三年目の同窓会
そう言いながら、境内を歩き回った。元々は、神社や名所旧跡を回るのが好きで、神社などに行けば、人が見ないような奥の方まで見なければ気が済まないタイプだった。
普段から、リーダー格でいて、いつもまわりからのリーダーとしての視線を浴びるのも疲れてきた。しかも、一生懸命に尽くしてきた会社から、今度は利用されるだけ利用された自分を惨めに感じていた。
「リーダーではない自分の実力を見せつけたいと思って、張り切っていたところを付け込まれたんだ。出る杭は打たれたようなものだな」
その考えが合っているかは別にして、冷静に自己分析もできている。
「しかも、癒しを求めていたところに現れたスナックのママに甘えてみると、どうも自分の中で嫌悪感しか浮かんでこない。これでは心休まるところはどこにもないじゃないか。要するに一人でいるしかないということになるよな……」
一人、神社の奥に入り込み、うろうろしながら、声に出して言ってみた。声に出さない限り、気持ちが整理できない性格で、そのことは、彼の知り合いなら皆知っていた。だから、彼が一人でいるのをよく見かける。一人が似合う男と言われるゆえんでもあろう。
坂出は、ここに来る前は、ずっと一人だった。だが、もしここで坂出を知っている人が彼を見ると、それが坂出だと気付かない人もいるかも知れない、それだけ、雰囲気が変わっているのだ。
元々少しメタボっぽい雰囲気のあった坂出は、顔もふくよかと言えるほど、少しポッチャリとしていた。その雰囲気が可愛らしいと思う女性も中にはいたようで、彼がモテたり、リーダーシップを発揮できるのも、見た目の影響も多少なりとはあったかも知れない。扱けたような表情で、目が窪んでいたりする人間に、人を束ねられるような雰囲気を誰も感じることはないだろう。そう思うと、坂出は、生まれ持ってのリーダー格だったのかも知れない。
それが、その時の雰囲気は、リーダー格だったと言っても、誰も信じることができないほど、痩せこけている。目の下にクマもできていて、まともに食事や睡眠を摂っているのを疑いたくなるほどだ。
実際に、まともな食事は摂っていなかった。それまでは三食確実に摂っていて、好きなのは米の飯、健康体を判で押したような生活をしていた。睡眠も毎日八時間は摂っていて、
「お前寝すぎじゃないのか?」
と言われるほどだったが、
「寝る子は育つっていうじゃないか」
「それ以上育ってもらっても困るけどな」
と言って、笑い話になるほどだった。
身長は、百八十センチ近くあるので、メタボっぽい体型であれば、かなり大柄に見えて、威圧感が発せられていたことだろう、第一印象で威圧され、会話をすれば、そこで確実に彼のリーダーシップに取り込まれてしまうパターンが学生時代には多かった。
それでも、もちろん、彼を好きだという人間ばかりではない。最初に威圧させられても、最初から身構えていれば、何ということはない。身構えている人間には、彼は却って鬱陶しがられていたかも知れない。
坂出には分かっていたことだ。
「俺は自分が付き合いやすい人と友達でいられれば、それでいいんだ」
確かに、誰とでもそつなく付き合うことのできるのが理想かも知れない。だが、理想を追い求めるあまり、自分と仲良くなった人に対して付き合いが浅くなってしまっては、求める理想の意味がない。それなら、坂出のように、割り切って出会いを考える方が、前向きでいいではないか。坂出をリーダー格に置いている友達は、皆そう思っているようだ。
坂出のことを嫌いな人は、坂出のリーダー格を、まるで宗教団体の洗脳のように思っている人もいるようだ。
「坂出グループは危険分子」
他のメンバーを見れば、危険人物かどうか分かりそうなものなのに、坂出だけしか見ていないから、他のメンバーには、迷惑な話だが、他のメンバーも、
「言いたいやつには言わせておけばいいのさ」
と、まったくうて合わない様子である。他のメンバーからは、坂出に対するリーダー格の素質への、ヤッカミに違いないと思っているからだ。
坂出は、そんな中で、やっと就職してから、グループを離れることができて安心していた。
「三年後に、同窓会をやろう」
と言い出したのも、実はグループを一旦解散しても、その後、自分の影響力がどれほどのものであったかを知りたいと思ったからだ。三年という歳月を区切ったのは、就職した人であれば、落ち着いた時期でもあり、大学に進学した人であれば、そろそろ就職活動を考えなければいけない時期となり、少なからずの精神状態に変化をもたらす時期だと思ったからだ、
――長くもなく短くもない時期――
それが、三年だったのだ。
――石の上にも三年――
――桃栗三年、柿八年――
意味は違っているとしても、三年という時期は、昔から、一区切りの時期と言えるのではないだろうか。最初に三年と言い出した時に、そこまで考えていたわけではないが、後から考えてもちょうどいい時期だったに違いない。そういう意味では、同窓会を開くとしたら、三年刻みで開くのがいいだろう。
坂出にとってもグループは、一緒にいる時にリーダー格として収まっていることに窮屈さは感じたが、一旦離れてしまうと、懐かしさはすぐにこみ上げてくる。
「懐かしさという言葉が、やたら新鮮に感じるのは、グループへの愛着があったからなのだろうか? それともリーダーではなくなったことに対しての開放感と、それまで感じていたはずの充実感を味わうことができなくなってしまったことへの物足りなさとが入り混じったような不思議な心地にさせられるからだろうか?」
坂出は、呟きながら考えたものだった。
開放感の方が確かに強かった。人に頼られるよりも、頼って生きる方が気は楽だし、頼られる方の気持ちも分かるので、無理強いは決してしない。相手も分かってくれているようで、一緒にいることに違和感がなくなる。
一人でいたいという時期と、自分を分かってくれる人と一緒にいたいと思う時期、それぞれに独立して感じていたが、そこには、次第にその間隔が次第に短くなってきて、境目が分からなくなってしまいそうになっているのも分かってきた。
最初は、ハッキリとした一人でいたい時間と、他の人と共有したい時間の区別がないだけだと思っていたが、それは、間隔が短いだけで、自分の中で確かに区別をつけていることに気が付けば、また少し、自分のことが分かってくる気がしたのだ。
三年後の同窓会を意識し始めたのは、卒業してから二年後、同窓会の一年前からだった。最初から意識していたのならいざ知らず、まだ一年を残して意識し始めると、それからの一年間というのは、長く感じられるものだった。
一年を、十二か月と考える人がほとんどで、三百六十五日だと考える人は、まずいないだろう。だが、一日単位で、指折り考えてみると、最初は、まず三百六十五日の一日目で、残りが三百六十四日だと思い、一か月の中の一日だと考えることはないだろう。段階を重ねないと、一か月単位で見ることはできないからだ。