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「発展性のない」真実

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 弘樹はそんな琴音を見ながら、自分が、少しずつ変わってきているのが、気になっていた。
――琴音が、僕を意識しているために、もう一人の僕が顔を出したということなのだろうか?
 弘樹は、琴音を意識しすぎないようにしなければいけなかった。意識してしまったがゆえに、もう一人の自分、つまり琴音が会いたいと思っているであろう弘樹を呼び起こしたのかも知れない。
 弘樹自身は、もう一人の自分の存在を知らない。もし、もう一人の自分が表に出てきてしまえば、今の自分が裏に隠れてしまう。裏に隠れれば、その間にもう一人の自分が琴音にしたことを何も知らないことになるのだ。
――果たして、いいことなのか悪いことなのか――
 弘樹には分からなかった。
 だが、逆も言えることで、琴音の中にもう一人の琴音がいると思っている弘樹には、いくら告白したとしても、二人同時にすることはできない。どちらかにしか告白はできないのだ。
 そうなれば、確実に二人の見分けがついていないといけないだろう。それもその時だけではなく、これからずっとということになる。これほどきついことはないだろう。
 見分けがつかないことで、相手を間違えてしまえば、取り返しがつかない。まったくの別人なら見分けもつくだろうが、肉体は同じ、考え方も表に出ているところしか分からないので、それぞれ、隠そうとしているところが似ていたりすると、それこそ見分けがつかない。釣り場に一緒にいた彼女は特に自分を表に出そうとはしなかった。それだけに、手紙があった時にはビックリしたのである。
 琴音が手紙を出そうと思った心境がどうしても分からなかったが、彼女の中にもう一人いるのであれば、それも分からなくもない。だが、実際にそれぞれの彼女を分かっていくと、どちらの琴音も、手紙を出すような気がしていた。
 一人は積極性のある性格からで、もう一人は、手紙を出さなければ自分ではどうしようもないという切羽詰った考えの自分である。
 正反対の考えの元であっても、行ってしまう行動は同じ、結局、同じことをしてしまうシチュエーションに、それぞれの世界では設定されているのかも知れない。それはお互いに背中合わせの人生であって、人間それぞれに背中合わせの人生がある。それは、その人の都合による背中合わせであって、他の人の背中合わせとどういう関係にあるのかを考えると、無数に存在しているように思う。
 無数に存在しているからこそ、もう一人の自分の存在を誰も分からないのだ。分かっていれば頭が混乱して、さらに人との関係の中での秩序に、関連性も何もなくなってしまうに違いない。
 それは毛細血管の広がりに似ている。突然襲ってくる頭痛に苛まれた時、放射状に見えていた毛細血管を思い出す。放射状に伸びているのを思い出すと、無数に存在している背中合わせの関係は、放射状に広がっているのではないかと思うのだ。
「待てよ」
 頭痛が起こる時、何も関係性が認められないと思っていたが、ひょっとすると、背中合わせの関係が入れ替わっている瞬間なのかも知れない。もし、そうだとするのであれば、少なくとも自分の中で納得できるような気がしていた。
 特に最近は、頭痛に悩まされることが多い、そして、頭痛が起こった時の後の記憶が曖昧だったり、辻褄が合わないような気がすることがあったが、それは、無意識に作られた意識なのかも知れない。
 もう一人の自分に、相手の記憶を操作できる力があるとは思えない。あるのだとすれば、今の自分にもあるはずだ。そもそももう一人の自分が、こちらの存在を知っているという根拠もない。もし、知るのだとすれば、今しかないような気がするからだ。
――では、記憶が曖昧ではありながら、存在するのだろう?
 それは、自分の意識が、記憶のないことを気にして、勝手に前後の関係から、記憶をねつ造しているからではないだろうか。記憶をねつ造するといっても、前後の関係は誰よりも知っているのだ。ただ、他の誰にも分からないことでも、自分に分かってしまうようでは仕方がない。ただ、弘樹自身、疑ってはみるが、それ以上考えない性格だったことが幸いしているに違いない。
――感情などというのは、いくらでも操作できそうだが、辻褄の合わないことを、よくもこんなにうまく制御できるものだ――
 と、思うのだった。
――そういえば、今朝も頭痛に悩まされたものだ――
 と、感じた。
 頭痛は、簡単には引かないが、頭痛薬を飲むことで、気が付けば、引いていることが多い。
――病は気から――
 と言われるが、まさしくその通りである。
 頭痛薬は気休めでしかないと思っていたはずなのに、一度効いてしまうのを感じると、その次からは、頭痛薬を飲まないと、頭痛は引いてくれないと思うようになっていた。
 頭の痛さは、胃痛とも微妙に絡み合っている。頭痛があった時は、食事がいけない。どちらかというと小食の弘樹は、たまに、何も食べていないはずなのに、お腹がいっぱいになるのを感じることがある。
――精神的にお腹が膨れるような気がするのではないだろうか――
 と思ったりするが、それだけではなく、
――ひょっとすると、もう一人の自分が大食漢で、知らない間にたくさん食べているのかも知れない――
 などと思うが、
――バカバカしい――
 と、簡単に否定してしまう自分もいた。理屈ではありえないが、それでも打ち消した自分が本当に自分なのかと思うと、どこまでが自分なのか、分からなくなってしまう。
 身体が慣れてしまうことは、往々にしてある。順応性があるというのとは、少し違っているのかも知れないが、特に最近は、不規則な勤務体制のために、あまり食事を摂らないことが多い。そのために、胃が小さくなっているのかも知れない。
 食事を摂っているのと、摂っていないのとでは、あまり変わらないと思っていたが、実際に体力的な面では、かなり違ってくる。特に、通勤ラッシュの中で立っていたりすると、結構きつい。
 空気が濃厚な中では、呼吸困難に陥る。臭さにも敏感で、特に満員電車の中などでは、吐き気を催すことがあり、空腹が辛いのを、教えてくれる。
 それだけに、空腹を少しでも、和らげたいという気持ちから、空腹な状態でも、満腹感を植え付けるようになったのだろう。その気持ちと同じ感覚は他にもありそうで、辛い気持ちを隠すために、無意識に身体が反応することである。
 ただ、身体が反応する瞬間、自分ではないという感覚を覚えることがあった。最初は分からなかったが、もう一人の自分の存在を意識すると、そこにいる自分が、どこまで今の自分を意識しているかが分からない。無意識の行動が、特に最近多くなったような気がする。何かをしていて。気が付いたら、
――どうして、今、こんなことをしているんだろう?
 と思うことも少なくないくらいだ。
 もちろん、自分の危険になることをしているわけではない。夢だって潜在意識が見せるもの、無意識の行動として行っていることも、そのすべては潜在意識によるもののはずである。
 琴音を抱いている自分は、どっちの自分なのだろう?
作品名:「発展性のない」真実 作家名:森本晃次