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三年目の同窓会

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 坂出がここにやってきたのは、本人が偶然だと思っているようだ。恵に出会ったのも、場所がここだったのも、意味があるのである。
 どんな意味が隠されているのか、その時の坂出には分からなかったが、それは当たり前のことであって、坂出が恵を意識するようになって、二人が話をしない限り、分かるものではないからであった。
 恵の方とすれば、坂出を意識している自分が不思議でならなかった。坂出とはどこかで会ったような気もしないにも関わらず、なぜ意識してしまったのか、分からなかったのだ。
 ただ、恵は人の顔を忘れっぽいところがあり、そこは坂出とも似ていた。
「お互いに、物忘れの激しさには、困ったものですね」
 と言って、笑い飛ばしていた人がいたのを覚えているが、それが坂出だったように感じたのは、ただの偶然であろうか。
 坂出は、自分が残してきた日記を思い出していた。「もう一人のママ」の存在を仄めかすような日記を書いたが、果たしてそんな女性がいるのだろうか。「ママ」というのは、ただのスナックのママという意味ではなく、付き合っていた「スナックのママ」に対してのもう一人の「スナックのママ」である。
 同じような人が、そうたくさんいるわけではないので、日記を見た人は、きっとどこかの違うスナックのママを想像するだろう。だが、なぜ坂出が、わざわざその人から離れて、似ている人を探そうと思ったのかという感覚は分からない。心境の変化という言葉で表してしまうと、見誤ってしまう。決して心境の変化ではなく、しいて言えば、「心境の発展」というべきであろうか。
「どうして、彼女ではダメだったんだろう?」
 それは、ママが坂出の本心を見抜いてしまったからではないだろうか。ごく最近まで坂出自身も気付かなかった自分の本心。それを見つけようという気持ちもあって、ママの元から離れたのだ。
 自分の本心に気付いた時、坂出はショックだった。遥か昔に忘れてしまった感情が沸々とよみがえってきて、心臓が音を立てて、高鳴っているのが分かってくる。
 考えてみれば、坂出という男が、本当にリーダー格なのかということも、自分の中でずっと自問自答を繰り返してきたことだった。それでも、まわりからは慕われて、いや、担ぎ上げられてだったのかも知れないが、何とかリーダー格をこなしてきたが、それも、すべて綱渡りだった。過去を振り返ることはおろか、今を見つめることさえ許されないような状況で、次第に自分の気持ちを掻き消してきたように思えてならなかった。
 坂出にとって、一番気になっているのが、妹の亜由子だった。他の女性を見ることはもちろん、相手が男性であっても、必ず、亜由子を通してでしか見ることができなかったような気がする。
 亜由子というワンクッションがあることで、坂出は、人を意識することができる。大げさに聞こえるが、それが坂出の歩んできた人生だったと言っても過言ではない。
 亜由子が今までの少しでも、他の男性を好きになったり、目が行くようであれば、坂出の中の呪縛も解けたかも知れない。だが、それも坂出がしでかしたことによって、二人の間で出来上がった他の人の知らない空間が、次第に交差することで、時には立場が逆転することもあったのだ。
 立場が逆転する時に限って、どちらかに恋愛話が持ち上がる。もちろん、その時、持ち上がった方は、我に返って、
「この時とばかりに、今の呪縛から逃れられるかも知れない」
 と、渡りに船だと思っても、結局は、空間から逃れることができない。二人の間の空間にはバリアが張られていて、誰にも見えない光で包まれている。それはすべての罪悪から保護されているように思え、逃れられないことを、いけないことだとは思えないでいるのだ。
 要するに、その殻を破るのが怖いのだ。
 破ってしまって表に出て、逃げられなくなってしまったら、どうなってしまうのか、想像もできない。
 そして、何よりも、相手のことを気遣ってしまっている自分に気づき、
――そんなことを考えているから、逃れられない――
 と、苛立ちさえ覚えるのだった。
「兄妹の絆というのは、そんなにも強いものなのかしら?」
 と、亜由子は思っている。もちろん、兄の坂出も同じことを感じているに違いないと思っているが、果たしてそうだろうか? 
 坂出自身、そう思えるなら、どれほど気が楽だと言えるだろうか。
 気が楽になりたいというわけではないが、知ってしまった事実によって、自分がしでかした罪の意識に苛まれてしまうことが、まるで堂々巡りを繰り返し、明日が見えてこないという錯覚に陥ってしまうことが怖かった。
 明日がやってこないことがそれほど怖いものなのだろうか。
 以前に、テレビで、毎日を繰り返している人間の話を描いたドラマを見た。
 五分前になると、スーッと自分の中の精神が、身体から離れてくる感覚を覚えるのだという。
 明日もまたその次の日を同じ感覚で過ごすのだ、
 結局ドラマでは、詳しいことを結論として出していなかったが、坂出自身の考え方が見ているうちに確立していったのである。
 目を覚まして今日が昨日であれば、安心してしまう自分がいるが、それも不思議な感覚だ。それはきっと、五分前に感じる、精神が肉体から離れる感覚を味わいたいからなのかも知れない。
 だが、それも毎日であれば、そのうちにマンネリ化してくるだろう。その時にこの世界から永久に抜けられない事実を初めて思い知るのではないかと思い、気持ち悪くなってしまう。
 毎日を繰り返していると、もう一つ気付くことがある。
「この世界には、もう一人、自分がいるんだ」
 ということだった。
 それは五分先を歩いている自分であって、決して追いつくことができない。しかも相手は、こちらにはまったく気づいていない、それはそうだろう。後ろを振り向くことはないのだから……。
 だが、実際に後ろを振り向いたことがあったが、その時、こちらに気付いた感覚がない。どうやら見えていないようだ。
 五分先を歩いているということは、日付をまたぐ五分前に感じる身体と精神の離脱をどう考えればいいのだろう?
 その時五分先の自分はちょうど、日付の裂け目にいるはずである。
 坂出は、もう一人の自分は一歩先に進んで、そのまま翌日を過ごすと思っている。それが本当なら自分自身のはずなのだが、どこかで、ある一日だけ、ターニングポイントがあり、何かの理由があって、逃れられなくなった。きっと、その時に何かの罪を犯し、罰として、その世界に封印されているのかも知れない。
 坂出は、その罪を背負ったまま、毎日を繰り返すことなく生きている。だが、何かの弾みで、その世界に踏み込むかも知れない。それだけ、罪の意識も高まってきていた。
 逃げ出したくなったのも無理もないことで、実はママも同じ感覚でいるようだった。
――ママと一緒にいれば、俺はこのまま毎日を繰り返す世界に引きずり込まれる――
 という妄想に囚われている。罪の意識とは、決して消えることのない、自分の中の戒律でもあるのだ。
 旅行に出てきたが、やはり探す相手はママのような人になるのだろうか?
作品名:三年目の同窓会 作家名:森本晃次