短編集50(過去作品)
そういえば、その日の梨乃に恥じらいは感じられなかった。普段からどこか恥じらいを感じさせる女性であることで、彼女のことを気にしているのだと気付いたのが、最後の最後で見せた恥じらいだったのは皮肉なことかも知れない。だが、それこそ男冥利に尽きるというものである。
大胆さと恥じらいを併せ持った女性に初めて出会った気がした。
身体の中から放たれた欲望で、身体が軽くなってから襲ってくる憔悴感に時間を委ねながら、じっと天井を煮ていたが、それなりに満足感が広がっていた。
――もう、彼女は自分のものだ――
男にとって、この時の征服感は至福の悦びに違いない。
だが、果たして彼女はそんな女性だったのだろうか。すべてお互いを知ってしまって、少なくとも山科は満足していたが、女性側はさらに先を見つめていたのではないだろうか。
翌日からの山科が梨乃に対する態度は明らかに違っていた。そのことを山科本人は気付いていない。しかし、梨乃も山科に対して少しぎこちなくなっている。
「あの二人どうしたんだ? お互いにぎこちなさそうじゃないか」
まわりのそんな声が山科には聞こえてこない。もし聞こえていたとしても、少数意見に惑わされる自分ではないと思うだけだっただろう。
梨乃にとって、山科は過去の男性になってしまっていた。元来、一人の男性だけを好きになる一途なタイプではないのかも知れない。そのことを知ったのは、自分が慢心していることに気付いてからだった。
その点では山科は鈍感だった。自惚れるのは早いが、我に返るまでには時間が掛かる。それは山科に限ったことではないが、そのことが自分にとって皮肉な結果を生むのだと思うようになっていた。
それからしばらくアルコールは控えていた。
アルコールを飲むことで自分を忘れたくなかったのもあるが、本当にアルコールが好きなのか、疑問だったからだ。確かに弱い体質で、家族もほとんどアルコールを口にしない。自分でも弱いことは分かっていたが、バーの雰囲気に憧れていたのも事実で、何よりも個性的な店に顔を出すのは一人何かを考えるには最高だった。
それがまた出かけるようになったのは、社会人になってからだ。
学生時代、梨乃とのことがあってから、しばらくすると、就職活動や、卒業を控えていることもあって、忙しい日々が続いた。忙しくても好きならばバーに顔も出せるだろうが、山科には違う思いが頭を巡っていた。
学生時代というのは、社会人になるための一つのステップであるという考えである。大学に入った時は、それまでの受験戦争を考えると、まるで最終目標に到達したような気持ちで、ゆとりを感じていたが、実際にはそうではなかった。卒業間近になって、就職のことを思い浮かべると、社会人に対しての思いが自分の今の環境とかけ離れていることにいやが上にも思い知らされる。
気持ちに余裕などない。
だが、後から考えると、結構気持ちにゆとりがあったように思える。それは就職も無事に決まって、さらに新しい道が目の前に開けてきたからだ。
だが、これも最終目標ではない。これから長い人生のスタートラインに立ったようなものであるが、まったく見えない先を見続けていてもどうしようもないことは分かっている。まったく見えてこないだけに、却ってゆとりを感じるようになった。
会社を一歩離れれば、そこは自分の世界である。そのように割り切ってしまわなければ、学生時代との違いで、押し潰されてしまうだろう。その思いから、会社とプライベートはまったく切り離すことを心がけていた。
かといって、学生時代の思いをそのまま引きずるわけにはいかない。ただ、趣味だけはそのまま続けていて、時々美術館などには顔を出していた。いつも出かけるのは一人で、一人贅沢な休日を過ごしているという思いを感じたかったのも事実である。
家の近くに県立の美術館があった。時々気になる絵画があるので出かけていたが、美術館で絵を見ることよりも、美術館という空間を味わいに行きたいという思いの方が強くなっていた。
贅沢すぎるほどの空間に、乾いた空気があり、空調のせいなのか、それとも贅沢な空間のせいなのか、空気が薄く感じられ、物音が心地よく響く。銭湯や温泉のような湿気を帯びた空気で響く音とはまた違って、少々の音でもメタルな響きを感じさせてくれる。その雰囲気を味わいたいのだ。
美術館では誰もが寡黙で、目よりも高い位置にある転じ品位目を凝らしている。仲には頷いている人もよく見かけるが、
――本当に分かって頷いているのだろうか――
と不思議に感じることもあるが、それでも美術に興味のない人がわざわざ入場料を払って見に来ることもないはずなので、それなりに理解しているだろうと思っている。
山科の目は他人とは違うかも知れない。自分だったら、どのように描くかという発想から絵を見ている。
――これなら僕にだって――
と感じるような作品もないこともないが、すぐに打ち消される。
山科にとって、美術館というところは、雲の上の人の作品、すべてが、プロの作品だという頭が先に立っているのだ。
山科にはくせがあった。
――まわりの人間は、すべて自分よりも優れているんだ――
と感じることである。
小学生の頃からいつも一人でいるような少年だった。一歩下がったところでまわりを見ていたこともあり、自分では冷静な目で見ていると思っていたからだ。
それが自分の弱さであることに気付いたのは高校生になってからで、それまでは孤独こそが自分の個性だと思っていた。
高校になって気づいたといっても、それまでに培われてきた自分に対する考え方をそう簡単に変えることなどできるはずもない。気がつけばいつも一人で、一人でいることにまったく違和感を感じることもなくなっていた。
むしろ一人でいることが心地よい。大学に入って、友達をたくさん作ったが、友達は友達、自分の世界を大切にしている連中が多いことを山科は知っていた。
それもまわりの人間が自分よりも優れているという考えがあったからだ。その思いが自分を間違った道へ誘うことをせき止めてくれるいるように思える。いいことには違いないだろう。
だが、悪い面もある。
まわりの人間がすべて優れているという気持ちの中に、自分を蔑んでいる気持ちが含まれているのも事実だ。時々被害妄想に陥り、まわりが信じられない状況に陥ることがあるが、それを鬱状態だと簡単に考えていた。
鬱状態に陥った時、まわりの色が変わって見えてくる。黄色掛かったように見えることから、気持ちが黄昏ていて、どこか気持ちの中で疲れが来ていることを意識しすぎているようだ。
だが、まわりの人の気持ちを考える余裕がないくせに、時間が解決してくれるということに対して、かなりの自信があった。確かに永久的なことはないはずなのだが、半月もしないうちに収まってくるという確信があるのだ。
ケガをして傷が癒される期間だという感覚である。
まったく見えている世界が違うから感じることなのかも知れない。鬱状態で苦しんでいる自分をまるで他人事のように見れるからだ。
――まるで夢を見ているようだ――
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次