短編集49(過去作品)
学校に行けば雅夫少年は今までどおりである。と言ってもあまり目立つ方ではなく、いつも静かなのだが、友達がいないというわけではない。学校から帰って友達の家に遊びに行くこともしばしばあり、却って母親はそっちの方が安心できた。
――家にいると、何となく不安だわ――
窓の外を見ている後姿が頭から離れないからである。一度しか見たことがないはずなのに、何度も見ているように思うのは、きっと窓の桟に原因があるからだ。
雅夫少年が見ていた窓の桟は、木製になっていて、雨が降ると、時々濡れてしまい、後から拭いておかないと腐ってしまう。
雅夫少年が窓から見ていた次の日に少し強めの雨が降った。
久しぶりの雨だった。天気予報でも久しぶりに梅雨前線が活発になるとのことだったが、
「天気予報ってあたるのよね。いやだわ」
と小料理屋の女将さんが話していたが、まさしくそのとおりになった。
母親は、雨が上がるといつものように、雅夫少年が学校に行っている間に窓の桟を丁寧に拭いていた。
湿気はいつもと変わらず、丁寧に拭けばある程度綺麗になる。それまで溜まっていた汚れも一緒に拭き取れるので、一石二鳥とも言えるだろう。
翌日から晴れた日が続くのだが、不思議なことに、綺麗に拭いたはずの窓の桟が、また湿気を帯びたかのように汚くなっている。
「あら、どうしたのかしら」
母親がさらに拭こうとするが、今度はなかなか綺麗にならない。雨の次の日は乾いたタオルで拭くのだが、今回は一度濡れタオルで拭いて、最後に乾いたタオルを使ってみたにもかかわらずなぜか落ちない。
「おかしいわね」
何度やっても落ちないので諦めて戻ろうとした時、またしても数日前に雅夫少年が覗いていた時の光景を思い出し、再度同じ場所から振り返って窓の桟を見た。
「気持ち悪いわ」
そこに写っているのは、ちょうど雅夫少年がいたのと同じ形で残っていたしみのようなものだった。最初に比べてむしろ大きくなったようにさえ思える。まるで雅夫少年が影だけ残して忽然と消えてしまったかのような恐ろしい想像をしてしまった自分が情けなく感じる母親だった。
――そんな怖いことあるはずないわ――
子供の頃にはSF小説が好きでよく読んでいたが、その時のことが思い出された。
そういえば雅夫少年もSF小説が好きだった。母親の遺伝をもっとも受け継いだところかも知れない。
だが、母親は小説を読むのが好きなだけで、あまり陶酔する方ではなかった。雅夫少年を見ていて時々気持ち悪くなるのは、雅夫少年がSF小説に陶酔してしまっているのではないかと思えるところで、物静かな性格がそれを物語っているようで、それが一番怖かったのだ。
母親がスペースファンタジー系が好きなのに比べて、雅夫少年は、それよりも少しホラー掛かったSFを好んで読み耽った時期があった。タイムトラベルや、超常現象のたぐいがそれであり、好きな作家もまさしくSFとホラーの融合を目指していると、自らで豪語する人であった。
雅夫少年がどれほど小説に陶酔しているかというのは誰にも分からない。陶酔しかかっていることは気付いても、それ以上は分からないのも当然だ。
しかし、実際に雅夫少年がどれほど陶酔しているかというのは、母親の考えているよりもずっと深いものであるのが事実である。
ただ、当の雅夫少年自身が、どこまで自覚しているかは疑問であるが、少なくとも雅夫少年の自覚の中には母親が考えているよりも深いものがあるのは事実のようだ。窓の桟に腕をついて表を見ていたという事実からだけでも十分すぎるくらいなのかも知れない。
色というものに母親は敏感だった。女性ならば当然なのかも知れないが、雅夫少年はあまり色に意識を持ったことがない。
洋服よりも和服を好んでいた母親だった。小料理屋で働いているので当たり前のことだが、子供の雅夫から見ても確かに和服が似合っていた。実際に洋服を着ているところをあまり見たことがないため、洋服姿が想像つかないというのもその理由だが、同じ女性でも洋服を着ている時と和服を着ている時とでは、まるで別人ではないだろうかと思うことさえある。
その理由は模様と色にあった。
洋服は和服に比べるとどうしても地味に見えてしまう。ワンピースでもない限り、上と下とがハッキリ分かれている洋服は、合わせ方によっては派手に見えるはずなのに、和服には叶わない。最初はそれがなぜだか分からなかったが、分からない方が却って神秘的に見えてよかった。
だが、隣に洋服屋ができてから、その違いを意識するようになっていた。
和服には模様がある。芸術がある。光の違いに見え方が変わってくるのは洋服も同じなのだが、微妙なところで和服には芸術性を醸し出す何かがある。きっと、身体全体で表現しているからだろう。ピチッと身体のラインを出す洋服と違い、和服にはゆとりがある。そのゆとりが豪華さを演出し。見るものを楽しませてくれるのではないだろうか。
少年である雅夫がそこまで意識しているかどうかは分からないが、それに近い意識を持っていることは間違いない。雅夫少年は、母親の後姿が好きだった。
いつも母親の後ろをついて歩くうちに、和服の魅力に取り付かれたのかも知れない。歩き方が上品で、微妙な腰の捻りが大人から見れば妖艶に写るのだろうが、子供の目にどれほどの感受性をもたらしたかは、雅夫が大きくなって思い出すことがあれば、分かることである。
和服の模様は、きっと広げれば分かるはずだ。しかし、後ろからや前から見る分には全体が見えるわけではないので、分からない。それでも何となく想像できるのは、鮮やかな色彩を見つめているからであろう。
母親は、着物をいくつも持っていた。あまり裕福な家庭ではないはずなのに、よくこれほどたくさんの和服が買えるのかとも思ったが、
――洋服を持っていない分、和服を買えるんだ――
と思えば納得がいった。もちろん、和服や洋服の値段も詳しく分からないからである。
洋服のデザインと、色のコントラスト、夜の暗い道でも映えているようだった。一定間隔で連なっている街灯の下にくれば、母親はまるで舞台女優に見えた。時々食事をしに行っていた母の働いている小料理屋の帰りに見る後姿には魅了されるものがあった。
――疲れているだろうに――
疲れは時として女性を美しく見せるものだ。少年の雅夫には分からない感覚に違いないが、艶やかに見えるのは疲れている母親に寄せる同情の気持ちから、きっと贔屓目に見ているからかも知れない。いや、むしろ、
――疲れているのだから、艶やかであるはずはない――
という気持ちから、少し贔屓目になっているのだろう。子供の感覚というのはそんなものである。
損得感情ではないのだが、どこかで足し引きをしている。学校で算数を勉強しているから、当然そんな感覚になってしかるべきであろう。
だが、算数では割り切れない感覚を持っているのは、子供特有の柔軟な考えもあるからだろう。
子供はどうしても経験に乏しい。それだけまだ人生を生きていないのだから仕方がないが、それだけに柔軟な考えを持っている。素直とも言えるだろう。
作品名:短編集49(過去作品) 作家名:森本晃次