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「発展性のない」真実

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「普通にサラリーマンを押し通すというのも、難しいものだ」
 というのが、持論だったらしく、まずそこから言っている意味が分からない。仕事や会社でのことを家庭に持ち込むことは嫌な性格だったくせに、この言葉だけは、時々口にしていた。
 弘樹には、この言葉は愚痴にしか聞こえない。愚痴にしか聞こえないと、
「この人は愚痴しか言わない人なんだ」
 としか思わなくなってくる。
 たまにしか口にしないのに、そして、他にもいいことを言っていたとしても、聞いているまわりには、一番インパクトのある言葉しか記憶に残らないのだ。
 それは、父親が厳しい人だったからだ。
 自分に厳しいかどうかなど、子供には分からない。だが、まわりには厳しい父は、明らかに子供にとっては、鬱陶しいだけの人でしかない。会話をすることすら嫌になり、近づかなくなると、余計に父親も意固地になっていたようだ。
 頑固が、厳格で正しい生き方だと思っている人が多かった時代の人だったのかも知れない。自分もその時の自分に負けず劣らずの頑固な父親に育てられた人間だったのかも知れない。それが正しいかどうかなど誰にも分かるはずもないし、分かったとしても、今さら生き方を変えるなど、できるはずもないのだ。
 弘樹は、子供の頃に、
「自分の子供には、絶対に同じ思いをさせたくない」
 と、何度思ったことか。
 これは子供に対して、いや、子孫に対して、自分が変えなければいけないという使命感のようなものによるものではない。単純に、父親に逆らうことが、父親への復讐のように思ったからだ。父親に逆らって生きた人間が、どのように成長したか、それを示してやりたくなったのだ。
 もし、まともな人間になれば、父親の意志にしたがっているのであれば、父親の力によるものだが、逆らって逆らい尽くしてまともな人間になれば、それは、息子の力によるものである。逆にまともな人間にならなければ、それこそ父親のやり方が間違っていたからだと思えばいいのだ。後から思えば、逆恨みのようにも思えたが、その時の弘樹は、それ以外のことを思い浮かべることもなかった。
 厳しい父の思惑通りには、決して育ったわけではない弘樹は、学生時代に感じた父親への反発心が、社会人になってから、さらにハッキリとしてきたような気がした。確かに父親とは時代が違っているが、社会に出ると、父親が言っていた言葉が、大げさに思えて仕方がなかった。
 その頃の弘樹は、自分が自信過剰になっていることに気付かないでいた。
「まわりの人は、皆自分よりも優れた人たちばかりなんだ」
 という意識が弘樹にはあった。
 それは、自信過剰になっている自分とは、矛盾した考えだった。だからこそ、自信過剰になっていることに、気付かなかったのかも知れない。
 矛盾した考えであるが、それぞれ両極端な考えが頭の中に共有していることで、それぞれが暴走することを抑えているのかも知れない。
 暴走を抑えながら、楽をしたいという思いがあるのか、すぐに余計なことを考えないようにしようという思いが頭を巡る。ただ楽をしたいだけだというのは、語弊があるが、逃げに走っているという気持ちには変わりない。逃げに回ってしまうと、背中を見せることでもあり、隙を作ってしまうことになる。そんな気持ちで本当に暴走を抑えることができるのだろうか?
 学生時代から、社会人になりたての頃を思い出すと、まるで昨日のことのように思い出すことができる。
 だが、最近のことはまったく思い出すことができない。何を考え、何を目標に生きているかなど、当の昔に忘れてしまったような人生に、思い出すことがないのも当然かも知れない。
 四十歳を超えると、普通なら家庭があって、会社でもそれなりの地位があり、部下や上司との関係に悩む人生という構図ができあがっていいのかも知れないが、弘樹には、そんなものはない。
 会社での地位は、年功序列でなった係長。家に帰れば家族はおらず、一人暮らしの男やもめであった。
「俺はしがない係長」
 上司からは、
「部下の面倒見も悪いし、業績もパッとしない」
 というレッテルを貼られているようだし、部下からは、
「あの人に言っても、何も変わらない」
 と、部下から上がってきた要望や進言を叶えられないでいた。
 そういえば、自分が平社員の頃、係長をしていた人も同じように、部下から進言したことが何も叶えられていなかったが、自分に対しての風当たりよりも、マシだったように思う。
 どうしても自分のことなので贔屓目に見てしまうのだろうが、それを差し引いても、自分に対しての言われ方は酷いものだった。
「俺のことだと、どうしても大げさになるんだ」
 と思い、自分が損な性格であることを自覚するようになった。
「損な性格なら、それでもいい」
 と、すぐに諦めた。自分で自分を可愛そうだと思うようになったからだ。開き直りというよりも、投げやりな性格は、それこそが損な性格を形成していることを理解させない。だから、堂々巡りを繰り返すように損な性格は増幅していくようだった。
 性格の問題であれば、他人は関係のないことだった。だが、自分で投げやりになってしまえば、誰も関わることを許さないだろう。そうなれば、抜け殻のようになってしまうのではないかと思うが、そんなことはない。どこで辻褄が合ってくるのか分からないが、弘樹は、自分の人生をあまり気にしないことが、まるで風に揺られながら落ちてこない木葉のようにしがみつく何かがあるのだと思うようになっていた。
 趣味がないわけではないが、今は、絵を描きたいと思っている。だが、今までにも趣味を持ちたいと、いろいろしてみたが、なかなか長続きするものではない。数か月続けてみて、急にやめてしまうのだ。
「朝、目が覚めて、急にやるのが嫌になった」
 という気持ちになったことが何度あったことだろう。
「そんな気持ちになる時、何か共通性があるのだろうか?」
 と思ったこともあったが、思い当たるふしはなかった。考えてみれば、急に何かをしたくなくなるというのは学生時代にもあったことだ。
 学生時代にも、何が嫌だったのか考えたこともあったが、思い当たらなかった。目が覚めて急に嫌になるのは、何かの前兆ではないかということだけが頭の中にあり、ただ、前兆を感じるものが実現したわけではない。
「俺の気まぐれが、災いしたのかな?」
 と、思うようになったが、気まぐれとは何を基準に思うことなのだろうか?
 友達からも、
「お前は気まぐれだから」
 と言われたが、思い当たるふしがあるとすれば、天邪鬼な性格しかなかったのだ。
 そんな弘樹だったが、たまに旅行に出ることがあった。もちろん、誰かを誘うわけでもなく、有休を使って、三泊ほどの旅行である。
 旅行先では、釣りをすることが多かった。吊りの道具を肩から掛け、電車に乗っていくのは、普段のスーツを着て会社に出かけるのとは、まったく違っていたのだ。
 弘樹は、通勤が嫌で嫌で仕方がなかった。
 もちろん、満員電車に揺られるのも嫌だったが、それが一番の理由ではない。一番嫌だったのは、スーツを着て出かけなければいけないことだった。
作品名:「発展性のない」真実 作家名:森本晃次