短編集49(過去作品)
あごひげ
あごひげ
世の中には一つのことにこだわっている人はたくさんいるだろう。
まわりの人にとっては些細なことであったとしても、その人にとっては大切なことだったりする。大切なことではなくとも、最初にしてしまったことを途中で変えることを嫌う人もいるだろう。
いわゆるジンクスと呼ばれるもので、例えば毎日玄関を出る時には必ず右足からと決めていて、考え事をしていたために気がつけば左足で踏み出してしまって、一日中後悔の念と恐怖におののいてしまうことだってあるだろう。
人によっては、その場で気がつけばもう一度玄関を出るところからやり直すことで、事なきを得たと考える人もいるだろう。だが、それを決して許さない人もいる。ジンクスをそれほど甘いものだと考えていない人で、それだけいいことのジンクスには、絶大な信頼を置いている。
八代新吉は、子供の頃からジンクスを信じる方だった。玄関を出る時はもちろんのこと、道を歩いていて、舗装された道の間にできた横線を踏むことにさえジンクスを感じ、歩幅を調整してでも必ず踏んでいた。
それで何かいいことがあったというわけではない。平凡に可もなく不可もなく暮らしてきた。だが、悪いことが何もないことほど難しいことはない。そのことは小さい頃から分かっていた。
八代は決して冒険をしようとしない。小学生の頃など、クラスに数人は冒険心の強い友達がいて、必ず廃屋や洞窟などがあれば、探検してみたくなる連中だった。
彼らとは結構仲がよかったが、冒険を始めると、さっさと彼らのそばから離れていた。彼らも最初は、
「八代、お前はいくじなしだな」
と言って、叱責していたが、
「いや、俺は冒険はしたくないんだ」
と毅然とした態度で何度も断っているうちに誰も誘わなくなった。
愛想をつかしたわけではない。八代の毅然とした態度に一目置いているのだ。優柔不断な態度には敢然と立ち向かうかれらであろうが、ここまで毅然とした態度を取られると、完全に一目置いてしまう。すべてが暗黙の了解となっていた。
子供心に冒険心は少なからずあったはずの八代であった。
少なくとも冒険心旺盛な連中と話が合うのだから、冒険心が湧いて来ないはずもない。それでも彼らと行動をともにしないのは、自分の中に冒険を戒めるジンクスが存在していたからであった。
中学に入った頃から、他の人と同じ行動を取ることに少しずつ違和感を感じるようになっていった。小学生の頃は冒険心旺盛な連中と仲間であったが、中学に入ると、彼らとは一線を画すようになり、一歩離れた目で彼らを見るようになった。すると、集団意識が垣間見れるようになり、中にいてまわりを見ているよりも、表から見てしまうと、考えていたよりも実に狭い世界であることを認識できた。
――こんな中でいつも何かを考えていたんだ――
と思うと、急に集団意識が情けないもののように思えてくる。特に中学時代など集団で行動することで、まわりがまったく見えていない状況が目に浮かんでくるくらいだった。成長期は短い期間で一気に成長してしまう。それだけに、時間を断面から区切ってみれば実に薄い世界にも感じられた。
――俺って冷めてるのかな――
とすら考えていた。
中学生だったら、何も考えずに無邪気な方がいいのかも知れない。
「中学生といえばまだ子供だからな」
と大人から言われて、
「そんなことないさ。もう立派な大人だよ」
と答えたくなるのはむしろ無邪気な考えを持っている連中だろう。それはきっと小学生時代と比べているからで、確かに小学生の頃から比べればはるか大人に近づいているに違いない。だが、冷静な目で見れば、まだまだ子供なのだろう。
だからこそ、八代は中学生はまだまだ子供だと思っている。冷めた目で見ている自分すら子供だとしか思えない。きっとそれは冷静な目でまわりから集団意識を見ているからであろう。
集団意識を見ていると知らず知らずに大人の目になっているという自覚を感じる。
だが、それはあくまでも目であって、考え方や身体自体は子供である。その中途半端な自分が分からなくて、悩んでいる自分に気付いていた。
悩んでいる時は、自分が二人いるように思えた。悩んでいる自分と、悩んでいる自分を表から冷静な目で見ている自分である。冷静な目で集団を見ている自分、それは悩んでいる自分を見ているもう一人の自分と同一であった。中学時代、成長期という時代は、たえず悩みを抱えていたに違いない。
そんな中でもジンクスだけは守り続けた。だからこそ大きな苦しみはなかったし、悩みはあったが、悩みがあることが少々のことでも大したことないように感じさせたのかも知れない。
――きっとそれを平凡というのかも知れない――
波風立たないだけで本当に平凡なのかどうかは、大人になってから分かることではないかという思いも多少はあったが、ジンクスを最優先に考えることで、平凡だと思うようになっていた。
高校生になる頃には、自分の髭を気にするようになっていた。
元々成長期であっても晩生な方だった八代は、声変わりも中学に入ってからで、肌の白さを少し気にしていた。
「まるで女の子みたいだな」
と小学生の頃から言われていたが、それが一番気になっていた。
女の子を意識するようになったのは高校に入ってからであったが、それまでは男と女はまったく違う人種で、磁石の同極が反発し合うようなものだと思っていた。
しかし、テレビや小説での恋愛もの、これに対しても八代は独特の考え方を持っていた。
元々男女は同じものだったという昔からの言い伝えがあるが、どうにも信じられない。
恋愛感情を持って惹き合うのであれば、破局を迎えたり、離婚なんて考えられない。ましてや、結婚しているのに他の女性を好きになったり、付き合ってみたり、そんなことは絶対に考えられなかった。
――事実は小説よりも奇なり――
と言われるが、不倫や浮気は恰好の小説のネタではないか。
むしろ小説のネタとして事実よりも先に考えられたものが、小説の影響で、一度裏木や不倫をしてみた人が、その神秘な魔力に取り付かれ、次第に蔓延していったのではないかと考えるようにもなっていた。
あまりにも突飛な考えであるが、ありえないことではない。
だが、八代が興味を感じるのは、そのことではない。どちらかというと気になっているのは、最初にタブーを犯してしまった人がどうなったかということであった。
もし八代の想像通りであれば、タブーを犯した人は、それまでの神聖な領域から逸脱したことになる。
逸脱してしまった世界がいい世界なのか悪い世界なのか、それは誰にも分からないが、初めて逸脱することを八代は人並み以上に気になってしまう。
それはジンクスを信じるからであった。
普段と違う行動をすることで、自分のどのような災難が降りかかるか分からない。それは絶えずもう一人の自分の存在を意識して、冷静な自分が見た中で戒めの恐ろしさを感じているからだ。
だが、人とまったく違う発想をすることはジンクスを信じる自分と、どこか矛盾している。
作品名:短編集49(過去作品) 作家名:森本晃次