三年目の同窓会
静かに笑った時の亜由子の顔は、大人っぽさを感じさせた。今までに亜由子の笑顔を見てきたが、同じ人の笑顔とは思えない。普通笑顔はあどけなさを感じさせることで、普段よりも幼く感じさせるものだと思ったが、静かに笑うと、亜由子は特に大人っぽさを引き立たせる効果があるようだった。
「それにしても、お兄ちゃんは、一体ここで何をしていたんですか?」
スナックのカウンターから乗り出すように、ママに聞いていた亜由子の表情は、笑顔から見えた大人っぽさを彷彿させるものがあった。
横顔だったので、余計に表情がハッキリせず、笑顔はそこにはまったく見られない。
「坂出さんは、いつも疲れていたというのが、私の印象だったわ。行くところがなくて。私のところに来たんだろうけど、見ていると、可哀そうになってきて。それで私がしばらく置いてあげようと思ったの。一体、あの人に何があったのかしらね」
それはこっちが聞きたいと言いたかったが、ママを見ていると、まんざら皮肉だけを言っているわけではなく、その表情には、憐みを含んだものがあり、
「この人は、俺の想像以上に苦労してきた人なのかも知れないな」
と、思うと、もうあまり聞く気にもなれなかった。
それでも、亜由子は納得がいかないのか、いろいろと聞きたそうだったが、ママも、亜由子の気持ちが分かるのだろう。敢えて止める気もしなかったようだが、ただ、態度だけは、上から目線だった。それがママのプライドを示しているのかも知れない。
「まあ、せっかく来たんだから、ゆっくりしていけばいいわ」
相変わらずタバコを指でもてあそぶようにしながら、亜由子には上から目線だった。
ひょっとすると、坂出の妹ということもあり、坂出を知っているだけに、ママ自身の中で亜由子の操縦方法が分かっているのかも知れない。確かに海千山千のママに比べれば、亜由子などは、まだまだ甘ちゃんなのかも知れない。
「それにしても、坂出さんに、妹がいるなんて知らなかったわ」
ママがそう言って、タバコを燻らす。
「えっ、知らなかったんですか?」
川崎は意外だった。
「ええ、何でも正直に話してくれる坂出さんが、妹さんのことを言わなかったのは、何か理由があるのかも知れないと勘ぐったくらいだもの。でも、時々寂しそうに表を見ていたことがあって、その時は誰か忘れられない女性がいるのかしらと思ったんだけど、ひょっとした妹さんのことなのかも知れないわね」
とママさんが亜由子に視線を向けると、亜由子は、その視線に一瞬ビビったが、黙り込んで下を向きながら、考え込んでしまった。急に何かを思い出したのか、さっき話したばかりの子供の頃の記憶に関係していることなのかも知れない。
「何か、思い出したの?」
「いえ、そういうわけではないですけど、お兄ちゃんが私のことを話さなかったというのは分かる気がするんです」
川崎と亜由子のやり取りを聞いていて、さすがにママさんも何か様子がおかしいことに気付いたのか、神妙な表情になり、
「坂出さんは、あまり話が上手な方ではなかったんですけど、たまに口にする一言に重みを感じることがあるんです。それがあの人の魅力かも知れませんね」
と話してくれた。話がまた元に戻ってきた気がしてきた川崎は
「坂出がここにいたのはどれくらいだったんですか?」
「一緒にいたのは、二週間くらいでした。私もまさか急にいなくなるなんて思ってもみなかったので、最初は、このままずっといられても困ると思っていたんです。でもいなくなられると、寂しさがこみ上げてきますね。あの人は、寂しさがこみ上げてくるその絶妙な期間だけ、わざと私を一緒にいたんじゃないかって思うほどで、もしそうなら、恨めしいですよ」
「一緒にいた時の坂出は、どうでした?」
ママにストレートに聞いてみたが、やはり答えるにあたって、亜由子の方をチラチラ見ていることで、意識しているのがありありと分かる。
「どうかと言われても、何と言っても男女の仲ですからね……。でも、彼にはとにかく哀愁を感じるんです。母性本能をくすぐる哀愁とは、また少し違うんです。でも、放っておけないという気にさせるのは、母性本能をくすぐるのと同じで、私の中にあるさらに深い感情を、彼はくすぐっているのではないかと思っています」
話は難しくはないが、果たして亜由子に理解できる内容であろうか。大人の世界の話など、それほど聞く機会のない亜由子は、川崎とママの会話を聞きながら、川崎がママの話をどこまで分かって聞いているのかに、興味を持った。ママに手玉にとられるようなら、果たして坂出を捜し当てるまで至れるのかが分からない。何よりも、亜由子自身が一人置いて行かれるのが心細く感じるのだった。
「一緒に暮らした二週間でしたけど、私は短かったと思ってます。一緒にいて、最初は、いつまでいるのよと思う期間があって、それに慣れてくると、今度はいつまで一緒にいられるのかなって思うようになるんですよね。二週間というと、ちょうど、その頭の切り替えの期間くらいじゃないかしら」
異性と同棲した経験のない二人だったが、ママの話を聞いていて、何となく分かる気がした。それだけママの言葉には説得力があるのだ。横を見ると亜由子がまだ考え込んでいる。ママの言葉に考え込んでいるというよりも、話についてくるだけの頭の整理がついていないようで、どのあたりの話を頭に描いているのか、想像もつかなかった。
「そちらのお嬢さんは、お話についてこれていないようですね」
ママがこの言葉を発した意図が、川崎には分からなかった。亜由子が頭を整理できない間に、ママは川崎に対してだけ話をしていれば済むことだった。理解できない上に、肉親という聞き流すことのできない立場の相手を無視できるものなら無視すれば、話は腰を折らずに先に進むというものである。
ただ、亜由子本人には、きっと今の言葉が助け舟だとは思っていないだろう。どちらかというと、
――皮肉を言われた――
と思っているに違いない。
だが、川崎にはママの気持ちが分かっていた。それだけママを見直すように思うに違いない。あまり好かれても仕方がない人には皮肉に聞こえ、対等に話ができる相手には、好感が持たれる話し方をする。
「実にうまい話法ではないか」
まさか、ママはそこまで計算しているのであろうか? 確かに海千山千のスナック経営者、川崎には、どこまで自分を出して話をしていいのか、正直困っていた。
だが、ママはウソや人を欺くような言い方をしているわけではない。話のほとんどが本心であろう。
川崎は、少々計算高いところがある人なのかも知れないが、本心は寂しがり屋の一人の女性で、坂出が癒しを求めたくなる相手であることに間違いはない人だと思っていた。短い期間ではあったろうが、その時に何か決定的な気持ちの変化が、坂出の中に生じたのではないかという思いが渦巻いている。
――俺は女性と一緒に暮らしたら、どんな気持ちになるんだろう?
思わず、亜由子の後ろ姿を覗き見るような雰囲気になってしまった川崎だった。