三年目の同窓会
確かに坂出は亜由子のことで悩んでいたのは知っていた。その悩みは、妹である亜由子を愛してしまったという禁断の思いが坂出を苦しめていると思ったのだが、それ以上に、妹ではないということを知った時、坂出がどういう行動を取ったのかというのを想像すると、坂出の記憶が欠落したのも分かる気がした。
しかし、亜由子も記憶を欠落させている。同じようなことが起こるのは、兄妹である証拠ではないだろうか。最初、川崎も、二人が兄弟ではないかも知れないという疑念を抱き、実際に調べてみたが、兄妹ではないかも知れないという思いを強く持った。そこで、亜由子に近づき、坂出が妹ではないと気付く前に、自分のものにしてしまいたかった。
復讐という気持ちもあったが、それだけではない。間違いなく、川崎は亜由子を好きになっていたのだ。
きっと坂出は、そのあとに、亜由子を自分のものにしてしまったのだろう。二人の間に、罪の意識が同時に芽生えた。そこで、一緒に、記憶が欠落したのかも知れない。
いや、どちらかが意図的に記憶を欠落させたことで、相手にも欠落させる効力を持ったとも考えられる。やはり、二人は兄妹なのだろうか。
謎は深まるばかりだが、もし、兄妹でないとすれば、川崎には罪の意識が残る。亜由子を好きだからという理由ではなく抱いてしまったことで、亜由子に記憶を欠落させたという思いがあるからだ。
だが、もし兄妹だとすれば、亜由子の記憶の欠落は自分のせいではなく、坂出が墓穴を掘ったことになる。すると、自分が亜由子を抱いたことの意味がなくなってしまう。これも大きな罪の意識だ。ショックを受けている亜由子と見ていると、川崎は、自分が受けなければならない罪の意識の大きさに驚愕したのだ。
――どっちに転んでも、俺は亜由子に頭があがらない――
そんな川崎の気持ちを知ってか知らずか、亜由子は川崎を頼っている。
――本当に記憶が欠落しているのか?
そう思うほど、まっすぐな思いを感じるのだ。
不安な気持ちを持ちながらも、頼れる人がいることで、自分は大丈夫だと思っているのだろう。それが、川崎には痛々しく見えるのだ。
坂出の居場所は、すぐに見つかった。翌日、亜由子の携帯に連絡が入ったのだ。
「病院? 警察?」
電話の内容はすぐには分からなかったが、信じられない言葉が、亜由子の口から毀れてくる。ショックを隠し切れない中で、必死に震えを抑えようとしているのは、痛々しい限りだった。
電話は、三十分以上の長きに渡った。電話の主は、おじさんからだったようで、両親からではなかったことが、二人の複雑な家庭環境を思わせた。
「どうしたんだい?」
怖々聞いてみると、
「お兄ちゃんが、けがをして病院に運ばれたというの」
「でも、警察とか言ってたけど」
「自殺の疑いもあるんですって。意識は次第にしっかりしてきたんだけど、まだ、絶対安静らしく、病院に運ばれてからでも、もう三日は経っているそうなの。身元を調べるのに、時間が掛かったらしいのよ」
とりあえず、病院を聞いて、駆けつけることにした。そこでの亜由子の表情は、青ざめているが、どこかしっかりしていた。
――ひょっとすると、何か胸騒ぎのようなものがあって、覚悟はできていたのかも知れない――
と、思えたほどだった。
病院は、海に面したところにあり、坂出が見つかったのは、海岸べりだったという。波打ち際に打ち寄せられていたようで、あちこちに小さな傷が無数についていたという。
すぐに救急車と警察が呼ばれて、事情聴取できる状態ではないと分かると、意識がハッキリするまで待っていることにした。
何しろ、身元を示すものは何もなく、特に靴を履いていなかったことから、自殺ではないかという疑いが掛かった。すぐにおじさんのところに連絡があったので、そのまま亜由子に連絡してきたということだ。
おじさんは、亜由子が兄を探して、旅に出たことを知らない。おじさんには、亜由子と坂出がそれほど仲がいい兄妹だとは思わせないようにしていたというのだ。
「おじさんやおばさんの前で、兄妹が仲良くしているところを見られると、露骨に意地悪されるんです。理由を言うこともなく、こちらが睨むと、気持ち悪い笑いを浮かべて、上から目線で見つめるんです。本当に怖いと思うんですよ」
と亜由子は、川崎に言った。
おじさんであれば、二人の本当の関係を知っているのだろう。それで二人が仲良くしているのを見ると苛立つというのは、やはり、二人が兄妹ではないということの証明ではないだろうか。
坂出が見つかった時、夕方だったという。宿泊していた場所も分かったようで、警察の事情聴取が入ったという。
その時、女性が同じ時期に泊まっていたということで、捜査の対象とされたが、坂出がいなくなったと思われる時間には、部屋にいたことが分かっていたので、彼女は無関係だということだった。
彼女が恵であることを、川崎はもちろん知らないし、ただ、坂出が女と一緒だという予感が当たったのは間違いのないことだった。
坂出は、身体中に傷があったが、致命的な傷はなく、命に別条はないという。すぐに意識も回復するだろうという医者の話だが、そうなると、警察の尋問も始まることだろう。
警察は、裏付け捜査を続けているはずだ。そのうちに、亜由子はもちろん、川崎に捜査の手が伸びるのも時間の問題だ。ただ、別に罪を犯したわけではないので、かしこまる必要はない。それでも、亜由子にとってどうなのだろう? 探られたくない腹を探られる気持ちになるのは間違いないないだろう。
坂出の回復は思ったより早かった。
警察の事情聴取に対して、
「自殺なんて考えていませんよ」
と答えたという。自殺する理由もないと本人は話したが、川崎には信じられない気分だった。
会社のことも調べられて、こちらは、別の課の捜査が及ぶようだ。
――叩けば埃の出る身体――
と言われるが、まさしくその通りで、川崎の知らないことも、坂出の裏付け調査からは、いろいろ出てきたようだ。
その中に亜由子のことは含まれていなかった。たった一人の妹というだけで、それ以上のことを調べるのは、プライバシーの侵害となる。大きな犯罪でも絡んでいれば別だろうが、
「事件性はない」
ということで、警察も判断したようだ。
亜由子も、安心して坂出の見舞いに訪れていた。毎日のように訪れるが、時間も決まっていた。
しかも、面会時間もいつも同じで、必要以上に長いわけでもなく、中で坂出と何を話しているのか、不思議なくらいだった。
ただ、誰が覗いても、会話はないらしい。人が来る瞬間を狙って、会話を止めるわけではないので、本当に会話がないのかも知れない。
坂出は、黙って亜由子を見上げている。亜由子も黙って坂出を見下ろしている。アイコンタクトというべきなのか、表情も変わっていないようだった。
ただ、亜由子は黙って、看病している。果物を切って、食べさせてあげたり、痒いところに手が届くように、絶えず、坂出を気にしているようだ。