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短編集49(過去作品)

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――ひょっとして、他の人と同じ行動をすることに疑念を抱いているのが、もう一人の自分なのかも知れない――
 と感じるようになっていた。
 これこそ矛盾の表れである。だが、もう一人の自分の存在を意識するようになって、
――きっとお互いに意識し合ってはいるが、絶対に考えていることが重複するわけはないんだ――
 と考えている。いつかは一つの考えに纏まるような気がしているが、それはお互いを意識しないようにならないと実現できるものではない。きっと無意識な感情が芽生えてこないことにはありえないことであろう。
 無意識の感情が芽生えてくれば、自分が大人になったといえるのではないだろうか。子供のうちは、まだまだいろいろなことを考えて、どこかで回答が待っていると信じている。大人になれば自然と回答を意識することなく、自然な行動を取れるようになるに決まっているという考えだった。
――ということは、いつ大人になったかということは自分では分からないだろうな――
 かといって誰かが教えてくれるものではない。その瞬間に気付くことは不可能に違いない。
 子供から大人を見ると、実につまらないことを気にしてみたり、子供が気になって仕方がないことをサラリと流してみたり、まるで子供と正反対に見えていた。
 大人になるとそんな意識はないのかも知れないが、子供から見れば、大人は対抗意識の対象であった。
――意識しすぎることなんてないんだ――
 自分に言い聞かせているが、それこそ意識の賜物というもの。
 大人になれば、子供って過ぎ去った自分の過去であり、今の自分が一番だと思うようになるとしか思えなかった。
 成長期には特にそれを感じていた。寸時前であっても、過ぎ去った時間は、すでに過去であり、現在は少なからず過去よりも上であるという意識の元だった。
 何を持って上下というのかは分からないが、進んでいく時間が、右肩上がりに見えているのは八代だけではないかも知れない。
 まわりが何を考えているかが気になっていて、真剣に気持ち悪さを感じているのは、成長期ではないだろうか。大人になってまわりを気にするのは、自分を社会的な立場として現実的にどう見ているかということで、現実的ではなるが、実際には大きなことなのかどうかは疑問である。
――自分にとってまわりが、まわりにとって自分が――
 そんなことを考えるのも成長期ならではであろう。
 大人になってから考えることではない。永遠のテーマとしてまわりの目をどう感じるかという問題は残るのだろうが、大人になればまずは現実的な問題が最優先になってくる。
 高校生になって、一度病気をしたことがあった。本当は子供が掛かる病気で、大人になれば少し重いといわれる病気である。はしかやお多福風邪のような伝染病の一種のようだった。
 詳しい病名は聞いたが、
「あまり一般的な病気でもないですからね」
 と医者が言っていた通り、聞いたこともない病気だった。きっと誰に話したとしてもピンと来ないだろう。それなら別に覚えておく必要もない。しかも長ったらしい病名だったからだ。
 入院生活を余儀なくされた。入院してから二日目くらいまでは高熱のために、意識も朦朧としていて、四六時中点滴の針が腕に刺さっていた。三日目くらいから熱が次第に下がり始めたが、それまでの高熱の影響からか、体調は思わしくない。何しろ食欲もなく、内臓がかなり弱っていたようだ。
「大丈夫かい?」
 母親は心配してくれて、よく病院に通ってくれた。だが、病院での生活は思ったよりも孤独で、一人でいる時間がこれほど長く感じるとは思ってもいなかった。
 学校では一人でいることが多く、友達も多い方ではなかったが、それでもまわりに誰かがいるのといないのでは、まったく違っている。それよりも一人でいる時に感じる時間がこれほど長いものだったなんて、想像もしていなかった。病院で誰もいない空間の中で、息吹きを感じることもなく一人でいると、息苦しくなってくるのは八代だけではあるまい。
 朝、日の出を感じる。カーテンはそれほど薄いわけではないので、日が昇ってくると、
――夜が明けたんだな――
 と感じるところから、一日が始まる。
 一日の中で一番長く感じるとすれば、きっと目が覚めた時だろう。次第に時間の感覚にも慣れてきて、感じる時間の間隔が短くなってくるはずである。
 しかし、昼を過ぎても一向に時間が経っているような気がしない。
――どうしてなんだろう――
 時間に慣れてきているのは自分でも分かっていることだった。
 中学の頃から、人と同じ行動を取ることに違和感を感じていた八代は、高校に入って、余計に人と一線を画すようになっていた。
 一人の時間を持て余すことに慣れてしまったのもあるかも知れない。人と同じ行動を疎ましいと思っていたのも、まわりの流れを感じている中で、自分の時間を有意義に過ごすことを望んでいたからだろう。
 それが中学の頃の八代にはできていた。若干、一人でいて寂しいと思うこともあったが、まだ異性に興味を持つ前だったこともあって、違和感はなかった。
 だが、逆に入院して一人の時間に慣れてしまってから、確かに一人の時間の使い方が、それまでとは違ってきた。一人でいる時は時間が短く感じられるのだが、ふとした時に寂しくてたまらなくなる。
 病院であれだけ感じていた時間の長さ、他人の空気を感じることのできる世界に戻ってくると、反動からか、一人の時間が短く感じられるのだが、それは、考える力が早くなったからではないだろうか。そのために時間が余ってしまい、ふっと我に返ると、まわりには誰もいなくなってしまっていた。一人だけが暴走して、皆を置いてきてしまったような感覚である。
 入院していた頃のことを思い出すと、かなり前のことだったように思ったのは、退院してからすぐだった。
 入院前のことの方が、まるで昨日のことのようで、入院がウソだったのではないかと思えるほどだった。
 確かに入院している時間は、後から考えると夢だったかのようにも思える。
 一人でいる時間ではあるが、自由に動ける一人の時間とはまったく違い、束縛の中にある時間は一人といっても、それは苦痛を伴うものだった。
 普段何不自由なく生活していて、それでも退屈な気分になる時があるのに、いくら病気とはいえ、束縛された時間の中では次第に息苦しさが募ってくる。
 最初が一番辛く、次第に楽になってくるのだが、そんな感覚はない。時間を積み重ねるごとに不安が募り、退院の時に初めて開放される。
 開放されて初めて、最初が一番きつく、次第に楽になっていくことに気づくのだった。
 退院してから、鏡を見るとあまり髭が生えていないことに気付く。少なくとも一週間も入院していれば、鏡を見ると、自分で見て気持ち悪いくらいの髭が生えていたとしても不思議はないだろう。
 よく見ると、産毛のようなものはいっぱい生えている。耳の横からあごにかけて、白く細いものが無数に生えている。指で触ると、ゆわゆわで気持ちいいが、剛毛とまで行かないまでも、男としては少し悲しいものがある。
――女性ホルモンが強いのかな――
作品名:短編集49(過去作品) 作家名:森本晃次