短編集50(過去作品)
「脳内出血なんですって。急に倒れて意識不明になってから、病院に運ばれたんだけど、そのまま息を引き取ったんですって、せめてもの救いは、苦しむことがなかったことかしらね」
と話していた。
舞の表情から、母親の表情に疑念を抱いていることを察したのだろうか、それを聞いて、舞も少し安心していた。
死ぬということについて、小学生である舞ではあったが、真剣に考えたこともある。だが、小学生が考えることは奥の知れた浅いもので、死ぬ時に味わう苦しみくらいしか想像できるものではない。
大人になってくると、それまで生きてきた人生への悔いや、これから生きるであろう人生への未練を感じるのだろうが、大人の敷いてくれたレーンの上を歩いてきただけの子供に人生の悔いや未練がどれほどあるか分かったものではない。分かるはずもないといった方が正解であろう。
初めての身内の死だった。
それまでは人が死ぬということを意識したことなどなかったはずなのに、
――初めてではないような気がする――
と感じていた。
というよりも、何となくおじいさんは亡くなるのではないだろうかという予感があったのだ。それが舌先の痺れであり、セメントのような匂いがその前兆だったように思えてならない。
後から考えるからそう思えるのかも知れないが、それ以外に説明のしようがないというのが実感だった。
一週間ほど、慌ただしい日々が続いた。母親は田舎と家を行ったりきたり、田舎といっても、特急列車で二時間ほどなので、時間的には何とかなる距離だった。
それでも一週間も往復していれば結構きついのだろう。母親はかなり疲れているようだった。近づけばお線香の匂いがした。今さらながらに、
――おじいちゃんは死んじゃったんだ――
と思える。
舞も葬儀に参加したが、あっという間だった。何をするというわけではなく、ただお経を聞いているだけで、後は、火葬場に移動してお骨を拾うだけ、その時はお経も長く感じられたが、終わってみれば、本当にあっという間だった。葬儀のことよりも、母親の身体が心配であった。
後片付けも済んで落ち着くと、母親は普通の生活に戻った。だが、舞にはまだ釈然としないものが残っていた。
――やっぱりこれって虫の知らせなんだろうな――
と思えたからだ。
おじいちゃんの死に関しては、虫の知らせだったのかも知れないが、今まで身内での死を経験したこともなく、葬儀に出たのも初めてだったはずなのに、そのどれもが、以前に感じたことのあるものだった。
そういえば、一緒に山に登った時に、おじいちゃんは、
「おじいちゃんが死んだら、舞ちゃんは悲しんでくれるかな?」
とボソッと口にしていたことがあった。いつも元気でそんなことを口にするはずなどないと思っていたおじいちゃんがである。
「そんなこと言わないでよ。舞、寂しくなるじゃない」
きっと本当に寂しそうな表情になったのだろう。
「ごめん、ごめん、おじいちゃんがどうかしていたんだ。気にしないでおくれよ」
と必死で弁解していた。我に返ったに違いない。
その時の表情が忘れられない。もしデジャブーや虫の知らせを感じたとしたら、きっかけはその時の表情だったに違いない。きっかけや前兆もなしにデジャブーや虫の知らせなんてないと思い込んでいた時期だったからである。
もちろん、小学生でデジャブーなんて言葉、知る由もなかった。虫の知らせという言葉は聞いたことがあったが、虫の知らせというのも厳密な言葉の意味よりも幅広い意味で理解していたことだろう。
小学生時代に感じていた虫の知らせは、デジャブーも含んでいた。おじいちゃんが亡くなった時に感じた思いは、小学生の舞にとっては、すべてが虫の知らせだった。それをデジャブーだったかも知れないと感じるようになったのは、高校に入ってからで、担任の先生が、超常現象に対して造詣が深い人だったことで、授業中の雑談でよく話をしていたのも記憶に新しい。
舞はおじいちゃんが弱音を吐いていたこと、そして、死を予感していたような発言をしていたことを、誰にも話していない。母親にも父親にもであるが、きっと話していたとしても、
「虫の知らせなんて信じられないわね」
と言っていただろう。
現実的なことしか信じられない母親には、話すだけ無駄で、せっかく話しても否定されてしまえば、何の意味もない。それよりもおじいちゃんの発言の裏には、何か理屈では説明できないものが潜んでいるように思えて、死人に鞭打つような行為をしたくないという気持ちも強かった。
――二人だけの秘密よね――
と亡くなったおじいちゃんに何か言いたいとすれば、その時のことを秘密にするという約束くらいであろうか。
山登りにしても一ヶ月ほどの短期間だったにも関わらず、まるで一年くらい一緒に住んでいたような気持ちになるのは、死を気にしていた時の寂しそうなおじいちゃんの表情があまりにも印象的だったからかも知れない。
――おじいちゃんとの約束が何かあった気がする――
何を約束したのか、約束自体本当にしたのか分からないが、おじいちゃんを思い出すと、何かを訴えている姿が思い浮かぶ。必死に口を動かしているが、何を言っているのか分からない。それが、向こうの世界からの必死な訴えなのかも知れない。非現実的な考えは、舞の中で留まるところを知らなかった。
そんな時にまた、舌先の痺れを感じ、セメントのような匂いを感じる。この感覚は子供の頃によくケガをしていたが、ケガをする瞬間に似ていたりする。
おてんばというほどではないが、おじいちゃんが亡くなってから、山登りをしていた頃を思い出すのか、なぜか木に登って、遠くを見るのが好きになっていた。公園にあるジャングルジムで満足していればよかったのだろうが、ある日、登った木の枝が思ったより弱く、枝が折れてしまって、そのまま背中から後ろに落っこちてしまった。
――痛い――
一瞬、感じたかも知れないが、背中が火鉢にぶち込まれたような熱さを感じたかと思えば、すぐに何も感じなくなってしまった。感覚が麻痺してしまっていたのだ。
声を出せるわけではなく、呼吸が数秒間できなかった。必死になって息を吸い込もうとしていると、感じるのがセメントの匂いだった。埃の匂いなのかも知れない。その場所は舗装などされていない場所だからである。
呼吸をできない瞬間は思ったより短かったのかも知れないが、その間に、いろいろなことが頭をよぎっているようだった。
おじいちゃんの顔が思い浮かんでいた。それまで思い出そうとしても、どうしても思い出せないおじいちゃんの顔、もし思い出せるとしたら、夢の中だけであった。
舞は人の顔を覚えるのが、大の苦手だった。一度だけしか会ったことのない人であれば、まず覚えられない。一時間以上一緒にいて話をした人であったとしても、一週間もすれば同じ人を見かけたとしても、声を掛けることができないだろう。
元から苦手だったわけではない。
あれも、中学生の頃だった。
「駅までおじさんを迎えに行ってくれる?」
と母親からお願いされたことがあった。
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次