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短編集50(過去作品)

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「あの色」を感じるのが早かったのか、それとも、鉄分を含んだ匂いが早かったのか分からない。だが、先ほど分からなかった鉄分を含んだ匂いがどこから来るものなのか、やっと分かってきた。
――これは血の匂いだ――
 目の前に広がっている光景は、今までの森の雰囲気を一蹴していた。想像できなかったわけではないのだが、
――まったく違う景色が広がっているとすれば――
 という感覚で考えたものの中で、確率としては、低い部類に入るもので、考え初めていくつも発想してから感じたものだった。
 下手をすれば、埋もれてしまう感覚に違いない。それでもすぐに想像した景色だと思ったのは、
――考えたのがつい今だったように思える――
 と感じたからだった。
 他の考えがかなり前だったかのように思うのは、人間の都合のいい感覚なのかも知れない。思わず苦笑いをしてしまった自分を想像すると、恥ずかしさがこみ上げてきた。
 森に入って抜けるまで、自分であって自分ではなかった。
――森を抜けるとどんな光景が浮かんでくるのだろう――
 と想像力を膨らませている時は、得てして時間の感覚が麻痺してくる。
 一人でいても、さらに一人になる感覚をいうのを普段から感じているが、そんな時というのは、感じている自分がいるのと同時に、まわりにもう一人の自分がいて、冷静な目で見つめているのを感じる。
 時には主人公の自分を感じ、時には冷静に見つめている自分を感じる。一人でいるだけの感覚の時は、主人公の自分だけしか感じることができない。普段は、その自分すら感じることがない。主人公の自分を感じる時だけが、一人を感じるからである。
 客観的に見つめる冷静な自分を感じることがあるとすれば、それは夢を見ている時だ。夢というのは覚えていること自体が稀で、覚えている稀な夢を見た時は、目が覚めてからも客観的に見ている自分の存在を意識してしまうのである。
 孤独を感じるのと一人でいたい感覚は違う。一人でいたい時は冷静な自分がいるのだ。
 孤独を感じるから、一人でいたいと思う時もある。開き直っている時などもそうだが、何かを考えたい時、想像していたい時もそうである。
 想像力と、何かを感じたい時というのは、一見まったく違うものにも思う。かたや能動的で、かたや受動的だからだ。だが、理屈は同じもので、感じることであっても、一度何かを感じると、そこから先は、
――もっと感じたい――
 と思うもの。それが人間の中にある積極的な「欲」というものではないだろうか。
 森を抜けて飛び込んできた光に目が慣れてくると、元々の色がハッキリと分かってきた。
白い色であった。だが、それは綺麗な白ではなく、少しクリーム色が掛かっている色であった。
 白い色は、光を一番反射させる。先ほどまでに薄暗さから比べれば、白い色が反射させた光は眩しい以外の何者でもない。深緑から白い色に飛び出せば、それは一瞬といえども目を奪われて当然である。
 風が吹けば一斉に白い色が靡いている。吹き抜ける風を自然に受けて、風が止まれば、これもまたしなやかに戻ってくる。
――これほどまでに広がったすすきを見たことがない――
 目の前に無数のすすきの穂が広がっているのだ。
 森を抜けると、風を感じる。耳の奥に低い呻きとなって吹き抜けていくような風の感覚である。
 通り抜ける風に当たりながら歩いていくと、すすきの穂の先にはさらなる山の道が続いている。
 丘のようになっているところまで歩いていこうと思うのだが、そこまでの距離がすぐには計測できない。近いようにも思うのだが、歩けど歩けど丘が逃げてしまうように思えてならない。
 今までに同じような感覚に陥ったこともあった。
 会社からの営業の道で、ある企業の工場へ赴いた時のことだった。
 田舎駅のために、駅前にタクシーもおらず、工場まで歩いたことがあるが、工場の人の話では、
「歩いても来れますよ。何しろ一本道ですからね」
 という言葉を頼りに駅に降り立ってから、ゆっくりと歩き始めた。
 途中までは民家があったが、丘になったようなカーブを曲がると、そこには、両側には何もなく、ただ果てしなく田園風景が広がっていた。道と言っても、舗装はされているが、歩道もなく、
――歩く人などいるんだろうか――
 工場に着いてから聞いたところによると、
「一日に十人くらいのものじゃないですかね。それもほとんどが、地元の農家の人たちですよ」
 という話である。学校も見えないし、学生は自転車かバスを使っているかも知れない。何よりも、こんな道を人が歩いているのを想像することが困難だった。
 自分が歩いている道、最初は足元を見ながら歩いていた。しばらくして顔を上げると、
「ウソだろう」
 思わず声が出てしまった。
 カーブを曲がって五分近くは歩いたような気がした。かなり工場に近づいているはずである。カーブを曲がってすぐの光景は、瞼の裏にこびりついているので、忘れっこないが、顔を上げてみた光景は、まるで再現ビデオを見ているかのようにまったく同じ景色であった。
 確かに、
――少しは近づいているはずだ――
 という感覚があるので、固定観念から、想像した光景があまりにも酷似していることで、最初とまったく変わらないという錯覚に陥ったのかも知れない。
 それはまったく否定できないわけではないが、それを差し引いてもあまりにも光景に代わりがなかった。
 その証拠に今まで歩いてきた道を振り返ってみると、かなりの距離を歩いて来ているのだった。後ろに広がる光景は、想像通りカーブがかなり遠いところに位置していた。
――今度は、ずっと見続けていこう――
 頭を下げることなく、正面を見て歩くことにした。
 正面を見ながら時折、横も眺めてみる。
 横の光景は確実に歩みが早いことを示していた。数百メートルくらい向こうに小さな森が広がっている。森を感じながら歩くことができるからである。ここまでやってきた時に乗ってきた電車の車窓からの光景を思い出していた。スピードの違いこそあれ、ハッキリと走り抜けていくのを感じている。
 だが、正面に関しては、その限りではない。明らかに近づいていると瞬間瞬間では分かっているのに、ふと我に返ると、近づいている感覚を感じない。
 空と大地の間には何もない。何もない世界をひたすら歩きながら追い求めている。
――きっと逆さまから見ると、空がやたらと大きく見えるんだろうな――
 田舎に住んでいた頃によく感じたことだった。子供の頃などは、丘の上にあった空き地の気に寄りかかるように逆立ちして見た光景を思い出していた。
 歩きながら爽やかな風を感じていたが、やっとの思いで工場まで到着すると、それまで感じていなかった汗が一気に吹き出してきた。
 気持ち悪い汗を何とか拭いながら会社へと入っていったが、最初に商談相手との話なると、その話題を相手が出してきた。
「このあたりは田舎なので、なかなか歩いてくるのも大変ですよね」
 まだ息の荒さが残っている土屋を見ながら、そう切り出した。
「はい、何とか辿り着いたという感じですね」
 さらに相手は、苦笑する。
作品名:短編集50(過去作品) 作家名:森本晃次