すきま 探偵奇談18
「どうした瑞?ほらこいよ。出発しちゃうぞ」
その車両には、一人だけ乗客がいた。窓際の席で俯いている男。夕焼けに照らされてはっきりとは見えない。何か長いものを持ち、眠っているように少しだけ首を傾けている。あれは、そう弓だ…。
『間もなく扉が閉まります。ご注意下さい』
眠っている乗客は、瑞だった。自分が、目の前の電車に乗って眠っている。制服姿、矢筒と弓。今の自分と、まったく同じ姿で眠る、もう一人の自分だ。それを理解したと同時に、夕島の手が瑞の手首を掴んで叫ぶ。
「さっさと乗れよッ!」
ものすごい力で電車に引き込まれそうになる。瑞は渾身の力を振り絞って振りほどき、夕島を突き飛ばした。夕島がよろけて車内に下がったと同時に扉が閉まる。
「…夕島、おまえ」
扉の向こうで、夕島が笑っている。もう、それは先ほどまでの友だちの顔ではなかった。醜悪に口をゆがめたその表情に、瑞は凍り付く。
お ま え は も う か え れ な い
扉の向こう側、声は聴こえなかった。だけど夕島の口は、間違いなくそう動いたのを瑞は見た。
夕島は車内で眠っているもう一人の瑞の隣に腰掛けると、その耳元にヒソヒソと何か囁きかけた。ひどく嬉しそうな、恍惚とした表情で。そして再びこちらを見た。隣の瑞の耳元に、その唇を摺り寄せたままで。真っ赤な舌が生き物のように蠢く。
作品名:すきま 探偵奇談18 作家名:ひなた眞白