三年目の同窓会
「お兄ちゃんは、体調不良を起こしてから、一日が経つのが結構早いって言っていたわ。これだと翌日には治ると思っていたものも、数日経ってしまう気がするって言っていたわ」
――体調不良を訴える相手が誰なのか?
それによって、坂出の行き先が分かってくるような気がした。今、手がかりとしてあるのは、スナックの女の子であるが、果たして坂出が一つの場所にずっといるかどうか分からないという思いが頭を擡げる。
しかし、彼が失踪してから、まだ一か月ほどしか経っていない。その間に他に移っているような人間には思えない。だが、目の前にいないことで、自分の知っている坂出ではなくなってしまったのではないかという思いが、予感となって漂っているのだった。
スナックに入ると、店の外から見ていたような雰囲気そのもので、店内は暗く、狭かった。
「場末のスナック」
とは、こういうところをいうのかも知れない。
客は誰もおらず、女の子もまだ来ていなかったようだ。まだ、要の八時にもなっていないので、当然といえば当然だが、喫茶店で時間を潰していたが、川崎にとって思ったよりも時間が経っていたようで、もう午後十時近くのような感覚だった。
「まだ八時だったんですね」
時計を見た亜由子が呟いた。
亜由子も時間がなかなか経っていないことを気にしていたようだ。
それにしても店の中は狭く、陰湿であるにも関わらず、喧騒とした雰囲気を感じるのは、似たような店を知っていたからかも知れない。
川崎は、今までにスナックというと二軒しか知らないが、そのうちの一軒が同じような雰囲気だった。その店には、最近立ち寄ることはなくなっていたが、大学時代によく立ち寄っていた。一緒に行く人がいなかったら、さすがに一人では入りにくい雰囲気だった。
その店は常連でもっている店で、店の雰囲気や女の子の可愛さというより、ママさんの人間性で人が集まってきていた。
常連さんには変わり者が多く、中には、文句をいう人もいたりしたが、ママさんがうまくなだめて、結局、すぐに楽しい酒に変わっていった。特徴としては、客が少ない日でも、どこか喧騒とした雰囲気が漂っていて、客がそれなりのルールを守っていることで、店の秩序は保たれていた。
店に来る客の中で、一人老人と言ってもいいくらいの男性がいた。その人は、背も低く、腰が曲がっていることで、本当に老人にしか見えないが、話すことも他の人とは違い、誰もが一目置くような内容なので、店の中では、
「長老」
と呼ばれていた。その人も、そう呼ばれることに抵抗はないようで、むしろ、喜んでいるようだ。ただ、くたびれた雰囲気は如何ともしがたく、社会人としてはアウトロー的な存在だったのではないかと思わせた。
長老の話を聞くのを楽しみに通っている人もいるくらいで、川崎もその一人だった。長老がいない時は女の子が相手をしてくれるので、それなりに楽しいが、長老がいない日は、いつもの喧騒とした雰囲気はなく、寂しさだけが店内に漂っているのだった。
長老の話で頭に残っているのが、
「時間を操ることもできれば、時間に操られる自分を意識することも、両方できる人間がいるんだが、その人のことを考えていると、面白い」
「どういうことなんですか?」
「時間を操ることができるといっても、時系列を崩すことができるわけではなく、感じる時間の長さを自在に変えることができるんだ」
「ますます分かりません」
「時間を操るというのは、例えば時間を短く感じるような力を使う時は、自分と同じ感覚をその場にいる全員に味あわせてしまう。つまりは、自分中心の時間を、そこでは作ることができるんだ」
「では、操られるというのは?」
「他の人が感じている時間の感覚を、感じることで、その人に合わせた時間を、自分だけで操ることができる力なんだ」
「でも、時間の感覚というのは、人それぞれで違うんじゃないですか?」
「でも、バイオリズムのような同じカーブを描いているわけではない。まったく同じ感覚を思い描く時が、時々あるんだ。その感覚を察知することができるのが、その力の一番の特徴で、自分も同じ時間の中で過ごしているんだが、操られることが一番楽だと思うと、うまくまわりに合わせることができる力が発揮されるんだ」
「他力本願みたいですね」
「そうは言いながら、皆大なり小なり、似たような力を持っている。それを意識していないだけで、知らず知らずのうちに発揮しているのさ」
「時間に操られるというのは、他力本願だから、そんな表現になるんですか?」
「時間を操る力と相対的な力でもあるからね。だから、そういう表現になるのさ」
川崎は、実際にその人と一緒にいると、自分が時間に操られているのを感じる。時間とは自分で勝手に操作できるものではないという思い込みが、操られるという感覚に移行しているのだろう。
坂出が通っていたというスナック、この店にも時間に操られる感覚が漂っている。
その一番の特徴は、入った瞬間に感じた店の広さよりも、慣れてきてから感じる店の広さが、さらに狭く感じられるようになったからである。
店の暗さに目が慣れてくると、それまで見えていなかったものが見えてくる。そこには時間の感覚も存在していた。
「こんばんは」
カウンターで洗い物をしていたママさんが、初めて顔を上げた。
「いらっしゃいませ。まだ準備中なんですが、よろしければ、お掛けになってください」
カウンターを指差して、二人を誘い入れた。
最初は、単刀直入に坂出のことを聞こうと思っていたのだが、店の雰囲気と、時間に支配された空間を感じた時、すぐに話を切り出しても、結局は無駄足に終わるだけだと思った。
カウンターに座ると、目の前に出されたおしぼりで手を拭きながら、店内を見渡した。
――そういえば、学生時代に通った店に入った時も、同じように店内を見渡したものだ――
この店は時間の感覚というよりも、明るさに違和感を感じていた。
最初に入った時に暗かったのは、常連の店と同じだが、なかなか目が慣れてこない。いつまで経っても、店の奥の方がぼやけていて、本当の店の広さを感じることができないのだ。
川崎は、常連の店には、最近出かけていない。大学を卒業し、通うのが不便になったというのもその理由だが、通っていた頃の最後の頃に、長老の姿を見なくなったからだ。
風の噂で、信憑性のないものだったが、
「長老が亡くなったらしいぞ」
「えっ、どういうことなんですか?」
「どうやら、交通事故に遭ったらしいという話を聞いたんだが、最近来なくなったことで、他の客も心なしか減ってきたような気がしないかい?」
確かにそうだった。
「実は、同じように事故で亡くなったという人があと二人ほどいるらしい。ここの常連の人も一人いるらしいんだが、俺たちと違う日に来ていたらしくて、一度も会ったことがないんだ」
その店は、曜日の常連が多かった。会う人とは毎回会うのだが、会わない人とは一度も会うことがない。長老だけが、どちらもの常連を知っているようだった。
「でも、他の曜日の常連が交通事故に遭ったといっても、どうして俺たちの曜日の客が減ったような気がするんだい?」