短編集50(過去作品)
夢というのは、主人公である自分が中にいて、その表から他人事のように見ているもう一人の自分がいるという構造だと常々考えている。鬱状態の時もそうであって、表から見ている自分には、中でもがいている自分が見えるのだ。
――半月もすれば元に戻るさ――
と冷静な目で呟いている。その声が中にいる自分に届いているわけはないし、表にいるもう一人の自分を意識していないはずなのに、そう感じるというのは、意識は他人事のように見ている表の自分に集中しているからかも知れない。
社会人になって、最初に訪れたバーでは、何か違和感を感じていた。バー「フォルテシモ」には、大学時代に感じていたバーの雰囲気とは違うものがあった。大学時代と社会人になってからの自分の感じ方が違ってきたのも事実だが、それだけではなかった。
店の中が暖かく感じられた。居酒屋やスナックには時々顔を出していたが、相変わらずアルコールに強くならない。
――遺伝なのかも知れない――
父親を見ていてそう思う。
「うちの家系に呑める人間はいないから、お前もきっと弱いだろう」
と父親から言われたが、まさしくそのとおり、しかも山科は自己暗示に掛かりやすいタイプで、人から言われればそのまま信じ込んでしまう。
それも自分のまわりの人が皆自分よりも優れて見えるところから来ているに違いない。人の言葉を信じてしまうのだ。普通であれば、最初に信じようとしても、結局疑いの目を持つというのが多いのだろうが、山科の場合、最初に疑ってみようと感じても、最後には信じてしまうのだ。考え方に最後の詰めが甘いと感じていた。
バー「フォルテシモ」でもあまり強いアルコールを呑んだことはない。
「あまり強くしないでくださいね」
といつも話しをして、薄くしてもらっている。だが、それでも時々次の日になると頭痛に襲われることがあった。
――呑んでいる時も、帰ってからもなんともないのに、変だな――
と感じるが、それがカクテルの魔力なのかも知れない。
最初は、何を飲んでいいのか分からなかったが、いろいろ薄いのを呑んでみたが、ソルティドッグが一番自分にあっているのが分かった。スナックというところは、食事もこっていて、なかなかおいしいものを出してくれる。山科の好きなのはオイル焼きで、海老や海産物、砂ずりをスライスにし、土鍋のようなものでオイルに漬けてボイルしたものを出してくれる。それに少し焼いたフランスパンをつけて食べるのがとてもおいしく、バー「フォルテシモ」の看板料理であった。
他にも手作りパスタを自慢としているが、最初に食べたオイル焼きで、結構お腹も腹八分目くらいになり、それ以上は入らない。
オイル焼きに似合うのが、ソルティドッグだったのだ。
脂っけのあるオイル焼きの味に、塩味の利いたソルティドッグは実にあった。喉の渇きを誘発するくせに、塩味であるソルティドッグについつい手が伸びてしまう。気がつけばちょうどオイル焼きを食べ終わった時に、ソルティドッグが一杯なくなっているのである。
子供の頃から、
「ちゃんとバランスを考えて食べないといけません」
と学校でも言われてきた。なぜなのか理由は分からなかったが、素直に従っていた。それも皆が自分よりも優れているという暗黙の了解のようなものが自分の中にあるからだというのと、それよりも、意味が分からないまでも、心の中で、何らかの納得があったからに違いない。
山科は、納得できないことはしたくないタイプであった。それは物心ついた頃からで、無意識に逆らう気持ちが心のどこかにあるのかも知れない。
小学生の頃いつも親から、
「勉強しなさい。勉強しないと立派な大人になれませんよ」
と言われていた。
高学年になれば、それがどこの親でもいう一般的な言葉だということを理解できたが、三年生くらいまでは、
――何で僕だけ言われるんだ――
と思っていたものだ。しかも勉強しないと立派な大人になれないという理屈が理解できなかった。勉強が嫌いだったわけではないが、無理に勉強をさせようという気持ちが嫌だったのだ。
――言われてからする――
そう思われるのが一番辛かった。
心のどこかに後ろめたさを感じる。
しかし、すべては何かのきっかけなのだ。それがどのタイミングで訪れるのかによって、その人の運命が決まってしまうが、最初から決められていたタイミングのように思う。
――人は運命に逆らえないんだ――
というのも、小さい頃から無意識に感じていたことである。
ある日突然、勉強が好きになった。それと平行してか、親からやかましく言われることもなくなってくる。
――何かが自分の中ではじけたのかも知れない――
今から思うと、そういう表現がピッタリである。
人生の中にはそのような転機になることがいくつも点在している。
「人生の転機って何度も訪れるんだろうけど、それって、結構若いうちだけなんだよな」
大学の時の友達で、人生観について話すのが好きなやつがいたが、彼から出た話題だった。
「そうだな、だけど、それにどれだけ気付くかじゃないのかな?」
「気付いても、どうしていいか分からない時もあるだろう。それが一番辛いかも知れないぞ」
「そのために勉強するっていう理屈なら、勉強することも苦にならないよな。楽しく勉強しようと思えばいくらでもできる」
「それはそうなんだろうけど、一度見逃した転機が、もう一度訪れると思うかい?」
という山科の質問に、
「それって、なかなか難しいところだと思うんだけど、俺はもう一度訪れると思っているよ。要するに、その人の運命はある程度決まっていて、訪れた転機へなるべく導けるようになっているんじゃないかな?」
という答えが返ってきて、思わず、
「う〜〜ん」
と唸ってしまった。楽天的な考え方には違いないが、どこかすべてを納得できない自分がいる。山科自身、楽天的なところがあるのだが、どこかで頑ななところがあり、理解できないことも多い。友達の話を聞きながら、自分のそれまでの人生を考え直していた。
すると、友達が何かを思ったように急に声を上げた。
「あっ」
「どうしたんだ?」
「いや、さっき人生の転機の訪れは若いうちだけじゃないかって思ったんだけど、そうでもないかも知れない」
「というと?」
「年齢を重ねてからもきっとあるんだよ。だけど、それに気付くかどうかなのかも知れない。和解うちと年齢を重ねてからでは感じ方が大いに違うからね」
まるで自分が歳を取ったことがあるかのような言い方だった。友達の口はそこから急に滑らかになり、さらに話を続ける。
「俺は時々、自分の未来についての夢を見るんだけど、歳を取るにつれて、一日はとても長いのに、一年ってあっという間なんだよね。何となく夢というそのものに似ているような気がするんだ」
最初、友達の言っていることの意味がよく分からなかった。しかし、自分の小学生時代を思い起こすと分かってくる。
確かに小学生の頃は一日があっという間だったのに、一年が長く感じられた。それが次第に、逆になってきている。
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次