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短編集51(過去作品

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――今は、それほどお腹が減らないな――
 遊んでいればお腹も減ってくる。減ってきても、それでも遊ぶのは、身体が元気だったからに違いない。それとも、お腹が減っていても遊ぶということにまい進したのは、それだけ遊びが自分の毎日の生活の中で、本能的なものだったのかと、そんな風に感じられるのだ。
 公園で待っていると、程なく郁子が現れた。その姿はホステスとしての郁子ではなく、普通の女の子だった。
「ごめんなさい。お待たせしてしまって」
「いえいえ、私も今来たところですよ」
 本当はしばらく待っていた。しかし、その待っている時間のおかげで、久しぶりに少年時代を思い出すことができたので、それほど気にならない。
 少年時代を思い出すのはあまり嬉しいことではなかったはずなのに、やはり女性と待ち合わせているという気持ちがあるから、余裕を持って思い出すことができたようだ。
「公園って懐かしいですよね。実はこれでも子供の頃はワンパクな女の子だったんですよ」
 お店では控えめな雰囲気だが、公園を見つめる目はあどけなさの中に冒険が好きそうな少年の目を想像させる。好奇心旺盛な少年の目であった。
 近くに喫茶店があるのは知っていた。住宅街へと向う途中にある喫茶店は、駐車場も広く取っていて、ケーキがおいしいので有名であった。もちろん、喫茶店以外にもケーキのお店でもある。渡辺はそんなお店が好きだった。
 郁子もその店に行きたいと以前から話していた。店の名前は、喫茶「バッハ」、店内にはピアノやバイオリンといった楽器を基調としたクラシックが流れている。落ち着いた雰囲気になれそうだった。
「このお店は初めてなんですよ」
「そうなんですか。私は今までに何度か入ったことがあるんですよ。お薦めはアップルパイですね」
 店内は白を基調にした色合いで、西日に照らされて明るさが増していた。だが、西日はまもなく沈むはずなので、ライトアップされた店内がどれほどの明るさを保っているかに興味があった。
 明らかにタバコは吸えない雰囲気だった。
 最近タバコを吸い始めたとは言え、渡辺はヘビースモーカーではない。吸わなければ吸わないで済ますことができる。タバコを吸えないことを、それほど気にすることはなかった。
 コーヒーとアップルパイが運ばれてくる。お腹が減っていたわけではないはずなのに、注文してから運ばれてくるまでがかなり時間が掛かったように思えた。それは空腹時、注文したものを待っている時間に限りなく似ていた。
――この甘い香りが空腹感を誘うのかも知れない――
 空腹だという感覚ではなく、甘い香りが、鼻腔を刺激し、無意識に空腹感を煽っていたのかも知れない。
 そういえば、初めてタバコを吸い始めた時もそうだった。
 初めはそれほどタバコを吸わない時間と、吸っている時間に違いを感じることはなかった。まず最初に違いを感じたのが、吸っている時と吸わない時とでの時間の流れが違うことだった。
 タバコを吸っている時間は、最初あっという間に過ぎてしまって、吸わない時間はイライラし始めるまでは、時間がゆっくり過ぎていると思っていた。
 だが、そのうちにタバコを吸っていない時間から吸っている時間を思い出すと、いろいろなことを考えているためか、なかなか時間が過ぎてくれないように感じられてならなかった。
 時間の感覚に対しては、学生の頃から感じることが多かった。大学時代などは、黙っていても過ぎていく時間をもったいなく感じ、何かをしなければならないと感じていることが焦りに繋がっていた。
――大学時代にいつも同じような夢を見ていたな――
 それは高校入試の時のことである。
 大学入試の方がよほど精神的にきつかったと感じているのに、なぜ高校入試を思い出すのだろう。夢というのは、潜在意識が見せるものなので、自分の中に強烈なイメージとして残っていることが夢として現れるはずである。それだけ高校入試は自分の中でトラウマとなっていたに違いない。
 何事も最初のイメージが強く残っているものだ。入学試験というものを最初に感じたのは高校時代。それほどきつかった思い出はなかったとしても、心の奥での入学試験のイメージは、やはり高校入試なのだろう。
――高校入試の時に、もう少し頑張っていればよかった――
 という意識はあった。
 少し自分のレベルを落として楽な選択をした。そのせいで、学校に入ると成績はトップクラスではあったが、もともとのレベルが低いので、それも当然だった。一年生の頃こそ天狗になっていたが、実際のレベルの低さを二年生になって通い始めた塾で嫌というほど感じさせられた。
 熟に通ってくる他の高校の生徒は、意識からして違っていた。競争心に溢れた目を、それまでに感じたことがなかったからだ。
 中学時代にもまわりに感じたことはない。高校ではなおさらである。自分だけが取り残されていたことを、その時ハッキリと知ったのだ。
 知らなかったことをこれほどまでに後悔したことはない。それが過ぎ行く時間にもったいなさを感じた最初だった。だから、夢に見るのはその元凶を作った高校入試に遡る。高校時代は考えているほど、明るいものではなかった。
 タバコが吸えない辛さはなかったが、アップルパイを食べながら郁子を見ていると、それまでに感じていた郁子と少し違ってきたことに気付いた。
 あどけない雰囲気が何とも言えず、
――完全に自分の好みの女性だ――
 と思っていたのだが、どうも少し違ってきているようだ。
 確かにかわいい雰囲気の中に毅然とした態度が、今までに感じたことのない女性への意識を高めてドキドキするものを感じさせてくれる。かつて感じた「恋する」という感覚には違いなかったはずだ。
 だが、自分の好みの女性という見方で見ると、イメージが違う。
 妻の美紀を思い出してしまう。目の前にいる女性が郁子だということを感じれば感じるほど、意識は美紀へと向いていた。
 美紀と知り合った時のことを思い出そうとしているが、なぜか思い出せない。
――タバコを吸えば思い出せそうな気がする――
 最近、物忘れが激しくなったことを、渡辺は気にしていた。
 物忘れが激しいというよりも、毎日の生活がタバコを吸っている時間と吸っていない時間とがハッキリと分かれてしまっていて、吸っている時間に吸っていない時間のことを思い出そうとすると思い出せないのである。吸う時間に吸っていない時間を思い出す時も同じことで、それが同じ日であっても思い出せなかったりする。
――それぞれで感覚が麻痺しているのかも知れない――
 タバコはニコチンが入っているので、覚醒意識が強い。止められなくなるのもそのためで、その副作用として、感覚を麻痺させることもあるようだ。
 タバコを吸う時間と吸っていない時間とで自分の中でメリハリをつけていたつもりでいるが、意識の中ではタバコによる影響が大きいに違いない。
 郁子と話をしていて、見つめているのは郁子ではない。懐かしさの中で意識しているのは、昔の自分だった。高校時代であったり、大学時代であったりと、元々は公園で少年時代を思い出していた時から、雰囲気が違って感じられたのかも知れない。
作品名:短編集51(過去作品 作家名:森本晃次