短編集49(過去作品)
相手も同じように話をしてくるが、さすがに興奮まではしてこない。
どこかで抑えている気持ちがあるのだろう。かなり自分の意見をぶつけているつもりだが、相手がうまくクッションを張ってくれている。それが意識的なのか無意識なのかでまた違うのだろうが、無意識だからこそ、興奮せずに話せるに違いない。
――男同士の方が、言いたいことも言えるしいいよな――
と感じるが、それでも女性を求めてしまう。特に今までそばにいた人がいなくなってしまうと、寂しさは倍増する。
本当は、彼女の代わりはいても、友達の代わりはいないはずなのに、寂しくなると、彼女の代わりは他にいないと思えてくるのだ。
「それは男が女を、女が男を求めているからさ。相手がハッキリと見えてしまうと、その気持ちは特に大きくなるというもので、相手だって欲していたのさ。それが付き合っている時に気持ちのピークがしてしまったからじゃないかな?」
「タイミングが悪かったのかな?」
「タイミングというよりも、男と女の差だね。そのことを理解していないと、自然消滅や相手から別れを切り出されるということはなくならないと思うよ」
友達のその時の言葉が頭に残っていた。
それから学生時代に数人の女性と付き合った。付き合ったといっても、最初の恋愛とそれほど変わりがない。
――また同じことを繰り返してしまった――
という思いが強い。
中には、実際に抱いた女性もいた。初めての女性に興奮してしまって、我を忘れてしまっていたが、女性の方が大人で、そんな藤原を優しく包んでくれた。
だが、何かが違う。男としてのプライドがその思いを感じ取った。
――このままでは、ずっと彼女の優位だ――
相手がどのように思っていたのか分からないが、初めて自分の中で自然消滅を願った。
相手もそのことを察知して、結局自然消滅してしまったが、その時には後悔などはなく、ホッとした気持ちが強かった。
その時に感じたのである。
――今までの自然消滅は、皆相手が思っていた願望ではないだろうか――
と……。
そう思えば辻褄が合う。相手が後悔しないことも、どこか相手が逃げ腰だったことも、すべてが線で繋がったように思えるのだ。
「久しぶりですね。藤原さん」
「本当だね。森田さんも綺麗になって」
彼女の名前は、森田典子。小柄で可愛らしい雰囲気は変わっていないが、面と向うと、どこかドキドキしてしまう雰囲気は昔よりもはるかに強く感じられた。
大学時代も面と向うとドキドキしたものだ。笑顔が素敵で、思わず自分から笑顔になって、相手に笑顔を出させようという気持ちに自然になれたものだった。だが、今の彼女からは、完全に見つめられているイメージで、吸い込まれるような美しさがあった。
一口に美しいといってもいろいろあるが、吸い込まれそうな美しさはあまり感じたことがない。綺麗な人を気にする時は、そのほとんどが表情の変化の合間に見せるドキッとした雰囲気で、
「見てください」
と言わんばかりのオーラが、甘い風に乗ってやってくる。そんな時に感じる思いは心地よさがあって、見ただけで得をしたような気持ちになれる。美しいものを見た時というのは、そんなものであろう。
――典子の美しさを、今自分が独占している――
見つめられて感じる興奮は、その思いが支配していた。
「藤原さんも、男らしくなってますよ」
「そうかい? 自分では分からないもんね」
「何かに一生懸命になっている時って、男の人も女の人も「らしさ」を感じるものですからね」
「社会人になれば、一生懸命にならなければいけないことも多いからね」
「顔に滲み出ていますよ。きっとやりがいのあるお仕事なんでしょうね」
――そうかも知れない――
と感じた。
「典子さんも、何か綺麗さが滲み出るようなことがあったんですか?」
思わず聞いてみた。しかも、久しぶりに出会った人を下の名前で呼ぶなど失礼かも知れないと感じながらである。
典子は少し考えていたが、
「そうね。綺麗でいたいっていつも思っているわ」
自分が綺麗であることを自覚しているのだろう。
「綺麗になりたい」
ではなく、
「いつも綺麗でいたい」
という答えが返ってくるとはさすがに思わなかった。
大学時代に感じたドキドキは、謙虚なところがある彼女と目が合った時に、見つめられる視線の熱さというギャップがもたらしたものだった。今は彼女の中にハッキリと芽生えている自分への美しさという自信、何かが彼女を変えたに違いない。
「大学時代、私、藤原さんを意識していたのよ」
またしてもドキドキする発言である。好きだったと言われるのではなく、
「意識していた」
と言われる方が、ドキドキする。どのように意識していたのか、気になるところであった。
「意識って?」
「好きだったのかも知れないわね。自分の気持ちがハッキリと分からなかったので、何も言わなかったの。元々ハッキリしないことを口にするのは嫌いな方だったのよ。だから口数も少なかったでしょう」
確かに彼女はほとんどが寡黙だった。だが、寡黙なだけに却って可愛らしさが浮き立って見えた。藤原の中では目立っていたのである。
「俺もそうだったな」
「藤原さんも?」
「ああ、ハッキリしないことをあまり口にしないタイプだった。だけど、途中で変わってしまったかも知れないな」
彼女は黙って考え込んだ。
藤原は、いつか見た夢を思い出していた。
夢というものはいつ見たのか思い出せないもので、大学時代だったのか、それとも卒業してからのものなのか自分でも分からない。つい最近だったような気もするが、夢の中での自分は紛れもなく大学生だった。
夢の登場人物は、他ならない典子だった。
二人でデートしていたのだが、大学の授業が終わって一緒に帰っていた。付き合っていたわけではないが、一緒に帰ることくらいは何度かあった。その時だけ恋人になったような気分になっていたのかも知れない。その潜在意識が夢となって現れたのだろう。
相変わらず寡黙な典子、その横を話しかけることなく歩いている藤原、何となく雰囲気としてはぎこちないものだった。
何を喋っていいのか分からない。現実だったら、もっと精神的に追い詰められていただろうが、それほど意識があったわけではない。
夢であることを薄々感じていたのではないだろうか。そんな感じさえ受ける。
お互いに話をしないまま、意識は彼女に集中していた。
歩いていて気がつけば川原に出ていた。知っているようで初めて見る光景である。
――いったい、どこの川原なのだろう――
夢であることをやはり分かっているのか、そう感じてもそれ以上詮索しようとは思わない。
一緒に歩いていたはずの彼女が、何も言わずに川原に座った。夕焼けを背にして座っていると、背中がオレンジ色に見えた。まるで幻影を見ているかのようである。
藤原も追いかけるように土手に座る。初めて見た川原の光景だったはずなのに、座って見る光景は今までにも見たことがあったように思えた。
作品名:短編集49(過去作品) 作家名:森本晃次