小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集51(過去作品

INDEX|9ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 それは高校の頃だっただろうか、武田の身体が急激に大人に変わっていった時である。
「お父さんも、若い頃はスポーツをしていたから、お前のように鍛えていたんだ」
 ラグビーをしていたらしい。しかもセンターフォワード、人気の出るポジションだ。
「それでももてなかったのは、ラグビーだったからかな?」
 笑いながら話しているが、ラガーマンがもてないというわけではないだろう。どこか自分と似ているところがあるのを、その時にうすうす感じていた武田だった。
 父親も中学生の頃までは小柄だったらしい。写真を見せてもらったことがあるが、これが何と武田の子供時代にそっくり、親子なのだから当たり前だが、今は親子でもあまり似ていない。大人になって父親を見ていると、今まで成長してきた中で、父親から遺伝したところなど何もないと思っていたくらいだった。
 父親も同じことを考えていたと思っていたが、実際に視線の鋭さを見ると少し違っていたのかも知れない。似ているところを発見するたびに、驚いていたのではないだろうか。
 ということは、似ているところに対してあまりいい印象を与えるものではない。いい印象であれば、視線はもう少し柔らかいものであろう。見守るような優しい眼をしていてしかるべきである。そうでないということは、やはり、あまりいいところが似ているわけではないのだろう。
 母親の視線もそうである。
 だが、母親から受ける視線は、どこか依存心を感じる視線である。まるで恋人にでも頼っているような視線は、子供を見つめている目ではない。
 就職活動の時、
「俺、都会で一人暮らしをしようと思うんだ」
 と言って、都会の企業を目指していたのを見て、両親とも複雑な表情をしていた。
 父親は安心したような表情で、母親は、手放したくないものを見つめているようであった。心配している感じはないのだが、逆に自分の心の支えを失うのが怖いかのような雰囲気だった。
 振り切るように都会で就職し、営業まわりをするようになったのだが、初めての一人暮らしは、思ったより寂しいものではなかった。むしろ一人暮らしで、今までに味わえなかったことを感じられるのが新鮮だった。
 一人で暮らしていると、曲がりなりにも一家の主である。普段から何かを両親に言われていたわけではないが、いないとなると、少し違和感がある。だが、それが寂しさに繋がるものではなかった。
 却って何か皮肉でも頻繁に言われている方が、いなくなると寂しく感じるものなのかも知れない。
「それだからあなたはダメなのよ」
 なぜ、あまり言われなかったのだろう。結構好き勝手なことをしてきたと思っていたが、あまり叱られた記憶はない。だが、子供だからといってあまり騒いだりわがままを言ったりすることはなかった。子供の頃から冷めた性格だったのか、まわりの子供が駄々をこねているのを見て。
――情けない――
 と思うほどだった。
 ほしいものを与えられずに駄々をこねると、買ってくれるわけがないということが分かっていたのが先か、それとも、見ていて情けないと思うのが先か、どちらにしても感じていたのは事実である。
 ダメなことをダメだと分かる賢い子だったというべきか、子供のくせにかわいげがないというべきか、自分でも考えあぐねている。
 都会に出てきてまずやったことは、自分のまわりを固めることだった。精神的に落ち着きたいという思いがあったからだ。
 精神的に落ち着くためには整理整頓が一番である。あまり余計なものを置くことをしなかったため、部屋は殺風景である。だが、子供の頃から捨てることができない性格だったため、殺風景な方がいいくらいだ。
 武田が季節の中で一番好きなのは、秋だった。食事がおいしく、夏の暑さを耐えたごほうびであるかのごとく、心地よさを与えられる。
 熱くて耐えられない中でも祭りがあったりと、夏は活気のある時期である。それに比べて秋は何とも落ち着いた季節であろう。芸術の秋とはよく言ったものだ。
 バスケットをしていたわりに、武田は芸術にも造詣が深い。特に絵を見るのは好きで、美術館の催し物など、こまめにチェックしていた。
 美術館は雰囲気が好きである。悪戯に広く、空気が表とは違っている。音の響きがそれを証明していて、靴音一つが心地よい。
 気持ちに余裕が持てるからだ。
 元々絵画が好きだったわけではない。高校時代に学校からの美術鑑賞があったが、その時は好きではなかった。実際に適当に見て、すぐに帰っていたくらいだったからである。学校からの美術鑑賞のいいところは、現地集合現地解散だったところだ。受付に先生がいて、点呼さえ取ってしまえば、そのまま出席になった。それをいいことに、帰りに街まで遊びに行く連中も少なくなかった。
 武田もその一人だったが、街に遊びに行くのもいつも一人だった。
 本屋を巡ったり、電器屋に寄ってみたり、スポーツ店に寄ることがなかったのは、自由行動の時くらいは、一人で普段しないことをしたかったからかも知れない。
 高校の頃から考えていたのは、いつも二者選択だった。イエスかノーかのどちらかで、一人でいるか、それとも集団でいるかというのは、その時々で違ってはいるが、学校外では、まず一人の時が多かった。
 数学が好きだったのも、答えがはっきりしているからかも知れない。公式に当て嵌めさえすれば、答えはおのずと出てくる。それが白黒はっきりさせるという意味で好きだった。
 暗記物も同じである。きちっと暗記してしまえば、成績も上がってくる。武田の成績がよかったのは、ある程度勉強のツボを抑えていたからだろう。
 要領がよかったのだ。同じ勉強するのでも、要領が悪ければ、いくら勉強しても成績に結びつかない。結びつかないと、自信がなくなっていく。
――俺って、頭が悪いのかも知れないな――
 周りの成績が悪い連中を見ていると、そう思えてならなかった。だから、あまり要領の悪い連中と付き合うことはしなかった。せっかく自信がついているのに、自信を失っている連中に無理に合わせることもないからだ。
 秋になると、勉強が捗ってくる。大学に入ると、高校までとまったく違って、数学や暗記物よりも、奥の深いことに興味を持ち始めた。
 歴史などがそうで、歴史の勉強の奥の深さは、自分の視点にあることに気付いたからだ。
 歴史を見る視点として、まずオーソドックスに時系列を追いかける見方である。事件やその時々にクローズアップできるところが必ずあるからだ。
 もう一つの視点としては、人物を追いかけること。一人の人物の生涯を起点に、まわりの歴史を見つめてみる。これも歴史の見方である。
 前者は、広いところから狭く見る方法で、後者は、狭いところから広げて見ていく方法である。そこに歴史の醍醐味があるのではないだろうか。
 最初の頃は時系列から入った。時代や事件などを追いかけていると、今度はその中で人物が気になってくる。
作品名:短編集51(過去作品 作家名:森本晃次