短編集50(過去作品)
すすきの高原
すすきの高原
土屋一平が一人旅というのはいつ以来になるだろうか。学生時代までは友達と旅行に行くことが多かったが、社会人になってしまうと、友達との時間調整が難しい。地方に転属になった人もいれば、同じ地域でも仕事の都合でなかなか会うことすら難しい。
会社での付き合いもあるだろう。大学時代は、最高学府、しかし、就職してしまえば、いくらどんなに成績が良かったとしても、会社では新入社員なのだ。
仕事を覚えるまでは必死だった。それこそ旅行どころではなかったのだが、仕事をしている間でも、旅行に出ている自分を思い浮かべている時が一番の気分転換だった。
想像している時は、山よりも海だった。海辺を車で走って、夕日を追いかけている。いくら追いかけても追いつけるわけもなく、気がつけば砂浜に座っている。
想像は夢に似ている。色や匂いを感じるわけではない。そして時間の感覚も麻痺している。覚えているか覚えていないかだけの違いだけである。
夢の中のことでも覚えていることはあるが、それはかなりインパクトの強いものである。だから、夢と想像は違うものだと思われがちである。
――海の色って何色なんだろう――
空と同化している時もある。鈍色というべきだろうか。そんな時の波は高く、海は荒れ狂っている。
あくまでも夢の中のことであって、実際に見たわけではない。テレビドラマなどで見たシーンがよみがえってきているのだろう。実際には見ることのできない世界ではないかと思えるほどだった。
山のシーンはあまり夢に見ることはない。
実際に山に行くことが好きで、秋になるとよく登山をしたものだった。
いつも同じ山に登るわけではないので、景色はさまざまだ。色だって同じである。同じ緑であってもどこかが違う。それは同じ山に登った時でも一緒で、明るい時と暗い時で色が違う。光の加減には違いないが、土屋は暗い色の方が好きだった。
深い緑には、清涼感がある。山に登って疲れた身体に爽やかな風とともに見えてくる深い緑に清涼感を感じるのだ。抹茶を飲むのが好きな土屋らしいではないか。
名所旧跡が好きで、旅行に出かけると城下町を歩いたりすると、よく茶室を探したりする。お茶を飲む雰囲気が好きなのだ。緑に囲まれた茶室の中で飲む深い緑のお茶、どんなに暑い時期でも、清涼感に包まれている。
昨年の夏には山陰地方の松江に赴いた。城下町があり、街の真ん中には景色が綺麗なことで有名な宍道湖という湖があり、他の土地にはないおもむきを見せてくれる。しかも出雲が近く、神様に近い場所ということでの興味も深かった。
松江は山陰地方最大の街で、歴史的なものもたくさんある。城も天守閣が聳えていて、城下町も綺麗である。散策にはもってこいだった。
茶室にも当然のごとく立ち寄って、想像していた満足感を得ることができた。実に有意義な旅だった。
松江への旅が、土屋にとっての一人旅だった。
彼女のいない土屋は、旅行先での出会いを考えなくもなかった。そういう意味では、肩透かしに終わったが、希望がないわけではない。一人旅をしている女性も数は少ないだろうが、いないこともないからである。
確かに松江での一人旅は、有意義なものだったが、何か物足りなさを感じた。それが、あまりにも想像していたとおりの旅だったことが原因であると分かったのは、かなり後になってからだ。
「あんまり欲張ることないさ」
自分に言い聞かせてみたのは、何に期待していたのか分からないからだ。出会いを期待していたが肩透かしだっただけが原因ではない。あれほど夢にまで見た一人旅が、想像どおりであったことに満足すればいいのだろうが、土屋にはそれだけでは済まない何かがあった。
学生時代までは、日々成長しているように感じていた。それだけに背伸びを考えた時期もあったが、必要以上に肩に力が入ることはなかった。
だが、卒業してからは違った。
一からの出発で、それまでの成長の過程のつもりでいるわけにはいかない。そこが五月病と呼ばれるもので、自分を臆病にするものであった。
人がいうほどの五月病に陥ることはなかったが、どこか不思議な感覚があった。それが孤独感だと分かったから、それ以上深みに陥ることはなかったのだろう。歯止めが利いたに違いない。
――孤独感で、歯止めの掛かることだってあるんだ――
孤独感をいい意味で捉えることのなかった土屋が、いい意味でも捉えられるようになったのはその時からだった。もちろん、時と場合によるが、一人になりたい時の孤独感は、決して悪い意味ではない。
昨年は持っていなかった車、今年は買うことができた。都会に住んでいて、生活に困ることはないが、旅行する時のことを考えて買ったものだった。毎年とまでは行かないが、せめて結婚するまでは、どこかに旅行したいという気持ちをずっと持ち続けていたいと思っていたかった。
今年に入ると、夏は忙しく、なかなか旅行の計画も立てられなかった。
昨年は、まだ研修期間中、夏の休暇も普通に取れた。気分転換ということもあって、新入社員のほとんどは旅行の計画を立てていた。
一緒に旅行する人はいなかった。それぞれに学生時代の友達に連絡を取ったり、土屋と同じように一人旅を望んだりしている。
土屋もその一人だったが、土屋の一人旅が初めてだということは誰も知らない。仕事が終わってから買っておいたガイドブックを会社の昼休みに見ていたりしたことから、旅行に行くことは皆知っていたはずである。
会社でガイドブックを見ている新入社員も多く、上司も大目に見ていた。元々、
「今度の休暇では、皆旅行でも行って、リフレッシュしてくるといい。その方が、研修にも身が入るというものだ」
と言っていた上司である。
きっと自分たちが新人の頃もそうだったのだろう。上司の新入社員の時代を思い起こそうと考えたが、それは無理だった。
土屋が選んだのは熊本だった。
熊本を選んだ理由は、阿蘇山があるからで、大自然の中に大きな火山があるのか、大きな火山に育まれた土壌に大自然が横たわっているのか、それを確かめてみたかったからである。
実は中学の時の修学旅行で、一度訪れている。
北部九州が中心だったが、今から思えばいろいろな土地を一気に回ったことで、一つ一つの土地に思い出は残っていない。逆にそれを今から確かめたいという気持ちが強かったのだ。
計画は、フェリーで別府まで行き、別府から阿蘇に抜けて、そこから熊本に入るルートだった。
阿蘇で一泊の計画を立てているので、別府から先はかなり余裕があるはずである。湯布院に一度寄ってから、阿蘇に抜ける計画を立てた。
別府から湯布院までは車で一時間も掛からない。思っていたよりも観光化されているわりには、見るところは限られていた。それなのに、何という人の多さだろうか。あまりにも有名な観光スポットになりすぎてしまっているに違いない。
昼前に湯布院を出発し、途中裏道を通り、竹田に抜けた。
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次