。感情をあらわにするところと冷静なところが良枝の二面性を形作っている。シナリオを書いている時は、自分の世界に入りこむ、時間を感じさせない空間が好きだったりするんだ。
「私は自分の時間に入り込むと、気弱になってしまうことが多いから」
 良枝の自己分析だった。普段は人と話をするのが嫌いではない。だが、シナリオの世界に入り込んでいる時は、まわりを億劫に感じてしまう。次第にシナリオを書いていない時でも、まわりを億劫に感じる時が増えていったが、結婚生活に入った時点で、一度その思いは消えた。その原因を考えてみたが、マンネリ化に一番の原因があるのではないかと思った。結婚生活もまだマンネリ化まではしていないことで、まわりを億劫に感じなくなっていたのだ。
 また、良枝は自分の性格が潔癖症であるということも、茂を許せない理由だったように思う。一度でも自分を裏切った相手を情に流されて許すことは、自分の中にある清潔感をけがすことに繋がる。それだけは嫌だった。
「でも、もうあれから何年も経っているんだわね」
 いくら許せなかった相手とはいえ、何年も経った相手に、今さら恨みはない。幸せならばそれでいいし、何よりも今は自分が幸せなのだ。最初は隣に引っ越してきた相手が、以前付き合っていた相手ということで戸惑ったが、後ろめたさがあるとすれば向こうの方だ。こっちは、堂々としていればいいのだ。
「あなた、おかえりなさい」
 いつものように夫を迎える妻。隣の夫婦をまったく意識していないように、夫は見ているのだろうか? 吾郎は、どちらかというと、他人のことにあまり干渉しない方だ。隣に新婚夫婦が引っ越してきたというだけで、他には何も感じていないだろう。
 良枝が吾郎を結婚しようと思って意識したのは、あまり他人のことに干渉しないところだった。良枝は情に脆いせいで、なかなか自分で決め切れなかった、優柔不断なところがあると思っていた。結婚相手には、吾郎のようなあまり他人を意識しない人の方が、余計なトラブルを招き入れたり、巻き込まれたりしないと思ったからだ。
 結婚にはタイミングと勢いが必要だということを教えてくれたのは、吾郎だった。まだ、結婚を意識する前のことで、彼が結婚を考えていると初めて感じた時だった。それからしばらく結婚の話をしてこなかったのは、タイミングも勢いもまだないと思っていたからではないだろうか。
 結婚してからの吾郎は、本当に楽しそうだった。
 相手が楽しそうにしていると、自然と笑顔がこぼれてくる。悲しそうな顔をしていると、自分も悲しそうな顔になる。それが良枝の性格だった。
「情に脆い」
 という性格は、そのあたりをまわりの人が見て、感じたことなのかも知れない。よく人から言われるが、悪いことではないと思っていたが、ただ、そのせいで損をすることも多々あるので、いい性格なのかどうかは、疑問であった。
 茂が自分のどこが好きだったのかを、思い出してみた。
 付き合ったと言っても、それほど長い期間ではなかったので、本当に好かれていたのかというのも疑問だが、最初に付き合ってほしいと言ってきたのは、茂の方だった。男性と付き合ったことがほとんどなかった良枝はビックリしたのだが、付き合ってほしいと告白してきたわりには、付き合い始めると、クールなところがあった。
 まるで、
「釣った魚には餌を与えない」
 ということわざのようで、それは結婚した人からよく聞く話だったが、交際期間中にはあまり聞くことはなかった。それほど彼がクールだったのだろう。
 ただ、相手が良枝だったからというのもあったかも知れない。
 吾郎がよくいっていたが、
「気が合うのと相性が合うのとでは違うからな」
 相性が合うと思って付き合ってみたが、気が合わなかったりしたら、付き合い始めてから、急に冷めた気分になるかも知れない。付き合い始めるまでには、相性が問題になるが、付き合い始めてからは、気が合っていないと、難しい。つまりは、きっかけは相性で、継続は気が合うことを必要とするのであろう。
 付き合い始めてからすぐに別れるであれば、やはり気が合っていなかったのだろうし、付き合っている最中に気が合う相手を見つけられたことで、別れる結果になってしまったのだろう。
 気が合う相手と、相性が合う相手。吾郎の話を聞いて、目からウロコが落ちたような気がした。
「では、吾郎と私はどっちなのだろう?」
 どちらも合っているようには思えない。どちらかというと相性が合っているように思える。そう思う根拠は、会話が時々ぎこちなく感じるからだ。
――会話が弾んでいるのに、長続きしない――
 吾郎は、会話は弾んでいるので、ぎこちなくはないと思っているかも知れない。しかし、良枝から見ると、会話はどうしても、ぎこちなく感じるのだった。
作品名:死がもたらす平衡 作家名:森本晃次