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短編集49(過去作品)

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 鏡に写っている自分の顔、目を合わせているわけではないのに、鏡の向こうの自分に見つめられているような気がする。
――鏡の向こうは別人なんだ――
 夢の中では、今までにもう一人の自分を感じたことが何度かあった。それは目が覚めるにしたがって薄れてくる意識の中でもしっかりしているもので、忘れてくるものではなかった。
――夢を見ている自分と、主人公である自分――
 鏡の中の自分はどっちなんだろう?
 もう一人の自分を意識すると、鏡の中の自分が違う動きをしても不思議ではない。何しろ夢の中の主人公は鏡の中の自分なのだから……。
 髭を剃りながら、こちらを見ている。
――髭を剃ったりしたことないのに、剃っているということは、一度は剃ってみたいという願望があったのかも知れない――
 母親に対する反発心がなければ、十中八九髭を剃っていただろう。今では反発心から髭を剃っていないわけではなく、髭を抜くことに快感を覚えてしまったから、髭を剃ることをしないだけだった。
 だが、心の奥に願望は封印しているのだろう。だからこそ剃っている夢を見ることで、願望を満たそうという意識の表れに違いない。
「ジョリジョリ」
 白く塗られたクリームの上を、髭剃りが綺麗に除雪していく。シーンと静まりかえった中で聞こえてくる耳鳴りは、起きている時にも時々感じるものだった。
 耳鳴りを感じるようになったのは、夢を見始める少し前からだった。
 髭を剃っている夢は何度も見ている。よほど願望が強いのか、どれほどの周期で見ているのか考えたことはないが、夢の中で、
――何度も見ている夢なんだ――
 という意識すらあるのは不思議なことだった。
 剃るとすれば電気剃刀を使っていたはずである。なぜかというと、面倒くさがり屋の八代は、シェーバーを顎に塗るのは苦手だった。チューブになったシェーバーを指に出し、それを万遍なく顎に塗るのは器用な人でないとできないに違いない。
 本当は別に万遍なく塗る必要はないのだろうが、それでは八代の気がすまない。八代はおかしなところでこだわる性格だった。
 綺麗に剃られるまでの時間、息を飲むように鏡を見つめていた。自分でも剃っているはずなのに、その感覚がないのは、夢たるゆえんなのかも知れない。
 どれほどの時間が経ったのか、綺麗に除雪された顎を指で触ってみる。
――気持ちいいな――
 と感じ、ずっと触っていたい衝動に駆られるが、じっと鏡の中の顎を見ているうちに、また髭が生えてくるように思えてならなかった。
 その証拠に、除雪された瞬間、黒い部分は一切消えていたと思ったのに、次第に黒い部分がハッキリとし始めた。じっと見ているはずなのに、不思議である。だが、これは現実でも髭を抜いた後に感じることでもあった。
――綺麗に抜いたはずなのに、これほど黒さが残っているなんて――
 と何度感じたことか。
 しかも抜く方が剃るよりもはるかに綺麗になるはずである。一度抜いたら髭はなかなか生えてこないはずだというのはウソなのだろうか?
 ひょっとして、その意識が髭を剃っている夢を見させるのかも知れない。
 綺麗に抜いているはずなのに、剃ることへの願望が潜在意識として残っていることで、まだまだ髭が生えてくる要素を残しているのだ。
――それとも、髭が完全になくなってしまうことを恐れているのだろうか――
 とも感じている。
 しかし、見ている夢の中できっと目が覚める寸前くらいに見ていることだけが、目を覚ましてからおぼろげな記憶しかないのだ。
――夢で見たことなんだろうか――
 という疑問が残るくらいで、何かの拍子に思い出すくらいだった。普段は、記憶の奥に封印しているのだろう。
「髭を剃ってはいけない。髭を剃ると病気にかかる。これは八代家、先祖代々伝わっていることだ」
 真っ白な髭を蓄え、髪の毛も伸び放題の老人が杖をつきながら語りかける。
 足元にはまるでドライアイスを敷き詰めたようなもやが掛かっていて、まさしくテレビドラマなどの演出に使われそうな仙人が出てきたのだった。
 夢であることは明らかだった。ご先祖様にしろ仙人にしろ、まさしく絵に描いたような出で立ち、それこそ潜在意識の成せる業である。
「髭を抜いてはいけないとは、果たして?」
 夢の中で声を掛けようとしても、声が出ていない。自分の声が聞こえないのだ。
 現実の世界でも、自分で感じている声と、テープに取って後から聞く声とはまったく違っている。
「俺ってこんなに声が高いのか?」
「ああ、そうだよ、自分で感じる声と、まわりの人が感じている声とでは違っているものさ」
 と言われたことがあった。夢の中ではその声を自分で感じることができないが、それだけにまわりには聞こえているのかも知れないとも思った。
 だが、自分の発した声を自分で感じることができなかったせいなのか、次第に耳鳴りが強くなる。
 夢の中での空間の音という音が消えていくのを感じた。
――真空状態での音ってあるのかな――
 と思ったことがあったが、まさしくその時に想像した真空状態での音がその時に耳鳴りとして襲ってきた。
 海に行って、貝殻を耳にあてたことがあったが、その時の音を真空状態の音だと勝手に意識していた。それを夢の中で思い出したのも、
――夢というのは潜在意識が見せるもの――
 という感覚があったからだろう。
――それにしても仙人は本当にご先祖様なのだろうか――
 疑えばキリがない、何しろ夢の中での出来事、何でもありだと思っていても、結局は潜在意識以上のことを見ることはできないという思いが強い。きっと、そうに違いないだろう。
 血を受け継ぐということ自体、不思議なことである。子供が親に似てくるのは、当然血を受け継いでいるからだろうが、一緒に暮らしているという環境的なことも大きな要因である。まったく知りはずのないご先祖様の考えが分かったりするのはあまり信憑性のあることではなく、潜在意識では疑いながらも、探ろうとしている自分がいることにも気付いていた。
 八代家は、旧家だった。屋敷は広く、家の奥には蔵が立っていた。
 子供の頃は怖くて近寄れなかったのは、冒険をしないせいもあったが、ジンクスのようなものもあったからだ。他の人には分かることではなく、言えばバカにされるに決まっているが、蔵に近づくことがなぜか自分のジンクスを破ることに繋がると信じていた。
 仙人の夢を見た次の日、八代は蔵に立ち入った。別に開かずの蔵になっているわけではなく、定期的に湿気を抜くため、開放しているくらいだった。鍵は誰でも開けることのできる場所に置いてあって、ただ、開けようという意志がなかっただけである。
 蔵を開けると、初めて入った気がしなかった。
――初めて入ったはずだよな――
 頭を傾げて考える。目の前に広がる光景への意識は、それほど以前のものではなく、最近のものだった。だが、もっとも、懐かしいことを思い出す時に気がつくのは、夢の中であったことなのか、現実のことなのかが混乱していて、記憶の中で捩れた状態になっているのではないかと思うこともある。
 ヒンヤリとしている蔵に入ってすぐに、目的のものは見つかった。やはり、
――初めて見たような気がしない――
作品名:短編集49(過去作品) 作家名:森本晃次