三年目の同窓会
得られると思っていたものが大きかっただけに、何も失っていないのに、失ったものがあるような錯覚がある。しかも実際に失っていないだけに。何かが欠落してしまったような感覚にそれが何かを探してしまう。何も失くしていないという自覚があるにもかかわらずにである。
身にならない努力とは、まさにこのことではないだろうか。
身にならない努力を、子供の頃から何度か強いられた気がしている恵は、
「また同じことを繰り返している」
と思えてならなかった。同じことを繰り返していると、次第に感覚がマヒしてしまい、
「どうでもいいわ」
という、投げやりな感覚に陥ることもあったりした。
古井戸から身を投げた人がいると、後から聞いたのだが、ゾッとはしたが、怖いという思いはなかった。逆に無駄な努力だったと思った冒険も、自分の意思だけだと思っていたのだが、何かに引き寄せられたのかも知れないと思うと、自分が選ばれたことを光栄に思うほどだった。
神社の境内に向かう一方通行の通路、「儀式」にしたがって、後ろを振り返ることもなく進んだが、果たしてそれでよかったのかという疑念を、赤鳥居を潜った後に、感じたのだった。
山の上にあった神社とは比べ物にならないほど、大きな境内に、人がポツリポツリと見える。それでも、小さな神社にこの人たちを押し込んだら、結構な喧騒になるのではないかと思うほどだが、見ていて、無駄に広いスペースに思えて仕方がない。
「どんなものにも意味があって、無駄なものはない」
と、山の上にあった神社の住職から聞かされた言葉が皮肉に聞こえる。
ただ、敷き詰められた細かな白い石を足元から広がるように見つめていくと、その先は、まるで白い海原のように見える。大きな境内が、さほど大きく見えないほどの錯覚に、海の広大さを思い知らされた気がしたのだ。
この近くには海があり、断崖絶壁の先には、灯台があるという。大海原を照らす灯台を後ろに控え、境内の広さを感じさせるには、さらに境内の後ろに広がった、雲一つない大空の果てしなさを見ることができる。海の広大さとは比較にならないが、眩しいばかりの白さの上に広がる透き通った果てしなさ。無駄に広いスペースだと思ったことを恥じる気分である。
参道に続く、「神様の道」の横にある一方通行は、自分にとっての分岐点に思えて仕方がない。この神社を訪れたのは、本当に偶然なのだろうか? そう思うと、何を目的にこの旅を思い立ったのか、再認識してみたくなった。
確かに失恋による傷心旅行には違いないが、それだけではない。格好のいい言い方をするならば、
「自分を探す旅」
とも言えばいいのだろう?
恵は、考えてみればいつも一人だった。一人が似合う自分を想像したこともあるが、想像がつかなかったことで、
――自分は一人は似合わないんだ――
と思ったほどだった。
だが、譲が奥さんと別れるという言葉を信じたことで、
「自分のところに靡いてくれるはず」
と思ったのは、思い上がりだけではなく、寂しさだけが自分の中にあったからであろう。
恵は一人でいることの寂しさを、忘れようとするあまり、人に自分の気持ちを押し付けていたのではないかと思うようになった。もし、
「そのように感じたのは、いつからなのか?」
と聞かれたら、
「神社の参道で一方通行を通った時」
と答えるだろう。
裏切られた経験を持って出会った二人、それぞれに違いはあるが、切実な気持ちであることには変わりはないだろう。
坂出の場合は、持っていたはずのプライドを傷つけられた裏切り。プライドのありそうな人間として彼を選んだはずである。
プライドのある人間は、時として、人を疑うことをしないと思われるからだ。
常に自分が前面に出ていて、後ろの人間を顧みているつもりで、実は、前しか見えていない人が多いからである。そんな人間ほど扱いやすいことはないだろう。後ろを見ないというのは、油断であり、また、自分に敵が現れた時に、相手が敵だと気づかないという点でも、相手には有利であった。
裏切られたことで、坂出はどこに行こうとしたのだろう? 逃げ出したい気持ちになったのは確かで、どこに逃げても同じことだというのも、頭の中では分かっていたことのようだ。
スナックのママと、どのようにして知り合ったのか、そして、鍋島由美子の存在が、彼にとって、どのようなものだったのかを知る人は、坂出本人だけであり、さらに、客観的に自分を見ている、
「もう一人の自分」
だけだったのだ。
恵はというと、坂出に比べてプライドを持っていたわけではない。プライドというよりも、現在、その時々を、いかにして生きていくかという大前提があり、その中で、少しずつのほんの小さな幸せを見つけて、それを自分だけの幸せとして育んでいくことを、毎日の生業としていたのである。
そういう意味では、坂出とは正反対だとも言えるだろう。
ここで偶然出会った二人であるが、ひょっとして、出会っていたかも知れないとも考えられる。現に、恵の付き合っていた男性は、坂出がリーダー格として君臨している同窓会メンバーの一人である。これだけでも偶然なのだ。
まだ、そのことを二人は知らないが、知ってしまえばどう感じるだろう? 二人同時に気持ちが動くとも思えない。また、どちらも動かないとも思えない。すると、どちらかの気持ちが先に動いて、相手に気持ちの変化を促そうとするかも知れない。そうなれば、二人の間に生まれた関係は、新鮮なものになるはずだ。それこそが二人を、偶然を装うかのように、この旅で引き合わせた意味もあるというものだ。
「それが、参道の分岐点の魔力なのかも知れない」
心が先に動いたのは、坂出の方だった。最初は、どこか胡散臭さを感じる女だと思っていた。坂出には彼女が風俗の女性であることが、ウスウス分かっていたのだ。
「どこに風俗の雰囲気が隠されていたのかって聞かれても、分からない。直感でそう思っただけで、直感でなければ、永遠に分からなかったかも知れない」
と、坂出は答えたであろう。
恵も坂出の視線を最初は胡散臭く感じていた。だが、その視線のどこかに懐かしさを感じたのだ。
その相手が亜由子であることに気づいたことで、忘れてしまいたいことを思い出させられた気がして、嫌だったのだ。
実は坂出には、会社で裏切られたという嫌な思い出以外にも、人に言えない過去を引きずっていたのだ。その思いがあるからこそ、嫌な思い出を忘れようと仕事に集中し、さらに、会社に貢献しようという健気な気持ちを持ったのだ。
その時の感覚は心地いいものだった。裏切られるなど想像することもなく、自分の落ち着ける世界を見つけたのも同然だった。
元々あった嫌な思い出を忘れたいという思いから、前を見るようになったのであって、人間何が幸いするものなのか分からないが、そのおかげで、リーダー格としての素質が開花したのかも知れない。
ただ、リーダー格としての素質が持って生まれたものなのか、それとも、その時に備わったものなのかは、自分でも分からない。ただ、まわりの人が考えていることを想像すれば、生まれつきのものだったと思っているのかも知れない。