短編集51(過去作品
慌てふためくしかなかったが、ちょうどやってきた大学生のお兄さんたちのおかげで、友達は何とか数日の入院だけで済んだのだが、助けてあげられなかったことがどうしても心に残った。その時の沼の色が深緑だったのである。後から考えれば、深緑を見ていて、
――いやな予感がするな――
と思っていたように感じたが、それは後から思うからなのかも知れない。
その沼の緑の深さと、曇りの時の塀から見える緑の深さ、そして、ビルの谷間から見える曇天のグレーの深さと同じ感覚である。ただシチュエーションも、年齢も、見える感覚も違うことで、どこかで違う色だと感じようとしている自分がいることに気付いていた。
塀の反対側には大きな西洋式の門があって、その奥には三つの大きな三角形でできた屋根が聳え立つ西洋屋敷があった。めったに門がある方を歩かないので、屋敷を見たことはないが、たまに見ると圧倒されるに違いない。大人になってからでも思い出すとその壮大さが瞼の奥に浮かび上がってくるのであった。
森の向こうの家屋まで、門からどれほどの距離か分からなかったが、聳え立っている屋根の向こうに見える空がつかめそうなほどに見えたことから、近くに見えていたにもかかわらず実際はかなりの距離があったと推測される。と、同時に家屋の大きさも子供の目線ということを差し引いても、さらに大きな建物であることを思わせられた。
門から見える建物に続くであろう道は、草が生い茂っていてハッキリどれが道なのか分からない。ただ、敷石が見えているところがあるので、少し蛇行したようになって建物に向っているようだ。どうやらこの建物の元主は、洒落モノだったに違いない。
「門から入って建物の裏に古井戸があるらしいんだ」
「洋館に古井戸なんてあるのかい?」
「ああ、どうも表から見ると西洋屋敷なんだが、離れのようなのがあって、そこは日本家屋らしいんだ。おじいちゃんの話なんだけどね」
友達がおじいちゃんから仕入れた話のようだ。かなり昔からある西洋屋敷のようで、戦前には政治家の先生の別荘だったとも言っていた。
「中には隠し通路があったりするらしいぞ」
まるでミステリー小説の舞台にでもなりそうな屋敷である。冒険心旺盛な小学生なら、誰でも興味を持っておかしくはない。
特に吾郎の友達には好奇心旺盛なやつが集まっていた。すでに家でゲームをする小学生が増えていた時期だったが、相変わらず表で遊ぶ子もいた。そんな仲間ばかりが吾郎のまわりにはいたのである。
好奇心と冒険心とは違うものなのだろうか?
――自分は好奇心も冒険心も旺盛だ――
と感じていた時期があったが、大人になるにつれて、冒険心が薄れていき、好奇心が旺盛になってくる。その好奇心も成長期が一番激しいものであったことは自覚していた。
だが、冒険心が薄れて行った時というのはおぼろげながら分かっている。意外と何か事件が起こって自分の中で納得の上で薄れていくことを理解している人は少なくないのではないだろうか。
それが、洋館への冒険であった。
最初言い出したのは他ならぬ吾郎であった。他の人がやらないようなことを自分が最初にしたいという気持ちがきっと友達よりも強かったからであろう。しかし、元来勝気な連中の集まり、提案すれば二つ返事で、皆乗り気になっていた。
――鶴の一声とはこのことだな。僕の一声もまんざらではないな――
結果がどうあれ、自分の一言がまわりを動かしたのだから、自分の言動に対して感じた自信は、それからも揺らぐことはなかった。
皆口には出さないまでも一度は探検してみたいという気持ちがあったのだろう。いろいろな意見が聞かれた。
「屋敷の中まで入ってみるか?」
「いや、屋敷はきっと鍵が掛かっているさ」
「掛かっていないと思うぞ。でも、入ろうとしても扉が錆び付いて入れないかも知れないな」
「それ以前に住居不法侵入はまずいのでは?」
「でも誰も住んでいないんだよ?」
「それでもまずいさ」
総合的に話をしていて、やはり屋敷の中へ侵入はまずいだろうということになった。それは吾郎も同じ意見で、法律的な問題というよりも、不気味さが強く、不気味さを感じるなど最初から考えていなかった。
「最終目的は裏にある井戸だね」
吾郎の意見である。言い出しっぺの吾郎の意見なので、無碍にできるわけもなく、最終目的は井戸に決定、誰もが井戸を気にしていたことの表れでもあった。
吾郎としてはただ見るだけでよかった。井戸の中に興味があるわけではなく、ましてや入ってみようなどという考えは毛頭なかった。井戸がどんな風になっているか分かっただけで、学校で他の人に対しての話題ができる。それだけでよかったのだ。
時期的には冬の寒い時期であった。
空気は乾燥していて、特にその年は夏に雨もあまり降らず、ところどころで火事が起こることも多かった。
実際に屋敷を探検するにあたって、あまり皆深く考えていなかった。
「怖くなったら、帰ってくればいいんだ」
とそれぞれが思っていたに違いない。
最初の一声を上げた時、吾郎にしてもそれほど大袈裟なもので考えたわけではなかった。何か暇つぶしになるようなことでもあればそれでよかったのだ。
皆軽装で、それが却って何かあっても身動き取れるのでよかったのだが、そんなつもりは毛頭ない。ただ遊びの延長というだけで、自分の中で納得できるものがあり、それが形に残れば言うことないと思っているに違いない。
だが、その中で一人だけ重装備の友達がいた。
「そんなにいろいろ持ってきてどうするつもりなんだい?」
まるでレンジャー部隊を思わせるような恰好である。元々一番冒険心が旺盛なやつだとは思っていたが、これだけの装備を持っているなど驚いた。
服は迷彩服で、頭にはベレー帽、さらに肩からはロープを掛け、腰にはナイフまで刺している。まあ、すべて本物というわけではないだろうが、これのどこが小学生だというのか。
「井戸の中まで入るんじゃないのかい?」
人がたくさん集まればその中に勘違いや思い違いをする人も必ず出てくる。彼はその典型だった。
名前を修と言った。修は、子供心にレンジャー部隊に憧れていて、一度部屋に行った時もポスターにレンジャー部隊が貼られていたのを思い出した。そこまで知らない連中は、さぞや修の姿を見て、仰天したに違いない。
気持ちの中であまりにも重装備な恰好を場違いだといわんばかりに軽蔑していたかも知れない。事実吾郎も最初は仰天したが、すぐにその恰好に違和感を感じ、思わず吹き出してしまいそうになるのを必死に堪えた。修の真面目な顔を見れば見るほど、滑稽に映ったのだ。
靴も安全靴のような重たいもので、いざ、敷地内に入っていく時の順番は必然的に修が最初になった。その次に言い出しっぺの吾郎と続き、後は順不同であった。
乾燥しているわりには、敷地内の中だけは湿気を含んでいて、吾郎の履いている安全靴の重みがくっきりと足跡をつけていた。まわりを見ながらというよりも、修の安全靴の跡を見ながら歩いていたのだ。
作品名:短編集51(過去作品 作家名:森本晃次