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三年目の同窓会

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 確かにその通りで、考えれば考えるほど堂々巡りを繰り返すのは、大なり小なり皆同じである。考えてみれば、最初に浮かんだ言葉を書き連ねる方が、よほど、分かりやすい文章になるのではないかと思ったくらいだ。
 思い切りの良さは、坂出の信条でもある。それはまわりの誰もが認めるところだった。ひょっとすると、ママも同じことを感じていて、それにしては日記を見てあまりの違和感に、川崎にその思いを伝えようと、日記を持ってきたのかも知れない。
 ママはママで、川崎や亜由子と違う意味での危惧を、坂出に抱いているのかも知れない。
 亜由子を見る目が少し違っていたのも納得する。どこか、目を逸らそうとしているように見えたのは錯覚ではなく、どこか憐みを感じさせたのは、無意識であったかも知れないが、本心だったに違いない。
 亜由子を見たママの心境を思い図ると、そこに同じ女性としての目が十分に感じられた。もし、ママが男の視線で亜由子を見ていたら、好奇の視線だったかも知れない。それを思うと、ママが憐みを感じたのも分かる気がしていた。この日記はやはり見せるなら川崎にだけで、他の誰にも見せてはいけないもののようだった。
 日記は、当時付き合っていたであろう坂出の彼女の話から始まっている。
 それまで自分の気持ちを騙し騙し付き合っていた彼女のことを、最初は憐れんでいる内容が多かった。
 相手は、あまり敏感ではないようで、坂出の気持ちに何も気付いていない。それは幸いなことなのか分からないが、とにかく自分が惨めだと書かれていた。
 坂出が、純真無垢な女性を好きなのは、前から分かっていた。ただ、その思いは、他の純真無垢な女性が好きな女性とは少し違っていた。
――自分に従順な彼女を育てていきたい――
 そんな思いが見え隠れしているのだ。
 サディスティックなイメージではあるが、それも少し抑え目である。本来の性格がサディスティックなものであり、何とか悟られないようにしていたのも、分かっているつもりだが、日記の端々に、その苦悩が感じられるのは、気のせいであろうか。
――坂出は、その思いをママの前で曝け出していたのだろうか?
 川崎は、曝け出していたと思う。坂出の性格からすれば、好きになった相手に対して、なおさら、
――自分のことをもっと知ってほしい――
 と思っていた。それが訳アリの相手でも同じである。
 逆に訳アリの相手の方が、余計に分かってもらおうとする。なぜなら、深いところで気持ちが通じ合えると思うからだ。
「うわべだけの関係なんて、メッキが剥げれば、後は骨を皮しか見えてこないものさ」
 極端な表現だが、これも坂出らしい言い方だった。
――分かる人にだけ分かってもらえれば、それでいいんだ――
 というのが、坂出の考えである。
 日記の中で出てきた彼女は、坂出にとって、
「分かる人」
 ではなかったのだ。
 坂出は分かる人を本当に求めていたのかは、日記の最初の方を見る限りでは分からない。だが、彼女と付き合っていることが自分を欺いているということに気付いた時、坂出の葛藤は始まった。それが、彼女を見ているつもりで、実は違う女性を見ていることを気付いていながら、それを必死に否定している自分がいたからであった。
 日記に出てきた最初の彼女の話題は、なるべくいいことを探して書いているように思えた。いいところあかりを探しているために、辻褄が合っていなかったり、坂出の気持ちよりも、相手をいかにうまく書いてあげようかという、遠慮がちな日記になっていた。
――坂出は、こんな日記を書いていたんだ――
 遠慮がちで、自分の意見を押し殺すような日記は、坂出らしくない。坂出の日記なら、もっと自分の気持ちを吐き出すように書いていてもいいはずなのに、まるで別人が書いたかのようだ。
――ここにいる時の坂出は、別人だったのかも知れない――
 自分の知らない坂出が、そこにはいたのだ。
 川崎も坂出のすべてを知っているわけではない。だが、普通日記を書くというのは、普段人に言えない内容を、気持ちの中に収めるだけでは飽き足らずに、何か形に残したいと思って書くのが日記なのではないだろうか。あるいは、嫌なことがあり、何とか抑えることで事なきを得た自分を納得させるため、素直な気持ちを日記に籠めるために書く人もいるだろう。
 すなわち日記は、正直で素直なものなのだ。
 それなのに、日記の中でも遠慮して書いている。この心境は、さすがに最初分からなかった。
 だが、考えてみると、分かってくることもある。
 日記を書くことで、自分の性格に戒めを課す場合である。
――相手に悪い――
 それは自らの心にウソをついて相手に接している場合、自分の気持ちを封印したいと考える。封印先は日記ではなく、自分の心でなければいけない。だから、日記には、自分の気持ちを押し殺したままで、何とか幸せになっていく自分を描きたいと思うのだ。
 だから、日記の内容にはいいことしか書かれていない。悪いことは、すべて心の奥に封印し、日記の中での自分は、ウソをついているという感覚がないほどに、相手との幸せな時間を育んでいるのだ。
「分かる気がするな」
 もし、川崎も日記をつけるくせがあったのなら、同じことを想うかも知れない。だが、川崎と坂出では、「ウソ」というものについての感覚が違っているだろう。日記の根本である「ウソ」という感覚が違っていることで、最初から、坂出のような日記を書くことはできないことを、川崎は分かるのだった。
 日記の中に出てきた彼女は、二か月もすれば、日記の中から消えていた。しばらくは、女性のことは書かれていなかったが、その間に書かれていたのは、その時に馴染みにしていた居酒屋のことであった。
 同じく常連になっている人との会話がよく書かれていて、その人の話に感動したと書かれているが、内容は、坂出が言いそうな話が多かった。
――ひょっとして坂出のセリフ?
 と思うほどで、明らかに坂出が以前に話していた内容だったのを思い出した。
 最初は、その人から聞いた話を、自分にしてくれたのかとも思ったが、明らかに話を聞いた方が、古かったのだ。
 日記に書かれている内容は、相手の男のセリフには違いないが、それは自分と共有した気持ちを表したものなのかも知れない。
 相手のセリフに思わせて、実は自分の心の底にあるもの。だが、その実、その言葉を引き出させたのも坂出自身だと思えば、日記に書き遺しておきたい気持ちも分からなくはない。
 坂出のそんな日記の内容は、毎日書かれていて、
――よく毎日、これだけ書くことがあるな――
 と思うほどだ、
 きっと中には、創作もあるだろう、いつもいつも事実ばかりを書いているわけではない。ネタがそんなに毎日あるとは思えないからだ。
 それでも半年ほどは、自分と居酒屋の常連さんとの話に終始していた。やはりそんなに長く続くなど考えられない。他の人との話も、常連との会話として描いているのかも知れない。それだけ常連さんとの会話が一番しっくりくるのだろう。
作品名:三年目の同窓会 作家名:森本晃次