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短編集52(過去作品)

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 確かに女性を抱くことで自分の欲求を満たすことはできるが、最初に求めているものすべてを満足させるものではない。出し切ってしまうと急に冷めた気分になってしまうのも影響しているのではないかと思うが、それだけではないだろう。
 身体の奥に溜まっているものを出し切るのは、男性と女性では感じ方が違う。お互いに憔悴状態に陥っても、見つめている天井に写っている光景は違っているかも知れないと思ったりもしていた。
 部屋の中が狭く感じられると、天井が遠くなって感じられることを頭が理解していた。大きな波が襲ってきて、一気に陥る虚脱感の間に、痺れにも似た感覚があることを冷静に意識しているようだ。
 柱時計が遠くに見える。虚脱感の中で聞こえてきた時を刻む音が次第に早くなってくるのを感じる。冷静になって聞いていると相当疲れが溜まっていることに気付かされる。
 疲れが溜まっている時というのは、音楽を聴いている時でもリズムが心なしか早く感じられる。自分自身が何かに焦っているからなのかも知れない。気持ちに余裕がなくなると、胸の鼓動も激しくなり、それを感じることができる。自分の感情と胸の動悸では、同じリズムなのではないだろうか。
 スナックから出た青山は外の景色を眺めていた。その日は三日月で、満月とは違った雰囲気の明るさがあることに気がついた。
――欠けているだけに明るく見せたいと思うのだろうか――
と考えて苦笑した。自分がこれほどロマンチックなことを考えるなど思いもしなかったからだ。月の満ち欠けには学生時代から興味があったが、それは海の潮の干満が月の引力に関係があると聞いたからだった。
 学生時代に芸術を志していたが、文学にはあまり造詣が深くなかった。だが、大学の時に読んだ小説で、月の満ち欠けについての奇妙な話にだけは、興味を持っていたのだ。ビジュアルには興味があったが、文章などのような文字による創造性は、まったく正反対のものだという認識があったのだ。
 確かに小説には絵のような見た目の温かさや華やかさはない。学生時代は、そこに違和感があったし、何よりも芸術は絵画だと思っていたからかも知れない。きっと、将来を見つめる目はあったのだろうが、気持ちに余裕を持てなかったことが、文学への興味を削いだに違いない。
――文章を読んでいると、時間を忘れられる――
 これは最近気付いたことだが、学生時代絵画を志した時にも、
――絵を描いていると、時間を忘れられる――
 と感じたことを思い出した。
「なんだ、同じなんじゃないか」
 と思い込むと、そこに余裕が生まれる。本屋や図書館の雰囲気も悪くなく、静かな中にページをめくる音が響いているのは、美術館の壮大な雰囲気に似ている。
――同じ空気だ――
 と感じることによって、文学に対して造詣が深くなってくる気がしていた。
 小説も書き始めると、自分が目指すものが少し分からなくなった。小説を書き始めたのは、
――絵画に対する芸術の目を広げるためだ――
 と思ったことだったが、却って災いしてしまったようだ。
――旅行にでも出ようか――
 絵を描くことだけが目的の旅行はあったのだが、自分を見つめなおすための旅行というのは考えたことがない。あまり気合を入れすぎると、却って自分にプレッシャーを掛けることになるのは分かっているので、旅行に行くことは誰にも告げなかった。もっとも話しておく必要のある人はまわりにもいなかったのだが……。
 旅行に出かけるのに海を選んだのは、やはり潮の干満を意識してのことだろうか。
 青山は小さい頃からひ弱で、海に行って潮風に当たれば次の日に必ず発熱してしまうほどだった。
 海が苦手だった青山だが、山は好きだった。おいしい空気を吸うことや、山の緑が日光浴にはいいのだろう。バンガローへはよく父親と一緒に行ったりしたものだ。
――海に行くなど、何年ぶりだろう――
 青い海とはよく言ったものだが、今まで見た海とは違っていた。列車の車窓から見た海は青い部分と、夕日に照らされて赤くなっている部分とが交差していた。ちょうど夕凪の時間だったのか、ほとんど波もなく綺麗に分かれていた。想像していたよりも鮮やかだった。
 海に面したところなので、潮風を感じるだろうと思っていたが、それほどでもなかった。最初に見たカラフルな海が印象的だったので、絵にしたいのか、文章にしたいのか、迷ってしまった。文章に出来ればきっと素晴らしい表現になることは想像できるのだが、絵描きとしては、絵にしてみたい衝動を抑えることはできない。
 コンセプトを何にして、どのように表現するかが芸術家だと思っている青山にとって、この景色は今までに見た何よりも綺麗に見えた。山の景色もそれは素晴らしいものだったが、コンセプトや表現ということを考えずに漠然と見ていたので、本当の素晴らしさに気付かなかったに違いない。
 ただ、今回は小説を書こうと思った。頭の中に柱時計のイメージが湧いていたからである。学生時代の頃に見た「ダリ」の絵、幻想的な世界の中に、時計が歪んで見える光景は、絵だけの世界にとどめておくにはもったいないように思えてならなかったのだ。
 文章を書いていると時間を感じない。絵を描いている時よりもその感覚は強いものだ。
――裏と表が存在する――
 絵にも同じ感覚を感じたように思ったが、それが何なのか分かっていなかった。
――そうだ、光と影なんだ――
 境が東京でうまく行かず帰ってきた時に話していたのは、
「何か完全に柱になるものが分からなかったんだ」
 きっとコンセプトのことだろう。表現力は勉強したり経験を積むことでできると思っていたのだろうが、それも間違いだったかも知れない。
「コンセプトがしっかりしてこその表現なんだ」
 中学の時の担任が話していたが、中学生で意味が分からなかった。だが、今になれば何となく分かってくる。土台がしっかりしてこその芸術の膨らみなのである。
 青山の頭の中には、かつてスナックで知り合って抱いた女で一杯だった。その時に感じた柱時計への思い。夢だったのではないかという感覚が強い中、作品を書いていると、まるで時間が戻ってしまったのではないかと思えてくる。
 同じ事を何度も繰り返しているような感覚、それは今までにも何度かあった。しかし、その時々で自分の中にあったコンセプトがしっかりしているために、同じイメージを抱き続けているからに違いない。その時々で表現を変えることで、同じ夢であっても、違って見せることができる。
 ただ、それをなかなか起きてから覚えていないのは、思い出すためのステップを必要とするからなのかも知れない。
――あの時の女は、なぜ自分に抱かれたのだろう――
 あれから会ったことはない。いつも吸い寄せられるように、スナックに立ち寄るが、佐伯になって考えるのは、
――突然、店が消えていたりするかも知れない――
 角を曲がると店が消えているというシチュエーションを何度考えたことか。そういえば夢を見て目が覚める瞬間が、角を曲がってあるはずのものを見つけられなかったことだったようにも思う。
作品名:短編集52(過去作品) 作家名:森本晃次