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「発展性のない」真実

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 しかし、それを認めたくない自分がいて、それは、自分が弱いからなのか、思春期だという意識があるからなのか、思春期だという意識があるとすれば、それは弱さの言い訳として使おうとしていた証拠ではないだろうか。
 精神的な弱さは、恥かしさとは違う意味で、表に出してはいけないものだと思うようになっていた。
 恥かしさは、まわりが認める表に出してはいけないもの。精神的な弱さは、知られることで、さらに自分に対しての嫌悪を激しくすることで、立ち直れないかも知れないと思わせるものであった。
 琴音と会うことになっていた二日前のことである。
 何かが、徐々に変わっていくように感じられるようになったのは、気のせいであろうか?
 季節の感覚が分からない時期があったことを思い出していた。自分はどの季節が好きだと聞かれると、
「冬が好きです」
 と答えるだろう。
 冬が好きな根拠は、食事がおいしいのと、夏のように暑さで気分が悪くならないことだった。
 では、なぜ春と秋が好きな季節に入らないかというと、実は春と秋に関しては、どちらに対しても中途半端な意識しか持っていないからだった。
 春は出会いを感じさせる季節、秋は別れを感じさせる季節。春の場合は、陽気で楽天的な考え方になっているが、それが自然なだけに、まるでウソっぽく感じられるのだった。その分、秋の寂しさに重みがあり、重たすぎることが、中途半端な感覚を呼び起こすのかも知れない。
 また、過去の記憶が曖昧になってきている感覚もあった。ついさっきのことのはずなのに、まったく意識がない状態。さっきのことがまるで昨日のことのようだったり、昨日のことがさっきだったりと、短い過去の記憶に曖昧さが残るのだった。
 何かを考えているわけではない。弘樹は何も考えていないつもりでも、時々時間を飛び越してしまった感覚に陥ることがある。無意識の時間は、時間を意識しないから過ぎ去るのだ。気がつけば、時間が過ぎ去ってしまっているのも、当然のことなのかも知れない。
 最近、その原因の一つに頭痛が影響しているのではないかと、思うことがあった。
 頭痛は、定期的に訪れるもので、頭痛が発生する頃になると、感覚で分かるのだが、目の前が真っ暗になるような感覚が襲ってくるのだが、それは、白い閃光が、目を瞬かせる時、まるで蜘蛛の巣が張ったかのような錯覚を覚えた時に訪れる、無数に広がる放射線状の毛細血管が視界を遮ったかのようだった。
 必死で見えない目を、見えるようにしようと奮闘している中で、自分が集中していることに気付き、ハッとする。
 何かに集中している時は、今までであれば、頭痛を感じたことなどなかった。集中しなければならない時、注意力散漫な状態に陥ったことで、自分の中で焦りを煽られていると思うことが一番頭痛を誘う原因になってしまう。
 本当に集中していると、散漫になるほど、まわりを見ていない。一つのことを考えながら、何かに操られている思いがしてくると、操る相手に委ねることが楽だと分かってくる。
 余裕というと聞こえがいいが、一番正直で、簡単に思い浮かぶことなのに、ついつい楽な道を避けようとしている自分がいることに気付く。
 自分の気持ちに素直になることの、一体何が悪いというのか、楽な道を歩こうとしていると、あまりいい方には見られない。
 その気持ちが余計な考えを呼び起こし、素直な気持ちを妨げようとする。天邪鬼だと自分で考えてしまうのも、そのせいではないだろうか。
――まるで同じ日を繰り返しているのではないか?
 と感じることもあった。
 昨日の今の時間のことを思い出すと、明日の今の時間が思い浮かんでしまうのだ。
――まったく見たことがないはずの光景を、前に見たことがある気がする――
 いわゆるデジャブであるが、その時弘樹は、
――デジャブというのは、過去にだけこだわるものではないのではないか?
 と思うのだった。
 見たことがあると思うことが、過去である必要ではない。予知夢というのを見る人もいるというが、未来に見るであろう光景を見たとしても、それは不思議ではないだろう。
 誰にでも起こりそうなデジャブである。弘樹も以前に見た気がした。
 ただ、それは、後になってから、
「あの時がデジャブだったのかも知れない」
 と、感じるのが多く、リアルタイムで、デジャブを感じることは、むしろ少なかった。
「夢を見たつもりの夢を見る」
 という話を聞いたことがある。
 夢など見ていないのに、夢を見た感覚になった時、夢を覚えていないのが当たり前だと思うが、夢を見ていないという感覚に陥ることは、あまりなかったように思う。夢を見ている時が幸せな時だと思う意識が以前からあった。覚えていないとしても、夢を見たことで、夢の内容をもう一度繰り返して見ることができると思ったのだ。
 現実でも同じことが起こるとすれば、それは、同じ日を繰り返さなければ、ありえないことに思えてならなかった。
 同じ日を繰り返したと思った時、
「どちらが夢だったのだろう?」
 と感じた。先に見たのが夢で、次が現実なのか、それとも、現実が先で後が夢なのかである。
 普通に考えれば、最初が現実で、現実を比喩した夢を見たのだと思う方が、よほど信憑性がある。
 だが、現実を、再度夢で見ると言うのも、難しい気がする。
 実際に、現実に起こったことを夢に見た記憶があるだろうか。もしあったとしても、意識の中で否定してしまっているように思う。
 ただ、その夢を見たのが、発展性のない性格である弘樹だったとしたら、考え方が素直なだけに、夢に逆らうことはなく、記憶に残っているのかも知れない。
 自分のことを天邪鬼だと思っている弘樹の考え方とは、明らかに矛盾しているが、矛盾したことを分かっていて、天邪鬼だとさらに考えると、却って素直な気持ちになるのだろう。
――マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる――
 考えを減算方式、加算方式だと考えたりする弘樹の頭の中は、数学的な思考で固まっているのも知れない。時々そんな自分を理屈っぽいと思いながらも、数学的な考え方に集中してしまっている自分に気付く。
 そういえば、風俗の女の子に、似たような考えを持った人がいたのを思い出していた。彼女は、どこか、琴音に似ていた。琴音を見て、
――どこかで会ったことがあるような気がするな――
 と感じさせた。
 琴音と話をしていると、次第に琴音の雰囲気が変わってくるのを感じた。目の焦点が合わなくなってきているようで、それでも、一生懸命にこちらを見つめているようだった。その表情がいかにも色っぽく、弘樹は目が離せなくなってしまった。
 自然と、顔が近づいていき、気が付けば、唇が重なりあっていた。思わず目を瞑ってしまったが、自分が目を瞑るよりも先に、目を閉じた琴音の顔が、とても可愛らしかったのだ。
 貪り合うように唇を重ねる琴音に対し、ここが喫茶店であり、これ以上、エスカレートすることを静止することは、もはやできなくなっていた。弘樹は、元々公衆の面前でキスくらいまでなら気にする方ではなかったが、これ以上エスカレートしてしまうと、さすがに、店員に注意されるであろう。
「表に出ましょうか?」
作品名:「発展性のない」真実 作家名:森本晃次