三年目の同窓会
だからこそ、苛立ちの本当の原因は自分にあるのだ。自分の勝手な妄想から、鍋島由美子の侵してはならない領域を、侵犯しているのだ。
「ごめんなさい。初めてお会いした人に対して、こんなこと言えた筋合いではないと思うんですけど、どうしても話してしまわないと気が済まなかったんです」
川崎は、少し今の言葉に解せないところがあった。
「言えた筋合いではない?」
その言葉に過敏に反応してしまった。
――ここまで話してきているのに、少し水くさくないか?
という思いであった。自分を信頼して話してくれているはずなのに、どうして、
「筋合いではない」
という発想になるのだろうか? そう思うと、鍋島由美子の中にある、
「他人を受け入れてはいけない」
という思いが見え隠れしているようで、またしても、苛立ちを覚えてくるのだった。
川崎が何も言わずにいると、モジモジしているようで、どこか上目使いな視線に、モノ欲しそうないじましさを感じるのだった。川崎は、今の自分がどうしてここまで捻くれた考えを抱くようになったのか分からない。ただ言えることは、
「捻くれた考えを抱くまでには、時間はそれほど関係ない。あっという間に抱いてしまうことだってあるのだ」
という思いが頭を過ぎったのだ。
川崎は、抱いてはいけない妄想を抱いてしまった。
初めて人を蹂躙するイメージ、しかも相手が女性ともなると、抱いてしまったイメージを打ち消したいと思っても、あまりにもリアルな想像となってしまっていて、打ち消すこともできない。
ただ、それでもある程度までの妄想を抱いてしまうと、限界があるようで、次第に頭が冷めてくるのを感じた。それまでに抱いた妄想が消えることはないのだが、冷静に戻っていく自分を感じた。
身体が落ち着いてくると、スッと心地よさが走り抜け、さっきまで焦っていた気持ちに一区切りついたのが分かってきた。
鍋島由美子があどけない表情で覗き込んでいる。さっきまで苛立ちしか生まれなかった感情が、冷めてくるにしたがって、いとおしさに戻ってきた。
――一体何だったんだろう?
今まで抱いていた妄想が、ウソのように消え去っていた。そしてあっという間に過ぎてしまったと思う時間が、ポッカリと川崎の心の中に大きな穴を残したようだった。
ただ、穴は残っていても、それは心の中だけで、感じている時間が、明らかに飛び越えていたのだ。鬱の時間を飛び越えたかのような感覚に、
――妄想とは、躁鬱症の一環のような感覚をもたらす――
と思ったものだ。
川崎は、鍋島由美子と話をしていて懐かしさを感じたことで、直子のことが気になってしまっている自分に気が付いた。
それは、坂出がいなくなったことと、直子が来なかったこと、さらには、坂出の勤めていた会社に、直子のイメージによく似た女性がいたということは、偶然で済まされることなのかどうか、分からなかった。
そういえば、スナックのママの言葉の中で、
「坂出さんは、私には癒しを求めてくれていたようなんだけど、時々、満足できないのか、何か苛立ちを感じていたようでした。いつも受け身の人は、時々自分が他の人に奉仕しないと我慢できなくなるみたいで、そこが人間らしいというところなんでしょうね。私も普段から人に与えるばかりの立場なので、たまには癒されたいと思う気持ちと同じようなものなのかも知れないですね」
という話が出たのを思い出した。
川崎も、どちらかというと、与える立場の方が多い。だが、
「あなたって母性本能をくすぐるところがあるのよ」
と、言われることが多く、与えられることが、この上のない心地よさであることを知ったのだ、だが、基本的にはやはり与える方が自分らしいと思うのは、自分が男であるという意識が根本にあるからだろう。
――男だから、癒す側でないといけない――
そんな決まり事などあるはずはないが、勝手に思い込んでいる。それを自分では、
――古臭い考えだ――
と思っているからであって、それでも最近は少し丸くなってきているように思えた。
柔軟な考え方がなければ、同窓会の幹事など引き受けられるわけもない。同窓会の幹事を引き受けるにあたって、どれほど自分に自信がなかったことか、
「心配しなくても、フォローしてやる」
と、言ってくれた人ほど、蓋を開けると、何も動いてくれないものだ。
翌日、スナックのママから電話が掛かってきた。前日、
「何か思い出したことがあったら、連絡をください」
ということで、携帯電話の連絡先を教えておいたのだ。
「実は、坂出さんのことなんですけど、私のところから姿を消したその前の日に、どこかから電話があったようなんですよ。私がいないと思ってお話をしていたようなんですけれども、どうやら、込み入ったお話のようだったんですけども、最後には安心したような口ぶりだったですね。それが何か影響しているのではないかと思います」
「貴重な情報、ありがとうございます」
ママは、まるで急に思い出したような話をしていたが、果たしてそうなのだろうか? 考えられることはいくつかあるが、本当は分かっていて、人に話してはいけないことだと思って言わなかったというのが、一番強い考えだ。
話をしていいのか悪いのか。心に葛藤があったかと思う。そして話すにしても、相手を見て、
「この人なら大丈夫」
という確信がなければ話せないと思ったとしても、それは自然なことである。
「ということは、俺なら話をしてもいいと思ってくれたということであろうか」
それなら嬉しいことであり、これからも、情報があれば話をしてくれるだろう。心強い味方を得たと思うとありがたかった。
また、逆に本当に忘れていて、急に思い出したのかも知れない。ただ、忘れていたとしても、思い出す過程に、川崎がいたのだという考えもある。
「あの二人が訪ねてきたから思い出したんだわ」
と、思ったのだとすれば、ママの中ではすでに坂出は過去の人になりつつあったということだろう。
したたかな考えでもあるが、前向きだとも言えなくもない。いつまでも過去にこだわらない性格なのだとしても、これもまた自然である。特に一緒にいた期間が、それほど長いわけではない。目まぐるしく変わる毎日の中で、その一時だけ、
――ママの心の中に腰を下ろした男がいた――
というだけである。
川崎は翌日、ママと待ち合わせをした。今度は亜由子を伴っていない。
亜由子を伴わないということが、ママと会う条件でもあった。
「妹さんには、どんな結果が待っているか分からないので、まずはあなた一人で確かめた方がいいと思うのよ」
というのが、ママの話であった。
「そうですね。じゃあ、明日は私一人で伺います」
待ち合わせは、駅前の喫茶店だった。ちょうどその日は、川崎も仕事が休みだったので、ちょうどよかった。
時間は昼下がりの二時過ぎ。少し汗ばむくらいの陽気に、夜の店に出ているママに会うのも新鮮な気がすると思っていた。
ママはすでに来て待ってくれていた。
「すみません、遅くなっちゃって」
本当は遅くなったわけではないが、ママがすでにいたのを見て、思わず口から出たのだった。