短編集51(過去作品
トンボの赤い目
トンボの赤い目
武田啓二は、秋になると夕日を気にしてしまう。あまり体力がない武田は、子供の頃から夏は苦手だった。夏ばてなどしょっちゅうで、海に行って潮風に当たったりすれば、いつも翌日熱を出してしまうような少年だった。そんなだから秋が待ち遠しいのは当然である。
昨今は、体力のある人でもきつくなるほど、夏の暑さが変わってきている。地球温暖化が叫ばれているが、その影響も否めない。詳しいことは分からないが、子供の頃に夏、いくら暑いからと言っても、三十五度を超えることなど、ほとんどなかった。
しかし今はどうだ。三十五度くらいは当たり前、どうかすれば四十度を超えることもあったりして、ニュースになる。
人間の体温は、三十七度を超えると発熱していることになる。ということは、三十七度を気温が超えた時点で、体温よりも気温の方が暑いということになる。
扇風機やうちわなどまったく役に立たない。何しろ熱湯の中に浸かって、お湯をかき混ぜるのと同じなのだから、風が来たとしても、暑い風しか来ないはずである。冷房がないのであれば、じっとしているのが一番いいだろう。
だが、なかなかそうも行かない。昼間歩かないわけには行かない職業に就いてしまったからだ。都会の真ん中を中心とした営業なので、車で移動することもない。しかも、ビルからビルの移動になるので、絶えず歩いての移動だった。
タオルハンカチは必須である。それも一枚だけではなく、二、三枚、いつもポケットに入れている。スーツのズボンはいつも大きめのポケットを選ぶことにしているので、タオルハンカチを二、三枚持っていてもあまりかさばることはない。
営業の仕事よりも夏の暑さに滅入ってしまっている。暑さに耐えて移動して、いきなりクーラーの効いた部屋での商談は、辛いものがある。あまりにも気温の差が激しすぎるのだ。
子供の頃は小さくて痩せていたのだが、高校生くらいから、身体が大きくなり始めた。今ではがっしりとした身体になっているので、小学校の同窓会などに出席すると、
「お前、あの武田か?」
と、「あの」付きで言われてしまう。
高校時代に少しバスケットをやっていた。中学の終わり頃から急激に身長が伸び始めたのを見ていた先輩が、熱心に入部を薦めてくれたからだ。
武田の通っていた中学は私立で、中高一貫教育なので、高校の先輩からは注目を受けていたようだ。
中学に入れば弱かった身体も少し強くなってきたようだ。相変わらず暑さには弱かったが、体力測定などをすると、明らかに基準値に近づいてきていた。二年生になる頃には、基準値を上回ることも多くなり、
――何か運動でもしようかな――
と思うようになっていた。
きっと、中学時代にしっかりと食べていたのが幸いしたのだろう。元々栄養を吸収しやすい体質で、食べたものがすぐに体力に繋がっていた。
バスケットをしていると、筋肉が自然とついてくる。ひ弱だった頃を知っている人にはビックリだったことだろう。
ある程度練習すれば様になるもので、二年生の頃にはしっかりレギュラーになっていて、三年生ではキャプテンを務めるまでになった。
バスケット部というのは結構もてるものだ。何しろ身長が高く、筋肉があるのだから、当然であろう。
武田はバスケットもこなしながら、勉強も手を抜かなかった。成績もそこそこに良かったので、大学にも一流と行かないまでも合格し、順風満帆の生活だった。
高校時代にもててはいたが、有頂天にはならなかった。一人の女性と付き合った時期もあったが、恋愛に関しては純情だった武田は、いつの間にか相手の女性から飽きられてしまっていた。
飽きられることを最初から分かっていたと、後から考えれば感じた。飽きられても仕方がないのは、会話をしていて肝心なこととなると、言葉が出てこないところが多々あったからだ。飽きられたというよりも、呆れられたというべきかも知れないと感じるが、会話にならない自分が情けなくなってしまった。
誰が見ても好青年に見えるだろう。文武両道で、顔の作りも丹精だと思っている。自惚れには違いないが、実際に後輩からの噂などで悪いことをいうやつはいなかった。
有頂天にならないところは、武田のいいところである。バスケット部のキャプテンになったのは、彼にとっていいことだったに違いない。キャプテンともなると、まわりをしっかり見ていなければならず、有頂天になっている暇などないからである。
結構まわりを見る目は持っていて、勉強を怠らなかったのも、バスケットでの実力が自分でたかが知れていることを自覚していたからである。
県大会でも、そこそこの成績を収めてはいたが、まだまだ全国大会への壁は厚く、全国大会へ出場できないと、大学関係者の目にも留まることはないと判断したのだった。
実際に、大学に行くつもりではいるが、大学でもバスケットをする気持ちは次第に萎えていた。
かといって他のスポーツをする気にもなれなかった。大学生活を謳歌したいと思ったからだ。
友達をたくさん作ることが一番の目的になっていた。進学の勉強している時でも、大学に入ってから、友達を作ることという目的を持つことで、ある程度頑張ることができたのだ。
何か目標がないと頑張ることができない。それはバスケットをしている時に感じたことだ。もちろん目的は全国大会、果たせぬ夢であったが、高校時代に悔いを残さなかったのは目的があったからだ。
入学してしまえば、友達は自然にたくさんできた。大学というところはいろいろな連中の集まりでもある。中には試合の相手だった人もいて、懐かしさで我を忘れて話に耽ったこともあった。
彼が最初の友達だった。
バスケットをしていて、彼の学校には負けたことはなかったが、卒業してしまうと、気分は対等だった。だが、実際には彼の方に若干の劣等感があったのだが、それをなかなか感じることができないほどに、友達ができていくことに興奮していたのだった。
闇雲に友達を増やしていったが、そのせいで、一人一人との仲が、少し希薄になっていった。仕方がないところではあるが、元々グループで固まることが嫌いな武田らしいところでもある。同じ学校から進学してきた連中は、自分たちだけで固まる傾向があったが、見ていて情けなさすらあったのだ。
大学時代、あまり人と集団を作ることがなかったが、いろいろな集団に顔を出していた。いろいろな人がいて、彼らを動物に喩えることも多かった。
猫に似ているやつ、犬のようなやつ、特に女性は分けやすかった。
失礼に当たると思いながらも楽しんでいる。そんな大学生活だった。
両親を見ていて、いつも感じるのが視線だった。
父親も母親も自分を見る目に時々ハッとすることがある。その視線は、普段であれば、どこを見ているか分からないほどにうつろな時があるかと思えば、ナイフのような鋭い視線を浴びせられることもある。
最初はその視線を分かっていなかった。だが、視線を強く感じるようになってから、鋭い視線を忘れられなくなったのは事実で、いつも視線を気にするようになった。
作品名:短編集51(過去作品 作家名:森本晃次