「発展性のない」真実
水が綺麗なところとしては、一番かも知れない。それに、漁港としてもいいところで、ちょうど入り江のようになったところは、波も穏やかで、気持ちを落ち着かせてくれるにはちょうどよかった。
「ここは、以前から、温泉の効用もいろいろあって」
と、宿の人が自慢していたが、そのおかげか、湯治に来るのは老人が多く、中年の自分でも、まだまだひよっこの雰囲気だった。
入り江になった小さな漁村ではあるが、入り江の張り出した場所の波打ち際に、ひと際大きく見えている、白い建物の洋館が見える。そこには、誰も住んでいないのだが、時々、療養に来る人がいるようで、
「あそこの屋敷には、男の人が時々出入りしているのを見るんだが、どうやら一人の女の子が、病気らしくて、たまに療養に来ているらしいんですよ。水が綺麗だし、温泉の効用もあるしということでしょうね」
「前の持ち主の人から、子供の療養のために、買い受けた別荘のようなものなんでしょうね」
「そのようですよ」
宿の人との話で、洋館には、たまに誰かが来るという話は聞いていたが、来る時期も不定期らしく、弘樹自身も、たまにしか来ないので、まず会うことはないだろうと思えたのだ。
旅に出る当日、いつもより、少し遅い時間になってしまったこともあって、到着が夕方になる予定だった。夕食の時間にちょうどいいくらいで、いつもであれば、昼下がりには宿に入り、温泉にゆっくり浸かり、軽く昼寝をする時間があったのだが、この日は少し慌ただしかった。
それでも、六時前には入れたので、夕食前に温泉に入ることができた。温泉に入ってからの方が、お酒がおいしいのである。
お酒は、ビールよりも日本酒を好んだ。昼気を日本酒を甘いと思っている。そのくせ、辛口が好きだというのだから、面白いもので、
「辛口じゃないと、どうも後味が悪い気がしてですね」
と、いつも女将さんには話している。
ここの宿は、女将さんと女中さん三人が切り盛りしていて、厨房の板前さんがしっかりしていることもあって、常連客が気軽に来れるありがたい宿だった。
弘樹が常宿にしているところは、それぞれに特徴があるが、ここの特徴は、やはり料理だろう。
入り江ばかりが目立つ漁村ではあるが、裏には山があり、野菜やフルーツも新鮮で、肉、魚、そして野菜と、自給自足でも十分にやっていけそうなところが気に入っていたのだった。
たまに、宿に女性が泊まりに来ることもあるらしく、目的は温泉のようだ。女性二人もあれば、一人で来られる人もいるという。訳ありに見えるのは、
「傷心旅行じゃないかしら?」
という話だった。
そんな中で、一度一人で来た女性客が、また一人でやってくることもあるらしい。ただ、その時は傷心旅行ではなく、
「前に来た時は、気分が乗らない時だったので、せっかくの温泉や食事を味わえなかったんですよ。でも、今度はゆっくり味わいたいと思ってですね」
と、言ってやってくるらしい。
「彼女たちは、本当は思い出を作りたいと思っているんでしょうね。だから最初は傷心旅行でも、また来てくれるんですよ。私は、そんな彼女たちを見守っていてあげたいと思うんですよね」
と、女将さんは話してくれた。
ここに来ると、弘樹も大らかな気持ちになれる。一人でいることの意義を、この宿が教えてくれているように思うからだ。頑固なところがあるのを、
「ひょっとして、悪いことなのかも知れない」
と、思いがちな気持ちを、ここに来ることで、
「自分の考えに間違いはないんだ」
と、思うことができるのが、ありがたかった。
たとえまわりが認めてくれなくても、間違いはないという気持ちになれる場所があるだけで、安心できた。信じていることに自信を持ち続けることができれば、それは誰が何と言おうとも、その人にとって、たった一つの真実なのだ。
今回は、最初から、女性が誰か泊まりに来ているような予感があった。我ながら、心がときめいているのを感じたが、今までは、それを誰にも悟られたくないと思い、必死に思いをうちに籠めていた。だが、今回の旅行では、
「もし、自分の予感が当たっているとすれば、気持ちを隠すことなどせずに、相手にときめきを伝えてみるのも、いいことかも知れない」
と、感じていた。
宿に着いて、温泉に浸かり、部屋に戻って、食事を摂る。なかなか最初に考えていた予定通りには、普通は行かないものだと思っていたが、思い描いていた通りに進んだことで、出会うかも知れない女性のイメージが抱けないでいたものが、少しずつ形になってくるのを感じた。
宿の表は、すでに真っ暗になっていて、部屋の明かりが暖かさを感じさせる。用意してもらった日本酒を飲みながら、食事をいただいていると、普段は、コンビニか、スーパーで、閉店間際の惣菜を買う程度の食事が、情けなく感じられる。
「年に何度かの贅沢だ」
と、思えば、悪い気はしない。
若い頃は、魚よりも肉を好んで食べていたが、今は、肉より魚の方がいいと思うこともある。釣りはするくせに魚臭さは苦手であったが、それでも自分が釣った魚を料理してもらうと、これ以上至高の料理はない。
「明日は、自分が釣った魚が、ここに並ぶんだ」
と、思うと、楽しみになってくる。今日はその前祝と言ったところであろうか。焼き魚、刺身、煮魚。それぞれに味わいがある。目の前に並ぶであろう料理を想像していると、酒が進む。
「やはり、魚には、日本酒だな」
と、感じていた。
ほろ酔い気分になってくると、横になりたくなる。座布団を枕に、軽く寝ようと思った。ほろ酔い気分だと、畳の上でも身体の痛みを感じることがないような気がしていた。
気が付けば、夢の中を漂っているようだった。普段なら、自分が夢を見ているなどという意識を、最初から感じることはない。確かに夢を見ていると感じることはあるが、それは夢をある程度見た後のことで、
「すぐに目を覚ますに違いない」
と、思うようになるだろう。
だが、その時は、夢を見始めてすぐに、
「これは夢なんだ」
と感じた。現実ではありえないような夢を見ているのであれば、分かるのだが、そんなに突飛な内容の夢を見ているわけではない。どんな夢を見ているのか、自分でもハッキリ分からないのだ。
ただ、しいて言えば、夢の中で女性が出てきたのだ。この宿に泊まって、出会うかも知れないと感じている女性だった。
「どうして夢だと思ったのか?」
と聞かれたら、
「この女性とは、最初に現実で出会うわけではない」
と、思っていたからだ。現実ではないとすれば、後考えられることとすれば、夢しかないではないか。
最初に、夢で出会った人は、今までに何人もいたが、一番最初も女性だった。その人とは、お互いに運命的な出会いをしたと思ったのだ。相手も、自分と出会うのを予期していたらしい。ただ、予期していたと言っても夢を見たわけではなく、あくまでも、想像の世界だったようだ。
夢に出てくるのと、相手の想像の中に出てくるのと、どちらが信憑性があるだろうか。どちらも信憑性はないように思うが、夢の場合は、相手も予期せぬことが多く、相手の想像であれば、幾分かコントロールできるような気がする。
作品名:「発展性のない」真実 作家名:森本晃次