小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

「発展性のない」真実

INDEX|13ページ/44ページ|

次のページ前のページ
 

 弘樹は、守護霊という考えを信じている方だった。これは小学生の頃に守護霊の話を初めて聞いてから、ずっと変わらぬ思いであった。
 一つ疑問に思うのは、その人が老人だったのは、現れた姿が、死んだ時の姿そのままだという思いだった。死んでしまって、肉体は焼かれてしまうが、魂がどのような姿なのかというと、想像できるのは、死んだ時の姿だけだった。テレビなどの影響もあるのだろうが、それ以外に想像できないだろう。
 ただ、老人だというのも、まるで取ってつけたような発想である。見えたつもりでいて、本当は見えていないのかも知れない。見えたとすれば、その姿は老人である以外、考えられないからだ。
 だが、実際に見えたという意識があり、思い出そうとして思い出せる時があるのは、やはり見たという確信があるからだろう。中学の時に見た老人と、釣りの時に見た老人、まったく同じ人だったからだ。精神状態が、中学時代に遡ったからなのだろうか。
 大漁に気分よくして宿に帰ると、女将さんが待ち構えていた。
「大漁でしたでしょう?」
 いきなり弘樹の顔を見るなり、ニコニコしている。
 弘樹はビックリした。他の日と違って、その日は大漁でも、どこか喜べない気分だったからだ。
 喜べないというより、感情がなかったと言った方がいいかも知れない。受験の時もそうだったのだが、老人を見た時の弘樹は、顔に感情が出ていないようだった。その時は人に言われて初めて意識したが、今回はそのことを思い出し、鏡を見てみると、確かに無表情だった。
 それなのに、女将さんの口からは、大漁という言葉が出てきた。今回は、自分が鏡で見た顔と、他の人が見た顔とでは、まったく違った表情になっているということだろうか? 
そうであるとすれば、女将さんの見た顔の方が信憑性がある。自分自身の中には、思い込みがあり、しかも以前に同じシチュエーションで無表情だったという意識が、自分の中にあるのだ。
「どうして分かったの?」
 などと聞くのは愚問だった。答えは決まっているからだ。ニコニコ微笑む女将さんの表情が、そのことを物語っていた。
「今日は、腕を振るうのが楽しみですわ」
 女将さんの表情が緩みっぱなしだった。
 女将さんに、クーラーボックスを手渡し、重たい荷を下ろしたような気分になっていると、その瞬間に、弘樹も、何かのタガが外れたかのように、笑顔になっていく自分を感じていた。肩にずっしりと重たくのしかかっていたものが、気持ちを抑える役目をしていたのだろう。
「とりあえず、温泉に浸かってきますね」
 まずは、潮でベタベタになった身体を、軽くしたかった。潮風が苦手なのは、身体にへばりつく湿気と、身体に纏わりつくことでの、気だるさからくるものだった。気だるさは、身体を重くし、身動きをまともに取れなくするのだ。同じ包み込まれたような感覚でも、高校受験の時に感じた自由に動ける包み込みとはまったく違ったものだったのだ。
「それがいいわね。相当お疲れになっているのが見えますからね」
 疲れている感覚は、本当はなかった。気だるさのために、なかなか身体を動かすことのできないもどかしさは感じていたが、疲れとまでは行っていない。何と言っても、魚が釣れたことで、疲れはその時からなかったようなものである。
 女将さんが疲れているように見えたということは、それだけ潮風の影響が深かったのだろう。身体の気だるさは、自分が思っているよりも表に出ていて、疲れに見せていたのである。
 ここの温泉は、潮風を癒してくれるにはちょうどよかった。さすがに海に近いせいか、温泉の成分には、塩分は少々含まれている。逆にそれが、潮風を癒してくれているのではないかと思うほどだった。
 露天風呂からは、大海原を見ることができる。後ろを振り向くと、崖が張り出していて、いかにも秘境を思わせる。秘境と言われるところでは、何も考えないようにしていた。考えることがまるで罪のように思うからだ。
 自然に抱かれるのは、包み込まれているのと同じ感覚で、余計なことを考えなくても、自然に何かを考えるようになる。気が付けば、癒された気持ちになっていて、その時に考えていたことが、遠い昔の思い出だったように思えるのだ。
「思い出すことのできない思い出」
 誰にでも一つや二つはあるだろう。デジャブと言われるものも、同じ感覚なのかも知れない。
 その日は、温泉に結構長い時間浸かっていたような気がする。
 元々、貧血気味の弘樹は、長湯は苦手だった。
 短気な性格ゆえ、血の気が多い。血の気が多いのは、血液が足りていないからではないかと思っていた。
「血の巡りが悪いから、その分、頭が働かない。そのために、思っているほど、閃きがないため、イライラして、気が短くなるんだ」
 と、自覚していた。
 そこまで分かっていても、どうすることもできない。だから、気が短いことを自覚できるのだ。
 意外と気が短い人間は、自分のことを自覚できているのかも知れない。それだけに、自分に対しての苛立ちは、他の人が見ているよりも強いもので、
「いきなり何を言い出すのかって、思ったりしますよ」
 今までも、温泉に浸かっている間は、自宅での風呂に浸かっている時間に比べて、長いものだった。温泉というと、身体の芯から暖かさがこみ上げてくるものであろうから、あまり長湯は感心できないが、弘樹には、長湯がよかった。
 慣れるまで、最初の頃は、のぼせたりしていたが、それでも、浸かっていると、のぼせても悪い気はしなかった。なぜなら、温泉というのは、のぼせるのも早ければ、湯あたりしても、元に戻るのも早かった。
 しかも、湯あたりが、そのうちに悪いことではないように思えてきたからだ。
 最初は、吐き気を催していたが、三回目くらいから、吐き気はなくなり、その代わり、普段感じないものを感じるようになっていた。それは、想像だったり妄想だったりするのだが、普段から発展性のない自分にもそんな妄想ができるのかと思えるほどのものだった。
「これを小説にでもすれば、売れるかも知れないな」
 などと、思わず苦笑いしたりしたが、いかんせん、そんな欲を持ってしまうと、妄想というのは、記憶から消えてしまうようだった。小説にして、売ろうなどという発想は、無駄に終わってしまったのだ。
「俺にとっての発展性のなさは、ここから来るのかも知れないな」
 つまりは、発展性のなさというのは、
「出る杭は打たれる」
 という言葉に近いものがあった。
 ちょっと欲を掻いて、何かを求めようとすると、そこから先にはいけないようになっているのだ。自分が悪いのか、それともそういう性分なのか分からないが、誰も恨むわけにはいかない。だから、
「俺は発展性のない人間なんだ」
 と言って、諦めるというよりも、楽をしようと考えたとしても、それは無理のないことなのかも知れない。
 発展性を持つことは、誰にでも与えられた権利のようなものだと、皆思っているかも知れない。だが、それは大間違いだ。発展性を持つことができる人たちが考えていることであって、発展性を持てる人間がほとんどなので、誰もが、持てると思ったら大間違いだ。それこそ、持てる人間のエゴではないかと思えた。
作品名:「発展性のない」真実 作家名:森本晃次