短編集50(過去作品)
竹田は、滝廉太郎の「荒城の月」で有名な岡城が聳えている。観光地化されているわけではなく、実にこじんまりとした街で、ゆっくりと見ることができる。昼食を軽く取るために、少し休憩も取った。
竹田から阿蘇へはそれほど時間が掛からない。国道をまっすぐに走ればいいのだが、それでは何となくもったいない気がした。地図を見ながら、高森や南阿蘇を通るコースを見ていると、そちらを通ってもそれほど苦にならないことに気がついた。
実際に泊まる宿も南阿蘇のペンションに決めていた。道の下見を兼ねてちょうどいいコースになる。さっそく車を走らせることにした。
その日は朝から、少し雲行きが怪しそうな感じだったのが気になっていたが、昼から晴れてきていた。車を走らせ熊本県に入ったのを標識で確認すると、心なしか、南国へやってきた感覚に襲われるから不思議だった。
完全に山道を走っているような感覚である。
熊本県に入ってからは、道を下っている間隔が強く、阿蘇山が見えてくると、壮大な気持ちになってくる。
まずは高森への道を走ったが、高森というところ、白川水源なども近くにあり、水の綺麗なところで有名である。
――田楽というのもこのあたりだったな――
串刺しにした豆腐や、野菜に特製の味噌を塗り、それを囲炉裏に串刺して、程よく焼くのが田楽と呼ばれる郷土料理である。
ガイドブックを見ていると、阿蘇には赤牛と呼ばれる牛を放牧しているらしく、赤牛の肉を一緒に焼いたり、「だご汁」と呼ばれる味噌汁を一緒に食べたりするらしい。
だご汁とは、団子汁が訛ったもので、大分あたりで有名な「やせうま」が入っている。やせうまとは、だんご粉で作った超太い麺のことで、だんごとしても使っているのであった。さっき食事をしたばかりなのに、想像しただけで、また食欲が湧いてきそうである。
高森に抜けて、白川水源でおいしい水を飲んで、そのまま車を走らせた。
南阿蘇から阿蘇山頂への道を地図で見ながら確認し、車を走らせる。ここまでくれば、完全に阿蘇の麓を見ながら走っていることになる。
気持ちは阿蘇山という大きな山に抱かれた大自然の中に誘われていた。やはり、阿蘇山は偉大である。阿蘇山が最初にあって、その後に自然が育まれていったと考えるのが正解だと、今さらながらに感じるのだった。
阿蘇に上っていくにつれて、心なしか涼しくなってくる。クーラーをかけずとも窓を開けているだけで涼しく感じられる。
想像していたよりも車の量は多くない。きっと熊本からのバイパスを通ってくる道は混んでいるに違いないと思うが、こちらはそれに比べて、穴場になっているのだろう。
確かに向こうの方が、猿回し劇場があったり、熊牧場があったりと、いろいろな観光スポットがある。道も広く作ってあって、ところどころにお土産屋がドライブインのように点在していると聞いていた。
敢えて、こっちの道を選んだのは、最初から大自然の原点を確かめるのが目的だったので、その意味では目的を達成できた。
阿蘇山といえば、火口に行くまでに広がっている草千里と呼ばれるところが有名である。読んで字の如し、草が生えている高原が千里にも渡って広がっているというものだが、千里とはあまりにも大袈裟であった。
しかし、見ていて壮大であることには違いない。ドライブインに車を止めて、観光客がカメラを向けている。阿蘇山は、牛や馬を放牧しているのも有名であるが、遠くの方に見える牛や馬を見ていた。中には阿蘇名産の赤牛もいることだろう。
さすがにここまで登ってくると、かなり肌寒い。初夏の日差しが降り注いでいるが、それでも寒さを感じる。阿蘇山特有の気候なのだろう。
草千里も全体を見渡していると、
――実に緑が綺麗だ――
という感覚にしかならないが、よく見てみると、草がぬれているのが見える。雨が降っているわけでもないし、朝ではないのだから露が降ったわけでもない。そのせいか、同じ緑でも場所によって微妙に色が違って感じられる。これは起伏の違いによる光の加減が原因であろうが、ただ漠然と全体を見渡していては気付かなかっただろう。
――実にいい発見をしたものだ――
と感じ。それだけでもきた甲斐があったというものだ。大自然の醍醐味の一部を垣間見た気がした。
さらに車を走らせ、山頂は目の前だった。山頂前の駐車場に車を止め、山頂までは歩いても上れるし。短い距離のロープウェイもある。
――これくらいなら歩くか――
と、まばらな観光客に混じって山頂を目指した。さっきの草千里であれだけ観光客がいたのに、少し不思議な気がするくらいだったが、登ってから火口を眺めると、壮大さに、さらにビックリさせられた。
あまり覗き込むことはできなかった。何しろ高所恐怖症なので、乗り出すだけでもオア恐ろしい。
――ここから落ちたらひとたまりもないな――
そういえば、ここから飛び降りようとした人の話を聞いたことがある。理由は分からなかったが、確かプロ野球球団のジャイアンツで選手としてプレーし、監督としても金字塔を打ち立てた赤バットの川上哲治氏、あの人が飛び降りを考えた人ではなかったか。そんなことを感じながら見ていると、それ以上は火口を覗くのが恐ろしくなってきた。
火口からは、煙が出ている。真っ白い煙の奥は池のようになっていて、青なのか緑なのか水が溜まっているようだ。そこまでは何とか分かった。
「今日のお客さんはラッキーだ。めったに火口の池が見えることもないんですよ。こんな時に来られたのは、何かいいことがある前兆かも知れませんよ」
観光タクシーを雇ったのか、タクシー運転手が、家族連れの人に説明をしていた。
――確かにそうかも知れないな――
阿蘇はたまに火口から有毒ガスが噴出することもあって、駐車場から火口までの道が閉鎖されることも珍しくない。そういう意味でも実にラッキーだったといえるだろう。
元々、火口を見ることが目的ではない。阿蘇山自体というよりも、阿蘇を中心とした大自然を見ることを前提とした旅行である。阿蘇の火口は、あくまでも付録のようなものだった。
だが、考えは少し変わった。
――火口を見ずしてまわりの自然もないものだ――
と思うようになった。
火口が自然の原点で。ここからすべてのものが始まったという考え方もできる。駐車場から火口への登山道を見ながら土屋が考えていたのは、阿蘇の風景を空の上から見たら、どうなるかということであった。さぞや、火口を中心に、草千里にしてもすべての景色が形成されているのではないかと思えてならなかった。
火口の駐車場で車に乗り込み時計を見た。時間的にはまだ三時前を差している。想像していたよりも時間がゆっくり進んでいた。きっと午前中の湯布院の時間をもったいないと思っているからだと感じたからである。
確かに午前中はあっという間だった。ほとんどが車での移動で、高森に寄って、やっと落ち着いた気分になったからだ。
阿蘇の大自然に抱かれているので、気持ちが落ち着き、そしてゆったりとした気分になれるのだろう。
「さて、これからどうしたものか」
熊本市内に出てもいいかも知れない。
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次