コート・イン・ジ・アクト6 クラップ・ゲーム・フェノミナン
09
「ゲンジョウになるのは住宅街路上。この辺りだな」
とスギヤマ――杉山刑事は地図の一点を示して言った。
「マルガイは道をこう逃げてくるが、ここで捕まって揉み合いになる。で、グサリだ。だから君らは待ち伏せて、包丁出すのを待って取り上げればいい。簡単だろう。やってくれ」
鶴見署の会議室内だ。杉山刑事は実に簡単に言ってくれちゃった。そりゃあ刑事さんから見りゃあ、殺急の仕事なんて簡単に思えるのかもしれないよ。おれなんかもデカの仕事は難しそうに思うもんな。ねえ。よくは知らないけどさ。きっと難しいとは思う。
班長が言う。「おれの考えでは――」
「いいや。今日はこちらに従ってやってほしい」
と杉山。しかし班長は無視して続ける。
「そのやり方はマルキュウの危険が大き過ぎる。通常そういう状況では、まず救命すべき者を保護してゲンジョウへ近づけさせず、阻止対象者にバンをかけるってのがウチの手順だ。で、ヤッパを持ってれば銃刀法の現行犯――それでいいだろう。どうせそんなの捕まえたって起訴できやしないんだから」
佐久間さんと零子が横で頷いた。おれもその横で頷いた。
路上強盗殺人などと同じやり方というわけだ。かつて殺人事件と言えば、動機は遊ぶ金欲しさ――それがダントツの一位だった。予知システムでちょっと減ったが、それでも三位四位辺りから決して脱落することのない殺しの動機のオールド・スターだ。
なんと言ってもそれをやる連中は、別に最初から殺しが目的というわけじゃない。あくまで強盗するのが狙いで、金を出せ出せとやってるうちについうっかりブスリとかズドンてことになっちゃうだけだ。〈殺意のない殺人〉だから、予知システムがあるからといって無くなるなんてあるわけがない。
一方、強盗殺人と言えば、留守だと思って他人の家に忍び込み中を漁っているところに家の者が帰ってきてウギャーッてことになるのが普通。これも基本は同じだが、家宅侵入するのを見届けパクりゃいいのだから話はラクだ。市民に危険を及ぼすおそれはまずないものと言っていい。
難しいのは路上の追い剥ぎ強盗だ。ナイフを出して「金を出せ」とやってるところを押さえられれば強盗未遂の現行犯――結構重い刑を喰らわせてやれるのだけど、それではほんとは死ぬはずだった人間をやはり危険に晒してしまう。
死なないまでも刃物で傷を付けられたり、強盗が咄嗟に人質に取ったりしたらどうなるか。被害者の心に残る精神的な傷というのも無視できない問題だ。
殺人課では市民の危険をできる限り抑えるやり方を選択する。強姦殺人の場合なら零子か佐久間さんが身代わりになって夜道を歩く、なんていう手を時に使う。路上強盗殺人では殺されるはずの人間を保護してゲンジョウに近づけさせず、犯人らしき人物を囲んで身体検査するのが通常の手順だ。
刃物を持ってりゃ銃刀法違反でコート・イン・ジ・アクト。それではほとんど罪にならず起訴もされない場合も多いが、とにかく殺しが防げたのなら良しとする。あくまで市民の安全優先がおれ達殺急隊なのだ。
「だからさ」と班長が言った。「おれ達はその妊婦を保護する。マルヒはあんたらにくれてやるよ。囲んでバンかけりゃいいじゃんか。そういうのはそっちの方が得意だろう。おれ達にはニンドウって言葉はないがそっちはそれ使えるんだし」
「そうはいかないんだよ」杉山は言った。「この母親は娘がゲンジョウにやって来るのをクルマで待ち構えてるらしい。バタフライナイフなんかならともかく、料理用包丁をクルマの中に置いてるくらいでニンドウってわけにいかんだろう」
「ならあきらめろ。どうせそんなやつ捕まえたって、ロクに話も通じないに決まってるんだ。娘の方はカルトから抜け出したがっているんだろ? だからそっちが優先とさっき自分で言ったはずだぞ」
「そうだが、できれば親の方も捕まえたい。それにどうやら娘の夫も一緒にいるらしいんでね。そいつは何か知ってるかもしれん」
「もともと全部怪しげな話だ。鎌倉のテロと関係あるとは思えん」
「それは君が判断することではない」
杉山は言った。と、そこで佐久間さんが「待ってください」と間に入って、
「マルキュウは妊婦なんですよ。お腹の子に万一のことがあったりしたら――」
「その時はマルヒを撃てばいいだろう。君らの仕事はそれなんじゃないのか」
「ふざけるな」と班長。「事はそういう問題じゃない!」
「上が決定したことだ」
「知らんね。刑事部の決めたことにウチが従う筋合いはない」
「わからないのか。これでも君らの顔を立ててるつもりだがね。こちらの要望を聞かんのなら君らに任せるわけにはいかん。殺急を外してウチだけでやる」
「なんだと?」
「どうするか決めるんだな。もうあんまり時間はないぞ」
ハッとした。そうだ。鶴見署が車両を出さないなら、おれ達はタクシーでも捕まえるか、自分の脚で走ってゲンジョウに行くしかない。
が、それでは間に合わなくなる時間にもうなっていた。杉山の今の言葉は脅しじゃない。
殺人が予知されるのは被害者が死ぬ二時間前――それは殺される者の魂が臨終の叫びを上げる瞬間であり、おれ達は常に最長で二時間のタイムリミットの下に殺人を止めねばならないが、〈最長で二時間〉というのはつまり、いつもキッカリ二時間ではないってことだ。それ以上に伸びることは有り得ぬが、縮む方にはいくらでも状況次第で縮められる。
その要因は無数にある――しかし、この場合はヒューマン・ファクター。今回、奈緒その他の殺人予知者が殺しを予知しておれ達が出動すると決まるまでに、やはり上がアレコレと出すべきでない口を出していやがるらしい。ために貴重な時間を食われてしまっている。
そうは言っても厚木からヘリを飛ばしてゲンジョウ近くにロープで降りなきゃならないほどの緊急性はないはずだった。鶴見署でクルマを出してもらえればラクに間に合うはずだったのだ。
カルトから逃げてる娘を保護して「もう大丈夫です」と言ってしまえば話は終わり。頭のおかしな母親なんかどうせ起訴はできないのだからほっといても構わない。それでいいはずの事件だった。
しかし、そこにこの杉山という男が出てきた。こいつのせいでまた余計な時間を食われてしまっている。〈その時〉までにゲンジョウにたどり着くことができないのでは、殺しを止めようがないではないか。
だからこいつ、それを狙って時間を稼いでいやがったのか。しかしそんな――。
まさか、と思うことだった。妊娠している女を危険に晒すなど――刃物を持った狂信徒にそれと知ってて襲わせるなど、とても正気と思えない。ひとつ不測の事態が起きて物事が思わぬ方へ転がったらどうなるか、この杉山という男は考えてもみないのか?
それがデカという人種なのか。この署の所轄刑事どもも? おれは自分を囲んでいるやつらの顔を見渡してみた。
誰もが無表情だった。おれが見ると眼をそらす。後ろめたい思いがあるのが隠し切れないようすだった。
作品名:コート・イン・ジ・アクト6 クラップ・ゲーム・フェノミナン 作家名:島田信之