短編集49(過去作品)
その日もたくさんの人が溢れていたホームでも、一番改札に近い扉に乗ろうと必死だった。功を奏して一番近くから降りることができたが、改札までの距離を少しだけ走った。
タクシーに一番で乗り込みたいと思う人が若干いた。ラッシュに慣れていない連中の中にあっても、自分のこととなるとしっかり考えている。実にしたたかな連中ではないだろうか。
――彼らなら、無人島でも暮らしていけるかな――
突飛な発想が浮かんでくる。タクシーに走りこんできた人たちを、喫茶店の窓から見ていると、どんな風に見えるかということを想像してみたりしていた。まるでアリが甘いもの群がってくるような感覚なのかも知れない。
コーヒーの湯気の湧き立ちが次第に落ち着いた気持ちを運んでくる。汗が引いてきて、少し寒気を感じていたので、コーヒーの暖かさはありがたかった。
「藤原さん?」
後ろから、一人の女性の声が聞こえた。最初は誰だか分からなかったが、大学時代の後輩の声だということは、振り向く寸前に分かった。
分かってしまえば、彼女以外にイメージが湧いて来ない。どんな女性だったかという雰囲気が記憶の中によみがえってくる。
少しだけ在籍したサークルに所属していた。そのサークルはテニスサークルで、友達が始めたサークルだったのだ。最初はなにぶん部員も少なく、
「さくらでもいいから」
という話で頭を下げられると、簡単には断れない。幸い、他にサークルもしていなかったので、
「来れる時だけの参加でいいか?」
という条件付で、在籍することになった。
時間はいくらでもあったのだが、大学生活を一つのことに縛られるのは嫌だった。そのくせ、やりたいことが決まっているわけではない。いろいろ模索しているところだったのだ。だが、友達のように自分から何かを結成したいという意識はなく、
――大学時代だからこそできること――
を探したかった。
たくさんあるだろう。
――社会人になってからはできないこと――
こちらを探す方が早いかも知れない。だが、その考えはどうにもネガティブで、自分に合わない気がしていた。それでもなかなか見つかるものではなく、まわりに流されてみるのも一興だと思うようになっていた。
本当はまわりに流されることを一番嫌っている。まわりに流されるということは何も考えていないことの証明だと思うからだ。だが、その考えは危険で、何も考えていないのではなく、考えることが怖いだけなのだ。流されてしまうことが怖いのであれば、ウソでも何かを考えていたいと思うのは、本能の成せる業ではないだろうか。
テニスサークルは、それなりに楽しかった。普段からいろいろ考え込んで袋小路にはまり込んでしまっている藤原には、何も考えないことも気分転換になるのだと教えてくれた。
いや、何も考えていないのではない。ハッキリとしたものが見えてこないだけで、絶えず何かを考えている。そこにぎこちなさがないため、考えているという意識が薄いだけなのだ。
楽しい時には楽しいことを考えるもので、中学、高校時代の自分が暗かったことを思い知らされていた。いつも何かを考えていたくせに、一体何を考えていたのかすら思い出せない。あまり前向きな考えではなかった証拠であろう。
大学に入って、いつも浮かれていた。彼女はなかなかできなかったが、女性の友達はいっぱいいた。中には彼女になってくれればどれだけ嬉しいかと思う女性もいたりするが、そんな女性には必ずと言っていいほど、彼氏がいたものだ。
自分が知り合うのが遅すぎたと思っていた。もちろん、それもあるだろうが、藤原が好きになる女性のほとんどは、似た性格だった。
それも積極的な男性が好きな方で、それだけに告白されれば、すぐに付き合ってしまうようなタイプだった。
外見は、どこにでもいるような女の子で、目立つタイプではない。女性は集団意識が強いのか、ほとんど女性ばかりで固まっていることが多い。その中で中心にいるような女性は好きになれなかった。自分のような面白くない男では、きっとすぐにフラれるという意識があるからである。
間違いではないだろう。まわりからの注目を快感に思っているだろうからである。一人の男性だけに集中するタイプではないからである。
いつも一人でいるような女の子へついつい目が行ってしまう。どこか寂しげなのだが、声を掛けると、身構えてしまって、警戒心の固まりのようだ。
「お高くとまりやがって」
中にはそんな風に感じる人もいるだろう。だが、藤原は違った。却ってそんな態度を取る女性をこちらに向かせることに生きがいを感じるようなところがあった。
――こっちを向いてさえくれれば、きっと長く付き合っていける――
いつも一人でいるような女の子たちは、きっといつも何かを考えているだろう。自分のことなのかまわりのことなのか、だが、いつも何かを考えているのは藤原も同じ、どこか共通点が見つかるはずだ。
なかなか声を掛けられない。何といって話しかけていいのか分からないからだ。
相手も話しかけられるのを待っているように思えるのだが、どうしてもきっかけが見つからない。見つめ合うくらいまで距離が近づいてきているつもりなのに、そこからどうしても近づけない。見えない壁に阻まれているようだ。
彼女を意識しながら、他の女の子に話しかける。他愛もない話に花を咲かせているのだが、それも自分がどんな性格の男性なのかということを遠巻きに彼女に知らせたい気持ちの表れだった。
相手から話しかけてもらうきっかけを作りたいと思うのは、藤原のエゴに違いない。だが、この方法しか思いつかず、話しかけてくれなくても、それは仕方のないことだと、次第に感じ始めていた。
二人で一緒にいるところを想像してみる。一緒にいるところは想像できても、何か会話をしているところがどうしても想像できないのだ。だからこそ、自分から話しかけることができないでいる。
藤原は自分の性格を、客観的に見ていた。
――相手が話し上手な人なら聞き上手になれて、相手が口下手なら、こちらから話題提供もできるんだ――
実に自分に対して都合のいい見方だが、当たらずとも遠からじだと思っている。実際にサークルを辞めてから大学三年生の時に初めて付き合った女性を相手に話題提供ができたのだ。
付き合った女性は、話し上手ではなかったが、静かなタイプではない。人見知りするタイプでもないのだが、相手から振られた話題に対しては実にうまく話をしている。自分からの話題提供がないだけだった。
二人で話をしていると、次第に話題が膨らんでくる。一つの話が二つになり、三つ目の発想まで飛び出してくる。
――これが会話の醍醐味なんだな――
会話が途切れると、お互いに目を見合わせる。そこでお互いに気持ちを確かめ合いたくなるのも性格が似ているからであろうか。
いや、男と女の性だといってもいいかも知れない。
作品名:短編集49(過去作品) 作家名:森本晃次