短編集52(過去作品)
と思っていた。友達ができたとしても、彼らがいざとなって助けてくれるとは思えなかったからだ。苛められることの恐怖、そしてそれが継続されることのさらなる恐怖を一番分かっている青山なんで、余計に助けを求めることが無理だということを理解していた。
――こんな思いは僕一人でたくさんだ――
という思いもあった。自分のことで精一杯のはずなのに、他の人のことまで考えられないはずなのに、不思議な感覚だった。足が攣った時に、誰かに悟られると、却って痛くなってしまう気持ちに似ている。
そんな思いがあったからかも知れない。幸か不幸か、中学になって友達ができた。
彼は小学生の頃から一人でいることの多いやつだったが、それでも人から相談を受けたり、話の輪に素直に入っていける性格だった。
――羨ましい――
この気持ちが一番強かった。ひょっとして、友達になれるなら彼なのかも知れないという思いがあったのも事実で、話しかけられた時もまったく違和感がなく、まるでずっと友達だったような気がするくらいだった。
彼と一緒にいると落ち着いてきて、苛められていた理由が分かってきた。言動に問題があったようだ。
考えてものを言っているつもりだったのに、実際には、後から考えると、顔から火が出るような言葉を平気で言っていた。相手が誰であろうとおかまいなし、それが相手をする人の逆鱗に触れたようだ。
それが分かってくると、まわりが見えてくる。特に中学一年生の時の担任が印象的だった。
「自分が目立って一番になりたいと思わなければ、まわりの歯車でいいんだ」
と言っていた。最初は歯車という言葉に意味が分からなかったが、あまり気を張って精神的な余裕がなくなると、それがプレッシャーになってくるということが分かってくると、歯車という言葉の意味も何となく分かってきた。
歯車の中に芸術も入っていることを知ったのは高校になってからだ。中学までは美術、音楽と、芸術的なことはまったく苦手だった。かならず筋道を立てて考える方だったので、数学のように公式に当て嵌めなければ気がすまない性格だったことが芸術を遠ざける要因になっていたのだ。
中学一年生の時の担任は、学生時代絵を描いていて、コンクールに出展して、賞をもらったこともあるらしい。当時、絵画にまったく興味がなかったので絵の話をすることはなかったが、芸術が気になり始めると、今度は先生の耳に残った言葉を思い出すようになった。
青山の通っていた学校は、芸術を奨励する学校で、先輩には有名なデザイナーがいたりした。美術部もコンクールに入選するのを目的にしている人が多く、今から思えば何気なく入学したつもりだった学校も、入学すべくして入学したのではないかと思われてならない。
青山は芸術大学に進み、在学中に出展したコンクールで入選したことをきっかけに、画家としての道を志すようになる。
――なまじ、入選なんかしなければよかった――
と思ったりもする。
入選したために画家を志すが、なかなか思ったようには行かないのが世の中、そしてそれほど甘くないのも世の中である。
卒業して十年くらいが経つが、それなりに画家としてはやって行けるだろうという手ごたえはあった。しかし手ごたえはあるのだが、いかんせん、同じところで立ち止まっていて満足できる世界ではない。絶えず新しいものを見据えていかなければいけない世界でもある。
それは自分に対してが大きいかも知れない。いくら売れる作品を描いたとしても、金額的には有名画家の足元にも及ばない。アルバイトをしながら食いつないでいるのが精一杯というところであるが、何よりも自分の目指している作品を描きあげたことが今までにあっただろうかすら分からない。
目指す作品がどこにあるのか、いつも試行錯誤の繰り返しだ。
――芸術家って、皆同じなのかな――
大学を卒業するまでは友達とも話したりする機会があったが、卒業すると、パッタリとそんな機会もなくなってくる。自分から避けていた背景もあるので、自業自得かも知れないが、さすがに大いなる不安に襲われることも少なくない。
あれは昨年だっただろうか。大学時代の友達に偶然出会って、懐かしさからか、一緒に呑みに行った。彼の名前は境というが、今でも時々どちらからともなく誘いが掛かる仲であった。
境も、青山同様芸術大学在学中に賞を受け、同じように画家を目指していた。学校を卒業して青山と一番同じ人生を歩み始めたのが境だっただろう。
境は卒業後、東京に出て行った。青山は、東京に出るまでもなく、この土地でも十分都会だという判断でこの土地を離れることはなかったが、境は、
「やはりビッグになるには、東京のような大都会でないと」
と言って、卒業してさっそく東京へと引っ越していった。
東京で画家の先生に弟子入りしていたところまでは知っていたが、
「なかなか門下生も多くてね。目立たないと先生のおめがねに叶うことはないのさ。それこそ人間同士の嫌な部分を見せ付けられた気がしたね」
人より目立つことをしなければ、先生の教えを受けることができないというのは、何となく分かる気がする。先生としても、競争心の中から、それを乗り越えられるような個性を持った人物の出現を待っているのかも知れないが、青山には信じられない発想である。
確かに、競争心が新しい発想を生んだり、発掘したりするという考えも分からなくはないが、青山の考える「芸術家」とは少しかけ離れている。
一般社会では、競争が人を成長させる手段になることは分かるが、芸術家とはあくまでも個人事業、人と同じでは面白くもない。大先生が自分の流派を継承したいというのも分かるのだが、所詮、同じものができるはずはないというのも芸術の世界。
「僕の考えが極端すぎるのかな?」
と思えてくるが、田舎に残って曲がりなりにも画家としてやっていけるのは、自分の考えが少なくとも間違っていなかった証拠だと思っている。
「俺は、東京に行って、二年で帰ってきてしまったよ。挫折というやつかな?」
「東京というところは同じ都会と言っても、こことは全然違うところのようだね。僕は行かなくて正解だったと思っているよ」
「そのとおりさ。一歩表に出れば、皆敵のような感覚さ。いつ足元をすくわれるか、ビクビクしながらの生活だからね」
「そこまでいければいいくらいじゃないか?」
「そうだな。俺なんかまだまだだから、そこまでの心配はなかったね」
「お前は画家への道を完全に諦めたのか?」
「ああ、格好良くいえば引退というやつだね。そこまでの実力もなかったので、挫折だな」
挫折には違いないだろう。都会に出て芸術家を志す。しかし地元に帰ってきたのなら、また都会で一からやり直せばいいように思うのだが、そうも行かないのだろう。
「都会の生活に完全に疲れてしまったのかも知れないな」
都会の生活。それは一時期憧れもしたが、すぐに打ち消した印象だった。
――僕には似合わない。人を意識しながらの生活なんて、とてもできやしないさ――
という思いが強かった。
例えは違うが、角界を思い出していた。
作品名:短編集52(過去作品) 作家名:森本晃次