三年目の同窓会
まさか、ここまでになろうとは、考えていなかったが、少し、直子を甘く見ていたところがあったかも知れない。予想外だったのが、そこにいたのが恵で、恵が直子にとって、どんな立場の女性であるかということを考えられなかったことが、坂出の大けがという事態を招いたのだった。
もし、ここで坂出が死んでしまっていればどうなったかということも、想像できないわけではないが、それは最悪な結末であり、決して川崎の願った結末ではない。
川崎は、その場に恵がいたことを、直子から聞いた。直子は意外と素直に話してくれた。罪の意識に苛まれているからだろう。それとも、誰かに聞いてほしいという気持ちもあっただろうか、自分の中だけに抱え込んでおくことも、辛いことだったのである。
恵がいたことは、本当に意外だったが、恵のことを聞いているうちに、不思議な気持ちになっていった。風俗嬢になったこと、譲との関係、いろいろ聞いてみると、自分が知っている頃の恵とは少し違っていた。丸くなった部分もあれば、大人になった部分もある。一度会ってみたいと思うのも無理のないことだった。
だが、恵は譲との関係をどこまで、直子に話したか、分からない。自分で、譲とのことを精算したくて、やってきたのだ。何とか忘れようとしていたに違いない。
忘れようとしていることを、他人から聞かれた。しかも、忘れようとしている相手の元彼女から聞かれたのである。どこまで、本当のことを話すか分かったものではない。
実際に話を聞いてみると、どこか繋がらないところがいくつもあって、要領を得ないと直子は言っていた。
恵が、宿を引き上げてからも、坂出はまだ滞在していた。
直子は、宿に泊まることなく、坂出を呼び出し、そこで何があったのか……。
坂出本人からは、決して口にできることではない。そうでなければ、警察の尋問に、何も答えないわけはない。隠しておかなければいけないことがあったので、直子のことは話さなかったのだ。
「坂出さんは、ずるいわね」
「何がだい?」
「私を絶対的に端の存在の薄いところに置いてしまっているんだから」
「それは、直子の性格からじゃないのかい? 誰が見たって、そうとしか思えないぞ」
「ひどいわ。そうやって、あなたはいつもリーダー格、私はいつも端の方にいる目立たない女の子……」
「でも、それが一番バランスがいいのさ。だから、誰も君と僕のことには気付かないだろう?」
「でも、どうして、あなたは、私を?」
「今までにいなかったタイプだからね。こう見えても、俺はプレッシャーに弱いんだ。いつもプレッシャーを感じていて、癒しは、ほとんどない。癒されているつもりでも、本当の癒しなんてないのさ。そこへ行くと、君のように従順で、Mっぽい女の子は、俺にとって、最高の癒しになるんだよ」
「でも、どうして、まわりに隠す必要が?」
「分からないかい? 僕のイメージも、君のイメージもすべてが壊れるからさ。そんなことをすれば、グループ内で皆ぎこちなくなって、皆離れていくよ」
「それでいいんじゃないの?」
「嫌だね。これでもリーダー格に僕は執着しているつもりなんだ。プレッシャーはあっても、リーダー格は外せない。それに、俺は、あの仲間ではないと、リーダー的な存在にはなれない気がするんだ」
「それだけのことで?」
「ああ、悪いかい?」
「ひどいわ。じゃあ、私はどうなるの?」
「悪いとは思ってるけど、君だって、譲と付き合ったりして、自分の人生を歩んでいるじゃないか。それでいいんじゃないかい?」
「そんなことないわ。私が譲に走ったのは、あなたの本性が少しずつ見えてきたからなのよ」
「俺の本性?」
「ええ、今話している気持ちもそうだけど、あなたには、美穂さんや、何と言っても妹に対しての気持ちが強いことを私は知ってるわ。そして、超えてはいけない一線を越えてしまったことで、あなたが、苦しみから救われなくなったこともね」
「……」
「でも、それだって自業自得。私は、あなたに同情はしないわ」
直子は、大人しいだけに何を考えているか分からないところもあり、気の強さは坂出にも分かっているつもりでいたが、実際に話を聞いてみると、ここまでとは思わなかった。恐ろしさで、指先が震え、唇が青ざめていくのを感じていた。
――俺はこれから、どうなるのだろう?
直子の顔を見ると、完全に、カエルを睨みつけるヘビであった。そして、自分がカエルであることを自覚すると、何をどうしていいのか分からなくもなっていた。
「直子がここまで恐ろしい女だとは思わなかったよ」
と言って、坂出は後ずさりした。
そのあと、坂出が波打ち際で発見されるに至るのだが、それは、川崎の知るところではなかった。
今の会話も、少しだけ直子から聞かされた内容に、川崎なりに想像を巡らせて作り上げたものだったのだ。
話を聞いてみると、半分、後悔しないわけではなかった。
ここまで、直子がするとは思わなかったからである。直子の気持ちが分からないではない。分かっていてけしかけたからだ。
ただ、直子を坂出に会わせて、坂出と直子の反応を見たかったというのが本音なだけで、直子に何らかの行動を起こさせようなどと思ってもみなかった。自分の判断が浅はかだったことと、策を弄するには、自分が向かないのではないかということが分かってきたのだった。
――そんなにひどいことになるなんて思わなかった――
反省と、後悔。さらに、自己嫌悪を渦巻いている。
しばらくは、大人しくしていないといけないだろう。
亜由子を坂出の看病に当て、自分はとりあえず、普段の生活に戻った。普段の生活に戻ったつもりではあったが、どこかが違っている。坂出のことを誰から聞いたのか、やっと、譲が見舞いにやってきた。だが、譲がいたのは、少しだけで、数分もすれば帰っていったのだ。
「あれで見舞いなのかね」
と、坂出に言ってみたが、
「譲も忙しいらしい」
と言っていたが、どうも少し、様子がおかしい。何かちょっとしたことを言われたのかも知れない。
言われたとすれば、直子のことか、それとも恵のことか。どちらにしても、今の坂出に関係の深い人間は、ひょっとすると、譲なのかも知れない。
何も知らずにやってきたはずの譲。そこに坂出が話しかける。ショックを受ける譲は逃げるように退散していく。そして、半分はウソではないかと思いながら、探りを入れただけのつもりの坂出は、譲の態度で、話のほとんどが本当のことであったことを知るのだ。それが、譲の滞在時間を数分という、ごく短い時間にしてしまったに違いない。
坂出の入院は、それからしばらく続いた。
医者の話よりも、回復がしばらく遅れ、想像していたよりも、入院は長引いた。
その間、まわりは時間が止まっていたのではないかと思えるほど、平穏だった。
それはまるで、坂出という男の存在がウソだったのではないかと思えるほどである。
――本当にそうなのかも知れない――
川崎は、坂出がまわりにもたらした影響が、次第に消えていくのを感じていたのであった。
坂出が退院すると、何事もなかったように、月日は過ぎ、坂出の気持ちの中で少しずつ整理がついてくるようになった。