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短編集50(過去作品)

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「まさしくその通りですね。ここまで歩いてくる人も本当は珍しいんですよ。たいていは社用車で来る人がほとんどですからね」
 今度は微笑みに変わった。
「歩いていて、なかなか着かないので参りましたね」
「逃げ水ってご存知ですか?」
「砂漠などで見られる錯覚のことですよね?」
「ええ、そうです。ハッキリ言って、見えないものが見えるんですから、錯覚以外の何者でもないはずなんですよ。でも、錯覚が引き起こすものは、その人の意識でもあります。夢を見るのだって潜在意識がないと、想像できないでしょう? あれと同じようなものだと私は思っているんですよ」
「ここの光景を無意識に嫌がっているんですかね?」
「というよりも、なれていないんですよ。閉所恐怖症というのがありますね。狭いところを怖がる感覚ですね。また暗所恐怖症というのもあります。これは一般的にそういう人が多いから、恐怖症として認知されているんですが、逆もあると思うんですね。つまり広いところ、明るいところにも言い知れぬ恐怖が潜んでいると思うんです」
 少し話が飛躍しすぎているように思ったが、なかなか興味深い感覚である。話を聞いているうちに、
――なるほど、確かにそうだ――
 と、納得させられてしまっていたからである。
 歩いていてなかなか距離が狭くならなかったのは、広さという恐怖に感覚が麻痺していたからかも知れない。そう考えると、どれだけの広さの中を一人で占有していたのかということを想像してしまっていることに気付いた。
 広い世界にたった一人でいると、占有感もあるのだが、占有感は、逆に恐怖へと繋がる。一つのことを満たしてしまうと、さらなる欲が出てきて、次を満たそうとするのだが、あまりにも何もなさすぎて次へのステップが見つからない。
 見つからないことに感覚がついていけず、袋小路に入ってしまう。それが恐怖という形になって現れるのではないだろうか。
 工場で聞いた話でもう一つ気になったのが、広さだけではなく、明るさという言葉であった。
 すすきの穂を眺めながら、ただ広いだけではないその場所に、今まで感じたこともないほどの眩しさまで一緒に感じている。
 どれほどの広さかを考えようとして、いきなり恐怖心を煽られるのは、広さ以外に明るさまでも意識しなければならなかったからだ。
 これは薄暗い森の中を抜けてきたから感じるだけではないことは分かっている。すすぎの穂が風に揺れながら光が微妙に屈折しているように感じるのだが、ただ眩しいだけではなく、明るさの中に光の帯が存在しているのだ。言い知れぬ恐怖の正体は、そのあたりにあるに違いない。
 さらに、すすきの穂が風に靡く光景。これは今まで想像できなかった光景ではない。
 少し前にも同じ光景を見たのか、あるいは夢の中で感じたのか分からないが、明らかに封印された記憶から紐解くことができそうだ。
――歴史の息吹きを感じるといえば、大袈裟だろうか――
 その時にも同じようなことを感じたように思う。まるでデジャブーではないだろうか。
 デジャブーというのを初めて感じたのは、子供の頃だった。絵で見た光景の中に、
――あれ? これって初めて見るものじゃないよな――
 絵なので、作者の感覚によるものが強く、完全な事実を映し出しているわけではない。作者曰く、
「知っているところを、まるで知らないところのような感覚で描きました」
 と、トンチンカンな話をしているのを聞いたことで、それを何とか理解しようとしたが無駄だった。インパクトを感じながら、記憶の奥に封印してしまっていた話である。
 土屋は歴史が好きだった。時々自分を歴史の主人公に当て嵌めてみて遊んでいることも多く、妄想に耽ることで時間を費やすこともあった。
 戦国時代に造詣が深く、下克上という言葉に反応してしまう。武士の世界がどんなものか分からないくせに勝手な想像をしてしまうのだ。
 大名が国を治めている。有名な大名であっても、いつ何時、部下の裏切りがあるか分からない。何しろ天下が統一されているわけではなく、法律もない状態だ。
 ある日、自分が大名になった妄想をしていたことがあった。城の天守閣から城下町を眺めている。一国一城の主とはまさしくこのことである。
 天守閣から眺める光景は、テレビで見たことがある。後ろに部下が控えていて、跪いている姿が、想像できる。
 天守閣からの眺めは、壮大なものだった。実際の土屋は高所恐怖症なのに、天守閣から眺めている光景に、それほど怖さを感じない。むじろ、城の中の木造建築に気持ち悪さを感じていた。
 木造建築だと、匂いが篭って、湿気を帯びている感覚に襲われる。しかも湿気によるその匂いは、鉄分を含んだ匂いで、赤みを感じる。緑色の森から抜けた時に感じた赤い色に似ている。
 表が明るいと、木造建築の建物の中は、真っ暗である。真っ暗な中にいると目が慣れてくるというもので、慣れてくると見えてくるのが、明るかった時の残像である。
 そこには人の姿が真っ白く見えることがあった。白装束の出で立ちは、まるで今から切腹する人間のように見えた。
 中央部分だけが空洞になっているが、空洞になっているわけではなく、お腹のあたりが赤く染まっているのだった。
 多分、赤い色だとはすぐには気付かなかっただろう。真っ暗な中で白い色が必死に明るさを伝えようとしている。その苦労を知ってか知らずかお腹のあたりだけが、暗い色だった。
 赤い色と言っても、ほとんど黒であった。鉄分を含んだ何とも言えない匂いを感じるまで、まさか赤い色だなんて分かるはずもなかったのだ。
――待てよ。これは夢のはずではないのか――
 夢の中では色を感じたり、匂いを感じたりできるはずもないと思っていた。だからこそ、ハッキリと見えていないのかも知れない。
 だが、ハッキリと赤だと分からない方が、気持ち悪さを増幅している。
 昔の映画などがテレビで放映されることがあるが、全体的に暗く、濃い色はすべてが黒く見えてしまうところが気持ち悪いのだろう。
 赤い色よりも黒い方がドロドロして見える。なぜなら影が黒いからだ。黒い色にさらに黒さが滲んでいる。影と血のどちらが暗いのかは、角度によって違うだろう。
 天守閣の中で、どれほどの血が流されたか分からない。何しろその城を建てたのは自分ではないからだ。
 元々、自分は天守閣から下界を見ている領主の後ろに跪いていた立場の人間だった。下克上という言葉に反応してしまい、自分が領主になっても天守閣から下を覗いていても、絶えず後ろの存在を無視できない。プレッシャーを感じながら生きているのは、戦国大名の運命なのだ。
 それはどの時代でも変わらない。命に関わることかどうかの違いだけであって、プレッシャーは絶えず感じている。夢で戦国時代が出てくるのは、プレッシャーを感じている現実が、堪えきれないままに見せる妄想が夢となって現れるのかも知れない。
 歴史の流れは一方通行である。
 必ず未来が現代になって、現代が過去になる。その中で現代という一瞬が、自分の中を通り過ぎていくのだ。無数の現代が折り重なって、一人の人生を作り上げていくという発想は、子供の頃からあった。
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次