短編集50(過去作品)
二次元が平面、三次元が立体、時空という軸がどこかに増えるとそれが四次元へと発展する。
三次元の世界から二次元を感じることはできる。絵に描かれたものがそうであるが、まったく動くことはない。三次元から四次元の世界はまったくの想像でしかないので、きっと二次元から三次元の世界を感じることはできないだろう。
見られているのに、見ることも感じることもできないというのは、これほど気持ちの悪いことはない。存在に気付いていないのであれば、知らぬが仏であるが、気づいてしまうと、気持ち悪くて、意識はずっと消えないだろう。
四次元の世界の住人の中に、もう一人の自分がいるに違いない。
夢を見ていて、天守閣から下界を覗いている感覚は、いつも他人の目で見ているものだ。自分が主人公であれば、
――いつ、後ろから殺されるか分からない――
という気分に陥って、夢の中で耐えられなくなり、無意識に目が覚めてしまうはずだからである。
歴史上の主人公を見つめている自分、いくら本で読んだとしても、歴史への知識は妄想でしかない。
妄想には限界がある。教科書で習った知識、テレビドラマでの印象、それが妄想の原点である。
中には辻褄の合わないこともある。矛盾点もあるだろう。それが夢の中で、タイムスリップを感じさせ、
――タイムスリップなんてありえないんだ――
という思いが、次第に意識を希薄にさせる。
歴史の知識は幅広いが浅いものである。時間の流れを順序だてて考えていかないと、すべてが希薄なものになってしまう。
それが分かっているのだろう。夢を見ていて、いろいろな時代に一気に飛んでしまうことが多かった。
夢だからこその歴史の超越。何度もタイムスリップを経験している。どの時代に飛ぶかは分からないが、いつも始まりは、天守閣の上だった。
これも何度となく見た夢のように思っているが、本当にそんなに何度も見た夢なのかも信じられない。夢を見たつもりで目が覚めても、その日に見た夢なのか、それとも目覚めの瞬間がいつも同じなので、以前に見た夢をその日に見たのと錯覚してしまったとしても不思議ではない。
では、本当にいつも目が覚める時の感覚って同じものなのだろうか?
感覚的には同じものだと思っている。目が覚めるにしたがって、我に返っていく中で、眠る前の精神状態、自分の現実での立場がリアルに思い出されていく。そこからが、さらなる現実の繋がりになるのだ。
夢の繋がりというのもあるのかも知れない。
夢を見ていて、一度目が覚めてしまうと、すぐに眠りに就いたとしても、それまでに見ていた夢を見るということは不可能に近いだろう。
――もう一度見てみたい――
という気持ちが強すぎるのか、それとも、
――いや、もう二度と見たくない――
という気持ちが逆に強すぎるのかどちらかであろう。
阿蘇の高原に足を踏み入れ、すすきの穂を見た時、夢でも同じような光景を見たような気がした。
――もう一度見てみたい――
そんな夢を思い出しているのだろうか。
何もないところを見つめていると、思わず逆さまから見てしまいたくなる。空の比率と、山を含めた大地の比率とは、普通に見ていると、大地の方が圧倒的に視界に占める割合が大きい。
だが、逆さから見てみるとそれが逆転してしまう。これは不思議な現象だった。空や海、そして大地でなければ感じることのできないものだが、理屈も分からなくはない。
台地や海は足元から広がっていて、終点は水平線だったり、地平線だったり、要するに見えているところまでである。だが、それに比べて、空は遠く果てしないものだ。ここに錯覚を起こすのである。
あくまで足元が原点であるにも関わらず、逆さまから見れば空が下に来ている。空は頭上遥か彼方にあるはずなのに、まるですぐ上にある感覚に陥ってしまうことから、大きな錯覚を起こさせるのだろう。
錯覚の中で広がった空を、以前にも見た記憶がある。その時は誰かに追われていた。誰に追われていたかまでは思い出せないが、馬に乗った人たちに追われていたのだ。
追われている時も、同じようなすすきの穂が広がった高原に逃げ込んだ。その時も同じように逆さから見たのである。すると、さらに時代は意識している時代とは違ってしまっていた。目の前の光景が変わったわけでもないのに、どうして分かったのかと言われれば答えようがない。
阿蘇の高原で見ているすすきの穂、これが歴史の原点ではないだろうか。
今までに薄っすらと感じていた四次元世界への入り口のようにさえ思えてきて、半信半疑だった世界を垣間見ているように感じた。歴史という大きな扉へのミスリードではないかと思っているが、本当にそうなのだろうか。
土屋は、すすきの穂を山に向って歩き始めた。歩いていると、次第に自分の進むべき道が見えてくる、最初は漠然としていた道が開けてきた感じである。
山の近くまで来ると、今度は、またしても森が見えてきた。先ほどの森とは少しおもむきが違っていて、本当の山の中に迷い込んだ気持ちがしてくる。
緑を感じる前に赤い色を感じた。太陽が入りこむ隙間もないほどの闇が次第に怖くなり、引き返そうとしている意志とは別に、前を進んでしまう自分がいる。
「それ以上行ってはいけない」
という声が耳鳴りのように聞こえてきたが、風が吹き抜ける音だと言われれば、その通りかも知れない。
その声は子供の声にも聞こえた。
そういえば、子供の頃に、友達と遊んでいて、冒険心旺盛な友達についていけず、
「これ以上行ってはいけない」
という声に誘われるかのように、
「俺、このまま帰る」
と言って、家に帰ったのを思い出した。その後友達は帰ってこなかったので、皆で捜索したのだが、大人たちに発見された友達はケガをしていて、
「何が起こったのか分からない」
と、その前の記憶すらおぼろげだった。そんなことがあってから土屋は自分の中で、危険に対して制止をしてくれるもう一人の自分の存在に気付いてた。
だが、森の中での土屋は何かに取りつかれたようにただ前を見て歩き続ける。先に何があるのか分からないくせに、分かっているような錯覚を覚えていた。
歩いていると、小さな小屋がある。吸い寄せられるように小屋までやってきて、中に入ってみると、そこには一人の女の子がいたのだ。
二十歳くらいであろうか。化粧を施されているわけではなく、長い髪が濡れているのか、光って見える。
彼女は何かに怯えているようだったが、目だけは土屋を見つめている。土屋も彼女から目が離せずにじっと見つめている。
「君は一体?」
土屋の問いに、彼女はただ見つめるだけで何も答えない。押し黙っているだけだ。怯えのように思うのだが、震えているのを見ると、思わず抱きしめたくなってしまう。理性があるはずなのに、その時だけは理性が本能に押し潰された。
抱きしめた彼女は一瞬抗いだが、羽交いじめにすると、彼女の方からも抱きついてくる。
熱い身体を感じると同時に激しい胸の鼓動を感じた。お互いに生まれたままの姿になると、小屋の中を通る風を感じながら、本能に身を任せるかのようにお互いを貪りあっている。
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次