「発展性のない」真実
もちろん、中年になった今さら、意識の中の大学時代の自分に言い聞かせても仕方がないのだが、夢の中では、言い聞かせることで、自問自答を繰り返していることに気付くのだった。
旅行から帰ってから、一週間が経った。すでに頭は普段の生活一色になっていたが、弘樹は、自覚している環境以外のイメージを抱くことが苦手だったのだ。旅行に出かける前であっても、温泉旅館のイメージは湧いてきそうではあるのに、頭の中に映像として湧いてこない。ひょっとすると、自分の中でイメージするのを拒否しているのかも知れない。イメージしてしまったことで、実際に行った時と違った時に、軽い記憶喪失に陥るのではないかという懸念を抱いているからである。
その懸念の根拠がどこから来るのか、まったく見当がつかない。だが、一つ言えることとしては、
――人の顔を覚えることができないのと、感覚は似ている――
と、感じることだった。
人の顔には、いくつもの表情がある。覚えていた人のイメージを一生懸命に覚えていても、他に誰かと話をして、その人のイメージが頭の中に入ってしまったら、前の記憶が追い出されてしまう気がするのだ。
それは、記憶に対して、自分が素直に考えるからである。
前の記憶が打ち消されるのは、自然の摂理、大きさが一定であって、そこが満タンになってしまって、次に何かが入ってきたとすれば、押し出されるものがあるのは当然である。特に一人に無数の表情が存在するのだ。それを同一人物として記憶したりしなければ、それこそ、記憶に収拾がつかなくなる。そのため、余計に意識を必要としてしまうので、それだけ、意識は膨れ上がってしまうのだ。
弘樹は、まわりの誰から言われるよりも、自問自答による意識の方が説得力を感じる。それがもう一人の自分の存在であり、いつも一番そばにいて、影になっているのである。
もう一人の自分の存在を、感じることは時々ある。影が表に出てきた瞬間なのだろうが、影を意識することはないので、影が表に出てきたということに気付いたのはいつのことだったのだろう?
弘樹が会社から帰ってきて、郵便受けを見ると、ダイレクトメールなどと一緒に手紙が入っていた。いつもはダイレクト―メールの数にウンザリしながら、
「捨てられる運命にしかないのに、毎日同じようなものがいつも入っているのを見ると、虚しさで悲しくなってくるな」
と思った。
まるで、自分が捨てられているような感覚である。
ただ、郵便物を捨てる時の感覚は、快感でもあった。鬱陶しいと誰もが感じるであろうものを、我が手でバッサリと切るのだから、快感に浸るのも無理のないことなのかも知れない。
その日も、どうせ全部ダイレクトメールだと思い、いつものように、ため息交じりで、捨てるつもりの封筒をめくりながら眺めていた。
「おや?」
その中に、少し可愛らしい封筒が混じっているのに気が付いて、目を引いた。
「今のダイレクトメールは、こんな封筒に入れて、目を引くようにさせているのか?」
虚しさを感じていた気持ちが、急に腹ただしさに変わった。わざとらしい行為は、弘樹のもっとも嫌う行為だからである。
だが、よく見ると、ダイレクトメールではない、前にも後ろにも、会社名はどこにもなかった。いろいろなダイレクトメールがあるが、その中で共通しているのは、必ず封筒のどこかに会社名が印刷されていることである。それでなければ、ダイレクトメールの意味がなくなってしまう。
それが普通郵便だとすると、今度は別の意味で、腹ただしさを覚えたのだ。
「間違えて配達しやがって」
という思いである。
自分にこんな可愛らしい封筒に入った手紙が来るはずがないと思ったからだ。どこかの高校生か、中学生ではないだろうか。
――いや、待てよ?
腹ただしさと並行で、疑問が浮かんできた。
「今の高校生や中学生が、昔ながらの手紙でやり取りなんかするだろうか? 今であればパソコンもあればスマホもある。メールでやり取りするのが主流じゃないかな?」
と思った。
そう思いながら、宛名を見ると、
――野村弘樹様――
まぎれもなく自分宛ての手紙だったのだ。
裏を見ると、送り主は、琴音だった。
「えっ?」
急に背筋が寒くなった。
彼女に、住所を教えたはずもないのに、どうして彼女から手紙が来るのだろう? もっとも一度しか会ったことのない人には、住所はおろか、電話番号を教えたりすることもないのだ。
捨てる予定のダイレクトメールと一緒に、琴音からの封筒を手にして、まずは部屋のカギを開けて、中に入った。いつものような冷めた空気が中から這い出してくるが、電気をつけると、冷たさはすぐに消える。
それが毎日の感覚だったのだが、この日は。部屋からはみ出してきた空気に冷たさは感じなかった。電気をつけても、いつもと同じ景色が目の前に広がっていただけだが、
――どこかが違う――
と、感じた。
何が違うのか、すぐには分からなかったが、分かってしまえば、何ということはない。
「疲れているからかな?」
と感じた。理由は、部屋の中がいつもより狭く感じられたからで、今日初めて感じたことではなく、今までにもあったことだったのだが、疲れて帰った時に、感じることが多かった。
仕事で遅くなった時など、目が充血しているほど、目を開けているのが辛いくらいになっていて、
――潤んだ眼が、錯覚を起させるんだ――
と、思ったが、開けていられなくなるほどの細目で見ることで、視界の狭さから、全体的に、狭く感じさせるものだった。
確かに、ここ数日は疲れていた。その理由はハッキリとしなかったのだが、別に残業しなければいけないわけではなかったし、毎日、変わりのない業務をこなしているだけだった。
しいて言えば、毎日変わりない、退屈な日々が、無意識に疲れを呼びこんでいるのかも知れない。退屈な日々を思い出すと、大学時代に好きだった、高校時代に最初に見た銀杏並木のキャンバスに続く道を思い出すのだった。
――大学時代には、波乱万丈だと思っていたのに――
と、感じる。時間が経つにつれて、記憶の中にある出来事は色褪せていき、どんなに波乱な状態を経験していたとしても、ごく最近のくだらない出来事には適わないという思いを抱かせるのであった。
大学を卒業するくらいまでであれば、風俗に通っている自分を、悪いことをしていると思うことはないとしても、どこか後ろめたさのようなものがあり、他の人との違いを感じさせられることが多かった。
だが、就職してから少し経った頃から、自分に後ろめたさを感じなくなったのだ。後ろめたさを感じなくなった理由は、自分を客観的に見れるようになったからだと思う。だが、実際には、客観的に見れるようになったからだというよりも、客観的に見ることができていたのは以前からで、厳密に言えば、そのことに気づいたのが、今まで感じていた「客観的に見ることができるようになった」頃なのだ。
部屋の電気に目が慣れてくると、封筒を開けてみた。中には可愛らしい便箋が入っていて、ボールペンで、少し小さめの整った字が目に飛び込んできた。
作品名:「発展性のない」真実 作家名:森本晃次