「発展性のない」真実
「ええ、あなたには、他の人にはない、奥の部分があるんですよ。見る人が見れば、ハッキリと分かると思うんだけど、あなたは、その存在を分かっていないので、どうして私がこんなことをしているか分からないんでしょうね」
「はい、なかなか自分のことは分からないようで」
「あなたは、自分が頑固だと思っているようですけど、確かにそうなんでしょうが、ただそれだけではなく、あなたは、客観的に自分を見ることができる、従順な人でもあるんです。だから、私は惹かれているのかも知れないわ」
そう言って、さらに身体を密着させてきた。女将さんの話を聞くと、愛おしさがこみ上げてくる。自分でなかなか自分を納得させることは難しいが、相手から、しかも身体を委ねてくれている人から言われると、これ以上の説得力はない。
――自分でも気付かない自分は、客観的に見ている、もう一人の自分が知っているわけなんだな――
と、感じた。
もう一人の自分の存在は、絶えず意識していたような気がする。意識はしているが、それ以上に意識の発展性はない。こんなところにも発展性のない性格が影響してきているのだが、逆に発展性のない性格の元凶は、ここから来ているのではないかと思えるほどだった。
女将さんの身体は柔らかく、
「こんなに柔らかく、きめの細かい身体は、初めてだ」
「嬉しいわ。あなたにそう言われると、私は何でも信じてしまう気になってしまうんです」
「僕の言葉に信憑性を感じてくれているということ?」
「ええ、あなたの言葉には、それだけの信憑性と、あなたは気付いていないかも知れないけど、言葉への責任感のようなものを感じるんです」
女将さんの言葉も、まんざら身体の快感からの絵空事だけではなさそうだ。心底から話してくれているようで、嬉しい限りである。
女将さんを抱いていると、まるで、自分好みの身体に変わってきているような錯覚を覚えた。身体が抱いているうちに馴染んできている感覚を覚えるのか、その感覚を忘れたくないという思いが強いからなのか、弘樹には、女将さんが最初のイメージとどんどんいい方に変わっていくのを感じていた。
だが、自分に対しては、女将さんがいうようなほど、いい方には解釈できないでいた。疑問が頭の中にあり、その疑問がハッキリしないのだ。
ただ、今はそれ以上余計なことは考えたくなかった。目の前にある女将さんの身体と気持ちを、弘樹は味わいたかったのだ。中途半端に考えを止めてしまう悪いくせ、これが、自分の中での発展性のなさを強調する性格を形成しているのかも知れない。
弘樹は女将さんの身体を貪るようなことはしなかった。焦っているわけではないのが、その理由だった。いとおしくないわけではないのだが、相手の身体を貪るようなことを、女将さん相手にはしたくなかったのだ。
――彼女は、他の女とは違う――
と思ったが、どこが違うのか、俄かには分からなかった。
そこが、女将さんの特徴なのかも知れない。
なかなか、相手に自分の本性を見せないのは、女将としての性格と、持って生まれた性格が噛み合っていて、だからこそ、女将さんをやっていけているのかも知れない。
女将さんの話では、ここを引き受けるまでは、大きなホテルで、女中経験もあるという。もちろんたくさんの人がいるので、それなりに、人間関係のいい面、悪い面を、いろいろな場面で見てきているはずである。
「都会を懐かしく思うことはないかい?」
「ありますよ。それなりに思い出もありますからね」
そう言って、顔が赤らんだ。耳が熱を持ったような錯覚を感じるほどだった。
――この人は、都会で、恋に落ちたことがあるんだ――
と、感じた。
都会にいれば、女将さんくらいの女性であれば、恋の一つや二つはあるだろう。特に自分を隠すこともなく表に出すことをいとわない性格に見えている女将さんであれば、なおさらのことである。
そんな女将さんを、弘樹はだんだん好きになってくるのが分かったが、それでも、結局どこかで別れは訪れそうな気がしていた。
あくまでも、付き合ったとしての話だが、弘樹が今まで女性と知り合う機会が少なかったのは否めない、それでも、年齢を重ねるごとに、自分のような男性を好きになってくれる女性も現れるのではないかという考えが浮かんでくるのであった。
女将さんの身体は、弾力性があって、包容力を感じる。それでいて、抱きしめてあげたくなる感覚はどこから来るのだろう?
弘樹は、受け身ではなく、自分が包み込むようにするのが好きなタイプなので、好きになる女性は、大人しい感じで、身体も大きくなく、抱きしめると砕けてしまうような雰囲気の女性を好んだ。
それは年を取るにつれて、その思いは強くなっていった。娘がいないので、娘のような女の子を好んでいるのかも知れないが、それだけではないだろう。
だが、女将は、和服の上からでは、最初は分からなかったが、明らかにグラマーである。ただ、顔は幼さが残っていて、堂々とした雰囲気はない。女将としては、若干頼りないと思うくらいだったが、あまり大きくない宿では、ちょうどそのくらいがいいのかも知れない。
小柄な雰囲気には好感が持てた。女将さんを好きになった時期もあったが、女将さんという立場上、あまり関わってはいけないという思いがあった。
商売上の問題を抱えていたら、関わってはいけないと思うし、知らないところで、他の男性とねんごろになっていたりすれば、ショックを受けることになる。女将としても、枕営業など、女将に対して想像もしたくないからだ。
要するに、巻き込まれたくないという思いが強いのだ。
――だが、どうして、女将とこんなことになったのだろう?
その時の心境は、女将に対してというよりも、自分の中で、女将と感覚がずれていたのに、却って、親近感が湧いたことだ。
――女将もそれだけ僕のことを思ってくれているんだ――
としか考えられなかった。
女将であれば、常連客の来店回数くらいは覚えていて当然なのかも知れないが、どこか自信がなさそうなのは、
――間違ったら、どうしよう――
という感覚が強かったのかも知れない。
弘樹の方は、悪いなんて思うはずなどないのに、そう感じることに、嫌われたら嫌だという思いがあったからだろう。
女将に対して、少し回数の件についてムキになりすぎたかも知れない。
一緒にいて、癒される人に対して、たまにムキになってみたいことがある。それは、好きな女の子ほど、苛めたくなるという小学生の男の子の感覚に似ているのだ。
女将を抱いてしまえば、最初のきっかけが何だったか、一緒にいる時は思い出せなかった。思い出そうとしても、真剣に思い出そうという意志が働いているわけではないので、すぐにどうでもいいことのように思えてくるのだ。
思い切り愛し合えば、二人は、そのまま深い眠りに就いていた。二人は夢の中で決して会えていないように思えるがどうだろう。もし出会っている夢を見ているとしても、それは相手が見ている夢とは違っているはずだ。
弘樹は見ている夢が何であっても、すぐに汗を掻くことが多い。その日も、女将を抱きながら、気が付けば汗を掻いていて、女将の肌を濡らしていた。
作品名:「発展性のない」真実 作家名:森本晃次