三年目の同窓会
今まで自己嫌悪に陥ったことは数知れず、しかし、自分を否定する選択に追い込まれるなど考えたこともなかった。それだけに、今回の自己嫌悪は、自分でもいつ解消するか分からなかった。今までであれば、
「時が解決してくれる」
と思って、何とかやり過ごしてきた。それもなかなか精神的にはきついのに、先の見えない自己嫌悪には、さすがに参ってしまった。
まるで究極の選択だったが、別にどちらかを選ぶ必要もないのだ。そのことに気が付くまでに少し時間が掛かったが、それだけ自分が純情であり、今一皮むけたのではないかと思えたのは、一種の開き直りのおかげだと思っている。
――そういえば、私は今まで開き直りのおかげで、どれほど助けられたか分からなかったわね――
ということも思い出した。
試験の一夜漬けや、ちょっとしたことの選択にしても、最後は開き直りだった。今までの小さいことの積み重ねが、数知れずおターニングポイントで発揮される。それを思うと、恵は開き直ることの大切さを思い出せたことに感謝していた。
譲に恋心を抱いたとしても、彼はすでに既婚者なのである。淡い夢など見ないに越したことはないはずだ。
だが、その時の恵は、譲にすがった。
本当はすがらなくても、乗り越えられたはずのものだったと、あとから思えば、そう感じるのだが、その時は、譲の気持ちに触れていたいと思った気持ちと、自分の中で揺れていた自信を取り戻すために、譲の存在が必要不可欠だったのかも知れない。
だが、それはあくまでも、
「譲の存在」
であって、譲本人ではない。その微妙な違いに気付かなかったことがそのあとの自分にどのような影響を及ぼすかなど、想像もつかなかった。
恵は、次第に譲に惹かれて行った。初めて表でデートした時、すでに譲に抱かれることへの抵抗はなかった。譲と表で二人きりで会うことの方が、そのあと、ホテルで二人きりになることよりも、よほど恵の中では勇気のいることだったからである。
――相手はお店のお客様なのだ――
という思いを跳ねのけなければ、できることではないからだ。
当然といえば当然だが、一度二人だけで会ってしまえば、譲が店に顔を出すことはない。分かっていたことだが、それも寂しい気がした。
――何を贅沢なことを言ってるのよ――
と、自分に言い聞かせたが、それだけではない。贅沢だというよりも、
――何かが違う――
という思いが強くなってくるのだ。
――お店に来ていた頃のあの人とは、笑顔が違っている――
ひょっとすると、譲も同じことを感じているのかも知れない。
二人は超えてはいけない一線を越えてしまったのではないかと恵は思ったが、後戻りできないのではないかという思いもあり、後悔がこみ上げてくるのを感じた。
だが、そう思って譲と接すると、今度は、笑顔に救われる気がした。お互いに超えてしまった一線であることを譲が分かっていると思ったからだ。
――彼にすがると自分で思ったんだから、それでいいじゃない――
と思うようになると、少し落ち着いてきた。
しばらく、このままの関係を続けていくことがいいのだろうと、考えるようになっていた。
それからの毎日は、それまでと違って、精神的には微妙に違う毎日だった。何かあったわけではないのに、やたら幸福感に包まれることもあったり、逆に不安感でいっぱいになることもあった。
「これって躁鬱症かしら?」
今までの恵は、躁鬱症などということを考えたこともなかった。ただ、日々微妙に違った精神状態になるのは、躁鬱症とは違っているだろう。躁鬱症は少なくとも数日は、同じ状態に陥ることだと思っていたからで、仲間の女の子たちに聞いても、
「それは躁鬱とは呼ばないわよ」
と言われるだけだった。
それでも、精神的に不安定な時期は一月ほど続いたであろうか。それからしばらくは、精神的にも平穏無事な時期があった。お客さんに対しても今までと変わりなく、譲に対しても、思っていることがそのまま素直に行動に出る自然体であった。
――躁鬱だと思っていた頃は、自然体じゃなかったのかしら?
自然体でなかったという理由づけは、精神が不安定だったことへの理由づけとしてはうってつけであった。確かに自然体でなければ、精神的にも不安定だ。何よりも自分が人に惹かれる要素の一番は、相手の自然体を見ることではなかったか。そう思うと、自然体がどれほどいいことなのかということを、再認識できたのだった。
譲は出張が多く、なかなか恵に会いに来ることもままならない。結婚していることもなかなか会いに来れない理由の一つであろう。
後悔はしていないが、
――このままでいいんだろうか?
という思いも、恵の中にあった。
そのうちに、譲が、
「俺、女房と離婚しようかと思うんだ」
という話を切り出してきた。
「えっ、離婚って、そんな」
まさか自分のためになどと大それたことは最初から思っていなかったが、それでも、
「どうも、女房とは合わない気がする。最初の頃のように自然ではいられない気がするんだ」
彼も自然体について考えている。そう思うと、自分のためではないと思っていた離婚の話も、
――ひょっとして自分を選んでくれるんじゃないか――
という淡い期待を抱くことも無理のないことだった。
だが、実際に彼から選ばれることはなかった。
彼は宣言した通り、奥さんとは離婚したが、
「俺は離婚したいとは思っていたが、また誰かと結婚したいというところまでは、まだ考えが浮かばないんだ」
恵が譲を好きなことを知って、なまじ期待を持たせてもいけないと思ったのか、恵にハッキリとそう言った。
そして、しばらく一人になりたいということで、恵に連絡を取ることもなく、もちろん、お店に顔を出すこともなくなった。
いくら淡い期待だと分かっていても、面と向かって言われれば辛くなるなという方が無理である。恵も、
――一人になって考える時期に来たのかも知れない――
と思い、店にはしばらく休養したいと申し出て、旅行に出たのだった。
ショックからすれば、彼氏と別れた時の方があったのかも知れないが、余韻という意味では、今回の方が残っている。新たな自分の道を示してくれた相手が譲だと思っているからで、一人になりたいという思いは、そこにもあったのかも知れない。
お店の方も、少し渋ったようにも見えたが、許しがもらえた。
「君は人気があるから、少し痛いけど、でも、今のまま続けていても、どこかでパンクしてしまいそうだからね」
「申し訳ありません」
店長の優しさには涙が出そうだったが、そこはぐっと堪えて、なるべく感情を表に出さないようにした。お店への愛着はそれだけ店長への愛着でもある。心配を掛けたくないという思いもあるのだ。
譲のことを忘れようとは思わなかった。忘れることなく、いい思い出にしたいと思ったから旅に出ることを選んだ。傷心旅行ではあるが、本人は傷心旅行とは思っていない。
――自分を見つめなおす旅――
そう思っているのだ。
失恋をしたら、
――しばらく男性を好きになることはない――
と思うものだ。恵も同じ気持ちだったが、一人きりになってみると、